GITANESを吸っていないもんだから、
この書出しが何も思いつかないのだ。
それとは無関係に・・・。
珍しく、予告通りのことを書きました。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
思い込んだら 2
少年野球選手だった私の実力を余すところなく物語るエピソードを
紹介。
※小学校のころは、チームは学年毎に編成されていた。
小学3年生…チーム入団。他の面子より背が高いという理由だけで
ポジションがファーストに決定。左利きなのに家には兄のグローブ
(右利き用)しかなかったのでなかなかボールを投げるという行為が
難しかった。
小学4年生…もっと背が高いヤツが現われたので、ファーストを追われ
ライトに落ち着く。平凡なライトフライがどうしても捕れなかったのに、
「何があったんだ?!(見物人談)」と驚かれるほど、難しい飛球は
捕球することができた。打順は7番か8番。タマがバットにかすりも
しなかった。
やっと右投左打に慣れた。
小学5年生…ライトフライを珍しく捕球し、タッチアップで本塁に
走り出した走者を刺すべく、ボールを本塁に送球したら
それがバックネット上段へ突き刺さってしまった。
「おお、あいつは肩が強かったのだ!」と、ライトからキャッチャーへ
コンバートされた。
しかしコンバート後、二盗阻止のためにセカンドへ送球した球は、
ことごとくノーバウンドでセンターのE君まで届いてしまった。
他のメンバー全員が2本ずつヒットを打つ試合で、自分だけノーヒットという
こともあったが、他の全員が全打席のほとんどを三振でうち取られている状況で
思いきりバットを振り回し、どういう訳かホームランになってしまい、
「おお、あいつは長打力があったのだ!」と、4番に昇格。
小学6年生…最上級生チームの正捕手。打順は4番。
打撃不振時、確実にミートしようとしてスウィングをコンパクトにしたら
「お前にそんなもの求めてない!」と監督に怒られた。
怒らなくてもいいのに。そう言えば、今は引退したが某プロ野球選手と
同学年で、大きい大会で対戦。バットを振り回したらたまたま球に当たり、
ホームランになってしまった。エライこっちゃ。
中学1年…中学校のチームは、当然学年毎の編成ではないので補欠の補欠。
3学年合計で部員が60人ほどいたのだから仕方がない。
ユニフォームも、白無地のものしか許されていなかった。どうやってサボる
かを必死に考えていた。球探しを口実に、グラウンドに隣接している畑で寝そ
べっていて、それが先輩に見つかって、グラウンドを20週ぐらい走らされた。
中学2年…ベンチ入り。試合デビューはなんと代走だった。走るの嫌いなのに。
1アウト・ランナー2,3塁で2塁走者の代走。なんとまあ、どうでもいい役
どころ。多分、誰も何も私に期待していなかったので気楽だった。
いきなりスクイズのサイン。
打者のスクイズは成功し、3塁ランナーは生還。ボールを取った三塁手は
一塁へ送球。はは、思ったとおり無警戒だ。
3塁に向っていた私は、そのままスピードを緩めず一挙に本塁突入。成功。
ツーランスクイズというヤツだ。
ざまあ見やがれ、走るのは嫌いだが足は速いのだ。
中学3年…捕手。打順はやはり4番。打率2割ほどの4番バッターだ。
バッテリーを組んでいたピッチャーは1学年下のN君。彼はカーブを投げるのが
好きで好きでたまらないという嗜好の持ち主。だから、カーブのサインを出す
たびに、マウンド上で満面の笑みを浮かべる。
そのたびに審判にタイムを取って「カーブのサイン出すたびに笑うな!」と大声
で指導。
この状況に、相手チームはそれが本当なのかウソなのか判断できず、ほとんど
打たれなかった。
小さい大会(って表現もおかしいが)が3つあり、そのうち2つに優勝。ひとつ
は準優勝。そして県大会予選では、前出の元プロ野球選手のチームに1対0で
負けた。ヤツは投手だったのに、彼に打たれたホームランの1点に負けたのだ。
高校入学…連日自宅に野球部の先輩や部長、監督がやってきて、しつこく勧誘
される(部員が極端に少なかったから)。
たまたま不在時ばかりだったので、私が逃げ回っていると解釈されたようだ。
後日、野球部長(生徒指導の教師)に「逃げてばかりの卑怯者」と言われ、
校門の前で大ゲンカに。これで完全に「野球部」という、スポーツ以外の煩わ
しさにうんざりし、現在に至る。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
私にはまだ子どもがいないのだが、もし息子とキャッチボールを
しなければならないハメになった時、果たして息子が捕れるような
スピードのボールを、胸元に正確に投げることができるかどうか、
非常に心配なのである。
そういう意味でのみ、もっと真剣に野球をやっておけば良かった。
| Trackback ( 0 )
|