the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESの嗜好を止めたおかげか。
それとは無関係に・・・。

さて身の周りに、先日からの検査結果を
訊かれることがしばしば発生して、結構もう説明が
面倒臭くなってきている。
今日は
「どうでしたか?」と尋ねられたので
「最優秀賞を受賞した」と言っておいた。
「特に血液はモンドセレクション金賞だった」
とも添えたが、これを続けていくとまともに
話をしてくれる人がどんどん減っていくだろう。
それはそれで、静かで何より。


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GITANESを撮りまくっていただろうな。
それとは無関係に・・・。

みなさんはスマホで何を撮影し、何を保存しているんだろうか?

私も2日に一回ぐらいの頻度でスマホのカメラで
何かを撮る。庭の花やらのこともあれば食べるもの
だったり、読んでいる本だったりと、様々である。
しかし、しばらくしてから見直したときほとんどの画像を
削除する。
別に日常をSNSにアップする習慣がある訳でもないし
どうしても撮っておきたい名場面にそうそう遭遇する
訳でもない。
身内や会社の人の姿を撮っても仕方ないし。
実質的に残るのは、メモの代わりに記録した画像
だけだろう。
それもその記録が不要になれば画像もすぐに消される運命にある。
結局、「要ると思う」から撮影した画像のほとんどは
実は「要らなかった」ことが判明し削除されるのだ。
じゃあもう初めから撮らなきゃいいようなものだが
手元にいつもスマホなんてものがあるから、撮ってしまう。
ただそれだけのことなのだろう。

さて下の画像は
知人Oからニューヨークの土産としてもらった
もの。
「MOMA(ニューヨーク近代美術館)の色鉛筆です!
どうぞ!」
と頂戴したが、芯はみな黒だった。
軸がカラフルな普通の鉛筆だった次第。

そしてこのような、もっとも無意味だと思しき画像
はいつまでもスマホに残っている。
そんなもんだろうな。





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GITANESはその後味に変化があったのだろうか。
それとは無関係に・・・。

数日前にこのブログの入力画面に変更があり
様子がかなり変わってしまったので非常に
不便を感じている。
フォントの大きさなどは何度か生地編集で
変えてみてアップして様子見て、という作業も
必要だった。
このブログを開設してもうすぐ20年になるが
入力画面の仕様変更という面では最も大きい
変化だっただろう。
慣れれば問題ないのだろうが
「見出し画像」というものも、ある前提での
造りになった。

正直戸惑っているのだが、それでも
今日それをネタに書くことができたのだから
これは正直ありがとうだ。
これから毎日仕様変更をしてくれれば
正直日々の変更点についてだけ書いていればよく、
無理矢理書くことを考え出す必要もなくなるのだから
正直助かるので、正直お願いします。

7行で「正直」と5回も書いたのは
正直初めだ。



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GITANESがあれば待ち時間も早く過ぎるのに。
それとは無関係に・・・。

どうも最近背中にハリがあって、自分では
これは夜中に胡坐の状態で何時間も座っているから
と思い当たるものの、それが思い当たったとしても
状態は良くもならないだろうからと、出勤時に
自宅から近い整形外科クリニックへ立ち寄った。

待合は満員状態。
しかし私は本さえあれば半日でも待っていられるのだ。
幸い3分の1ぐらい読み進めていた宮城谷昌光・湖底の城1
があったので、それをバッグに入れている。

つもりだったのに、バッグに入っていたのは第2巻。
1巻がまだまだ途中なのになんで2巻やねん!
と自分に怒りを覚えつつも、壁や向かいのおじいさんおばあさん
の顔を見ながら過ごすのは無理なので、致し方なく
第2巻を読み始める。
昨日まで読んでいた第1巻では「お前ちょっと怪しいヤツ
だったのに、実はそうでもなかったんか?!」
などと登場人物に話しかけながら(もちろん声には出していない)
とにかく読む。

受付から1時間経ってようやく診察室に呼ばれる。
それからレントゲン、また診察。
とにかく姿勢が悪い、それで毎日胡坐3時間などと
修行じゃあるまいしと医師に呆れられた。
漢方の痛み止めを処方され、階上のリハビリ施設へ
行くように指示された。

さて7,8年前にも原因がよくわからないまま
右脚付け根後方が痛くなった時にもこの病院と
リハビリ施設にお世話になった。
そのときの女性理学療法士の方が今回も担当になった。
結構細かった眉が印象的だったので、顔を見たとたん
「あ、前の人だ!」と思い出したのだが、先方も
「お久しぶりです。まだ自転車のトレーニングされて
ますか?」と、2回目の利用だと把握していた。
まあカルテを見たからわかったんだろうが。

この人にあちこちの部位を押したり引っ張ったりされて
『ああ、前回もこんな感じだったなあ』と思い出す。
自分でできるストレッチの方法を何種類か教えてもらう。
最後に脚を抱えられて思い切りモモ裏やふくらはぎを
伸ばす運動を施され、それはつまり膝を反対に曲げようと
するほどの施術なのだが、人間のヒザはそっちには
曲がらないのだ、鶴じゃないんだから!
と思うほどキツイ。
で、そのときに彼女が「前回はこの運動のときに
『フラミンゴじゃないんだからそっちに曲がらないですよ』
と仰ってましたよ」
と言われた。
どうやら私はフラミンゴが鶴に置き換わっただけで
あまり成長しない人間なんだなと再確認した。


いやしかし、まさかカルテに「フラミンゴ云々」と
書いていた訳でもないだろうし、やはり覚えられて
いたのだろうか。
さすが接客業、恐るべし。しかしそっちに曲がらない

と思った。


と思った  で終わることなんて珍しい。




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GITANESと書きたいだけだったんだろう。
それとは無関係に・・・。

そりゃあもういくらなんでも
このサイトをたびたびご覧になっている諸賢は
お気づきだろうけど、カテゴリー名は
とても適当につけた。その上、毎度の記事の
分類も適当にやっているのだから
「この記事がこのカテゴリーに分類されるのは
おかしい!」などと憤りを感じられても困る。
本当に適当にやっているのだから仕方ないではないか。

遅れ馳せながらそれぞれのカテゴリーがどのような
(一応)設定になっているのかを説明する。

・GITANESNOTEより
この分類はこのブログの前身であるサイトから
引っ越してきた記事である。だからこの分類だけは
正しいということになる。しかし内容はバラバラだ。

・短報
これは短感と違って、これ以上長くしようがなかった
下らないことを集めている。
これならツイッター(X)に書けばいいではないかと
思う人がいるだろうが、その通りだ。

・苦いGITANES
大体嫌なことが生じたときに書いたもの。

・甘いGITANES
これは「苦い」の反対の傾向がある記事。
SGC少年時代とか、そういうのが多い。

・それとGITANES
なにか「モノ」について書いたときに放り込む。
いちばん書きやすいから記事も多い。

・意味のないGITANES
いつにも増して内容に意味がない場合の行き先。
そういうと、全てここでいいではないかと感じた
あなた、もっと優しくなりなさい。

・奇妙なGITANES
よくわからないことが生じたときや、わかっているが
面倒くさいことがあった場合に書いた記事。

・彼・彼女とGITANES
私ではない誰かのエピソードを書いたもの。
書き手としては、実はここの記事がいちばん
好きだったりする。

・不老不死ならもう一度行きたい店リスト
これはつまり「もう行かない店」のことだ。
本当はもっとたくさんあったのだが、かなり削除した。

・小日記
短報との違いがわからない。
私でもわからないのだから、誰にもわからない。

・本とGITANES
これはもっとも最近作ったカテゴリー。
何かの本などについて書いたものだから
それじゃあ集めてみようかと。

・短感
目にとまったニュースについて深堀したり
しなかったりして、鋭く何かを追及したり
しなかったりのカテゴリー。
話題のキーワードを検索してここにたどり着く人
がいるもんだからアクセス数は多くなる。
真面目にニュースを検索した人には
たどり着いた先がここで、まったくお気の毒に
と思っている。

・食えればいいではないか
食べ物について何かを書いたあと、
「あ、そういえばこんなカテゴリーあったなあ」
と思い出したときに使われる分類。
だから、食べ物の記事なのにこのカテゴリーに
入っていない記事の多いこと多いこと。



どうですか?何かの参考になりましたか?
ならない?
あ、そう。





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GITANESに囚われる日々。
それとは無関係に・・・。

驚くべきことに、このブログに引っ越してきて
今年の年末には20年が経過するらしい。
愚かなことでもやめずに続けていれば、なかなか
真似のできないボリュームにはなるのだ
と今更だがわかった。

この2月に会社のOB、自分の前任者が病気で
亡くなったという知らせがあった。
そして先週、これも会社の大物OBが亡くなったらしい。
私が入社した平成元年以降で、会社に君臨していた
と言えるのは7,8人しかいないが、これで4人が
亡くなったことになる。
いずれも60代だったから、かなり早いと言える。
このblogを書き始めたころにはみんなまだまだ元気で、
職場においていろんな意味で君臨していたが
諸行無常を感じるではないか。

私は相変わらずであって、スマホケースにらくがき
などして、長い長い夜の暇つぶしをしているような
日々である。

あと20年書け と言われるとちょっと自信がない。







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GITANESのストックはいつもすぐになくなった。
それとは無関係に・・・。

ものの序でに書店で時間を潰すしかないという
幸せ地獄な日が1週間ほどあった。
立ち読みだけで済む訳がないから幸せ地獄
なのである。
もう本当に買い過ぎだ。わかっている。
それでも買ってしまう。

もう怖くて数えてないものの、書斎には未読の本が
かなりある。
そういう、買ったまま読んでいない本を
「積読(つんどく)」というらしい。
うわあ、ちょっと鳥肌がたつようなネーミングだ
(もちろん悪い意味だ)。

自分が買った本なのだから自分のペースで
詠めばいいし、先入先出なんてものは無視していい。
それでもかなり悔しいのは、単行本を未読で
放置している間に、それが文庫化されてしまう
ことである。
どうせ放置しておくのなら、文庫になってから
かえば半値で買えるではないか。
そこからまた我慢を重ねて文庫の古本を狙う
という猛者もいるようだが、そりゃあ好き好きだ。
最近では「テーラー伊三郎」という本を7年寝かせ
たところでやっと読んだが、とうの昔に文庫化
されていた。
よくあることだ。
単行本を放置して、何年か後に買った本が
実はその単行本を改題文庫化したものだった
という腹のたつ例も経験した。
もちろん私が悪いのだから仕方がない。
これらを解消するには、買った本はすぐに
読む ということに尽きる。
これからはそうしようと思う。

思うだけだけど。






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GITANESをかなり吸っていた頃だ。
それとは無関係に・・・。

社内の会議がどんどん減ってきて、必要最小限
のものしか開催されなくなった。
良い傾向である。
そもそも決まった曜日の決まった時間に集まっても
ネタがある場合とまったくない場合があるのだから
「定例」というのがムダなんだろう。

昔は儀式的な会議がいくつもあり、月イチの全店会議が
その最たる(ムダな)ものだった。
全店の店長と各部署の責任者が集まる。
私も一応呼ばれていた。

司会はなにかしらの部長がやっていた。
営業部長や企画の部長だったと思う。
そのとなりにはなんとか事業部長と総務部長、
商品部長が並んでいた。
いちばん無駄だったのが、各店各部署の営業実績表
が総務部長から全員に配られ、それを端から端まで
総務部長が読み上げるパートだった。
別に総務部長独自の視点によるコメントがある訳
でもない。ただ読む。

数年後、企画の部長が失脚、というかクビに
なった後は私が会議を回すようになった。
別に部長になった訳じゃなかった。
部長がいなくなったから直属部下のお前がやれ、
てなもんである。

ひな壇となりの総務部長の資料読み上げパート
は相変わらず続いていた。
ある会議の際、また読み上げが始まったのだが
私「・・・途中ですんません。それって全部
資料に載ってます?」
総「当たり前やないか。」
私「じゃあほら、時間もないことですし、
載ってないことに絞ってコメントしてもらえませんか?」
総務部長が絶句した。
翌月から総務部長が喋らなくなったので、自然と
そのパートは廃止された。しばらくして総務部長
自体がその会議に出席しなくなった。
とても快適になったが、依然として定期的な
開催は無駄としか思えなかった。

やがて営業部長もクビになり、総務部長も
クビになった。クビの理由はそれぞれだが、
「そりゃクビだろう」というそれぞれの理由だった。

そのうち、月例会議も廃止された。

今でも雰囲気的に残っているのは
「書いてることは読まんでもええ。」という空気である。





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GITANESの煙には何のご利益もない。
それとは無関係に・・・。

家人たちはすでに行ってきたというので
歩いて行ける近所の神社まで一人で初詣。
曇天で降水確率も40%と、結局降るのか
降らないのかわからない予報。かなり怪しい
空模様だから、一応折りたたみ傘を外套の
ポケットに突っ込み歩いていく。
1人だし、耳にイヤホンを突っ込み音楽を
聴きながら行く。不謹慎なのかも知れないが
心配は要らない。そもそも私は不謹慎な出来なのだ。

比較的大きい神社だから参詣客も多い。
みんなほんとに行儀よく行儀よく並んでいるので
大行列がなかなか進まない。
不謹慎な私でも行列を追い抜くようなことは
しない。
不謹慎ながらもそれなりの仁義はあるのだ。
前の人は3人連れのようだ。プラス犬。
ゴールデンレトリーバーがこの3人の脚に
纏わりつきながらも行儀よく並んでいる。
時折私の顔も見上げながらもまったく興味
ないようで、お互い何よりだ。

それにしても進まない。
やっと門をくぐり、本殿や賽銭箱が見えてきて
行列の進行が進まない理由がわかった。
賽銭箱の前には余裕で3人並ぶことができる。
本当は、賽銭箱も一つではないしもっと並ぶこと
ができるのだが、なんとなくできている行列が
三人ずつという雰囲気が完成されていた。
で、参詣客は圧倒的に二人以上が多い。
二人客に拝礼の順番がやってきて、その後ろが
一人客「A」だとする。
三人並べるのだからAさんは二人客と並んで
拝礼すればいいのだ。二人の真ん中に割り込め
とは言わない。左右どちらかにつけばいいのに
律義に「前の二人の拝礼が終わるまで待つ」
のである。
で、Aの順番が来る。
その後ろが「BCD」の三人客だ。
BCDのうち二人がAの横について拝礼すれば
いいのにこれも律義にちゃんと、待つ。
もっと言えば、四人でも並べるのだから
Aの横にBCDも並んでしまえばいいのだ。
喫茶店ではないのだ。
相席にされる訳ではない。それなのに待つ。
拝礼も「せーの!」とか号令がある訳でもない。
みんな自分のタイミングと長さでやっている。
それなのに、自分のすぐまえの何人組が
終わるまで、待つ。
殊更行儀よくしておかないと神様の前だから、
という心理が働くのかもしれないが、それは
「自分さえ行儀よくして、自分の願いごと
さえ届けばいいのだ」ということにもなるから
結果的に「そんなによろしくない」のではないか。
各自効率よく行列をまわし、後続の人々のために
さっさとやるのも貢献なのだが。

あと三列ぐらいで自分の順番が回ってくる。
1人客が拝礼している。その次の二人客は待っている。
スマホが流す音楽がカート・エリングの「Oh my God」
だったので、そりゃゴッドの前ではあるがいくらなんでも
と次の曲に飛ばした。Shogun の Bad City
つまり探偵物語のテーマ曲だ。まあこっちの方が
いいか とそれを聴きながら待つ。
やっと順番がまわってきたとき、私の隣は犬だった。
ゴールデンレトリーバーだ。
『お前は何を祈るの?やっぱりエサ関係?』
と思いながら、自分はなんとなく全般的に祈る。
突然家族や住居、何もかも失ってしまった人たちが
数百キロ離れたところに大勢いて、複雑な心境が
拭えないまま、この瞬間も普通のことができている自分
の置かれた環境に感謝するばかりだった。

小雨が降ってきた。
外套のフードを被れば充分防げるほどの雨で
傘は要らなかった。そもそも、人ごみのなかで
傘は迷惑だ。このまま歩こう。
人間は、小雨に濡れるぐらいでは死なない。





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GITANESの本格シーズンだ。
それとは無関係に・・・。

日が落ちるのがどんどん早くなって、日中は
別として少し涼しいなと感じる時間帯が多く
なってきた。
どうも物悲しい心地もする。これは加齢のせいだろう。
もう決して人生が春でもなく真夏でもない
ということなのだろう。
まあ考え方でなんとでもなるような「気の問題」だろう
から淡々と暢気に過ごすだけなんだが。

仕事上は忙しい時期だから、そんな感慨とは関係なく
仕事は襲ってくる。
あの人と会いあの件で相談してあの会議をして
この人と会いあの件を進めて相談に乗り相談に乗り
あ、あれもこれも とやっているから
一日はあっと言う間に過ぎ、そしてあっという間に
また涼しくなる。
繰り返しだ。

100年前に大きい震災があった。
子供の頃はその話を本で読んだりして、怖くて
仕方なかった。なにしろ100年前のことだから
残されている写真も白黒で、おまけに全体を
黄色や赤などの単色に加工された写真がよく(本などに)
使われていたものだから、不気味この上なかった。
その怖さは忘れてはいけないのだろう。


毎日があっという間に過ぎるから、その震災も
あっと言う間に100年前の出来事になった。
時間というものはそういうものであるから、
抗い様もない。

だからすぐに腹が減って鳴り出すのも仕方がないのである。
腹を鳴らしたくて鳴っている訳ではない。
人間ではどうしようもない「時間」という存在が
私の腹を借りて自己主張しているだけなのだ。
だから堂々と、デスクの一番下の一番大きい抽斗を
開けて何かお菓子を取り出してポリポリするのだ。
許せ皆の衆。私のせいではない。
「時間」がそうさせるのだ。ポッキーが美味いのだ。




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GITANESは冬の嗜好物。
それとは無関係に・・・。

ずっと暑い。
エアコンに頼ると寒くて、やめると暑い。
ずっとその繰り返しのような気がしてきた。

ずっと暑いのとずっと寒いのとではどちらが
イヤなのだろう?と考えてみた。
そうすると、客観的に「ずっと寒い」方が
イヤなのではないだろうか と思えてきた。
どちらもしまいには命にかかわる危険性も孕み
深刻な問題に発展しそうなのだが。

「ずっと暑い」のは、とりあえずマメに水分補給を
していればなんとかなりそうなのだが、「ずっと寒い」
のは確実に死に近づいていくような気がして
なんとかならなさそう なイメージがある。

だから雪山で遭難と砂漠の真ん中で立ち往生という設定なら
というよりも、どちらにしても助からないのなら
寒さのなかで死んだ方がマシ
なような気がする。

気温が高いときのアドバイス「喉が渇く前に水分補給を。」
というのがあるが、これが一番難しい。
喉が渇く前に水を飲んだり、腹が減る前にメシを食ったり
眠くなる前に眠ったりしろ、というのと同じような苦行だ。
一日のうちにどれぐらい水分を摂取しているか訊かれる
ことが多いが、ちゃんと足し算すると私は一日に1.2~1.5
リットルの水分を摂っている。ネットで調べると
夏場は1.5リットル前後の水分を摂らないとダメらしいから
ギリギリ足りているのではないかと思っている。
でも、咽喉がずっと乾きっぱなしなのだから
実際には足りていないのだろう。
水筒を常に持ち歩いた方がいいのだろうけれど、
面倒くさいしなあ。





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GITANESはまだない時代。
それとは無関係に・・・。

バタァの準備はお済みでしょうか。
さあ、今日ばかりはパンにバタァを
たっぷり塗って、テレビも消して
スマホも置いて新聞も開かず、
どちらかというとパンよりも
バタァを味わいましょう。
なぜなら今日は「怒れる牛小屋同盟」
に思いを馳せる日ですから。
・・・

一時はデンマーク国内世論を左右する
ほどの勢力であった「怒れる牛小屋同盟」
も弾圧により解体されたことは
一昨年・昨年の記事で説明した。
命より大事な家畜を殺されたことを
彼らは最も憎んだ。
いつしか彼らの合言葉は
「牛に謝れ!」となった。

かれらの残党は隣接する「公国」へ逃れた。
「怒れる牛小屋同盟」に同情的であった
かの地の領主ホルシュタイン公は
この合言葉が非常に気に入り、
「牛に謝るほどの謙虚さが為政者に
あれば、いずれこの世から争いは
なくなるであろう。私は彼らから
最大の教訓を得た。」と、
永く彼らを領内で庇護したという。

そして、ホルシュタイン公と彼らが
協力して開発した牛の品種が
「ホルスタイン種」である。
言うまでもなく、こうして誕生した
ホルスタイン種はバタァの品質向上
に歴史的な貢献を果たした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

デンマークの国旗は、世界で最も古い国旗
と言われている。13世紀初め、エストニア
との戦いで苦戦しているとき、そらからその
旗が舞い降りてきて、後に戦いに勝ったという
謂れがある。

怒れる牛小屋同盟の旗印はデンマーク国旗
に由来するが、そこに強烈な彼らのメッセージ
が盛り込まれている。

Undskyld til køerne!
すなわち、
「牛に謝れ!」

この謂わば反戦の精神はまだロシア大統領
執務室までは届いていないようである。

※全部ウソですよ。
※某SNS自アカウント2022から転載



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GITANESがまだない時代の話。
それとは無関係に・・・。

今日(3月21日)ばかりはバターではなくて
バタァである。
Vred kosedyralliance

Henrikは夜ごと父と叔父が
牛小屋の隅で長い時間話し合っていること
に気づいていた。
その内、聞き慣れない男たちの声も聞こえてくる
ようになり、多分牛小屋には何人もの男が
入れ替わり立ち替わり集まっていると思われた。
やり取りが熱を帯びて声が大きくなることも
あって、Henrikはそれが怖くて耳を塞いで
毛布をかぶった。
「牛と牛乳、バタァと雪しかないこの
土地でこれ以上どうしろってんだ?!」
叫ぶ声が不安を搔き立てた。
 ある夜中、何人もの人が駆けていくような
足音を聞いた。とんでもなく大勢の大人たちが
どこかへ向かっていく。
みんなどこへ行くの?と母親に尋ねたが
母は「心配いらない。おやすみなさい」としか
言わなかった。母はそれを何度も繰り返して
言った。まるで自分に言い聞かせているようだった。
そして、西の夜空が真っ赤に燃えたその夜から、
父も叔父も帰ってこなかった。
3日後、母が役人たちに連行されていったときは
裏山に隠れた。心臓が飛び出しそうだった。

Vred kosedyralliance
怒れる牛小屋同盟 19世紀デンマーク。
バタァにかける税を大幅に引き上げよう
とした政府に敢然と抵抗した者たちだったが
3月21日、その運動は悲劇的に終幕した。

辛くも弾圧から逃れて遠い遠い国に流れ着いた
男もいて、彼はその異国の地の利に気づき
バタァを流通させる商売を始めた。
あの日別れたままの父と母、そして
「バタァと雪しかない」村を忘れぬため
その男Henrikは雪の結晶を
シンボルマークにした。その味は平和を招いた。

後の、雪印乳業である。


#もちろん全てウソです#あれから一年経ちました
#雪印で親戚が働いている訳でもありません
#昨年のホラを詳しくしました

※2021年某SNS自アカウントから転載



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GITANESがまだない時代。
それとは無関係に・・・。

もちろんホームベーカリーを使ってなのだが、
時折自宅でパンを焼く。
特に今日(※3月21日)はバタァに纏わる記念日
だから尚更である。
説明するまでもないだろうが、19世紀初頭デンマーク
の酪農従事者たちが、バタァに高額の税を課そうと
目論んだ政府に敢然と立ち上がった
「怒れる牛小屋同盟-Vred kosedyralliance」が
悲劇的な最期を迎えた日。


さて、翌日の朝食だ。
焼きたてからしばらく経ったが、もちろんバカに
できないほどの弾力をもったパンに、厚く厚く
バタァを塗る。マーガリンではない。バタァ。
この日ばかりは価格や成分よりも味優先だ。

上顎がバタァにまみれる。すばやく溶けていく
バタァが口の中いっぱいにひろがる。
パンの弾力でアゴが疲れてきたら、ホンの少し
だけ赤子の小指の先程のマーマレードを塗る。
アゴがやる気を取り戻す。
パンって、こんなに美味かったっけ。



就寝前にこれをお読みになった方、朝食を
楽しみにおやすみなさいませ。
朝読んだ方、バタァは冷蔵庫にあるでしょうか?
・・


ところで、怒れる牛小屋同盟 のくだりは全くのウソ、
妄想です。
焼きたてパンにバタァと、不意に思いついたホラも
味付けになるかと存じます。
おやすみなさい。

※2020年某SNS自アカウントから転載


#bread #butter #breakfast #妄想です #ホラです







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GITANESを吸う人にはなってしまったが。
それとは無関係に・・・。

大人になったら自然に、
酒を飲むようになったり、食べ物の好き嫌い
がなくなったり、演歌が好きになったり
漫画を読まなくなったり、難しいことを考えたり
すべて自然に「大人になったらそうなる」
と思い込んでいたが、自分がおとなになって
わかったことは
「そのようなことはまったくない」という事実である。

傘もそうだ。

少年SGCは、傘を巻く作業が下手だった。
雨があがって、傘をくるくるくると巻いて
帯で留めるという作業が上手くいかなかった。
父や母がやると傘の生地の端がきれいに揃って
幾何学パターンになり、形も随分スリムになって
格好良かった。
私がやると骨も生地も揃わないし、途中で膨らんだり
全体的に膨らんだり、ひどいときには膨らみ過ぎて
帯が一周届かず留まらなかった。
問題は上手く巻けないことよりも、それで平気だった
ことなんだろうけど、どうでもいいことだった。
英国紳士がもっていそうな傘・を想像すると
元々細く巻くことができる傘を、より以上に極限まで
細く巻いてステッキと見紛うようなフォルムにして
手に持っているというイメージだ。
ああなりたいとは思わないが究極の行き先ではあると
思う。

とにかく少年SGCは傘をちゃんと巻けない人だったが
オヤジSGCも未だに傘をちゃんと巻けない人でいる。
あれもやっぱり年齢ではなく、「傘をきれいに巻ける
技術がある人かどうか」が問題であり、さらに
「傘をきれいに巻けなくてもそれが何だと言うのか」
と思ってしまうことが大問題であり、
「きれいに巻けなかったのならもう一度帯を外して
巻き直せばよろしかろう」と思い至らないことが
問題であり、
「また雨が降ったら開くではないか。それが傘の
本分だ」と理由をつけてしまうことが問題なのである。


近いうちに、デスクの抽斗の中の整理整頓が
できない人 というタイトルで書こうと思うが
本日の内容の単語をいくつか入れ替えるだけに
なるだろう。更新がラクでいい。






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