ウリパパの日記

自由気ままに・・・

竹寺の牛頭天王社を訪れる(2) 2021.1.7

2021-01-08 18:29:46 | 埼玉県

茅の輪をくぐり身を清め、牛頭天王が祀られる本殿に到着しました。ここに祀られる牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神といわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。さらに陰陽道との関りを深め、また「蘇民将来伝説」とも結びつき、素戔嗚尊と同体とされています。

本尊の右手には斧、左手には縄を持ち、その脇には八王子(牛頭天皇の八人の王子)が祀られ、十二年に一度、丑年の年に本殿内の宮殿が開扉されます(以上竹寺寺号より引用)。

 

本尊の守護神のイラストが竹寺時報に掲載されていたので引用しておきます。前の記事で紹介した牛頭明王とはかなりイメージが異なります。

 

拝殿前の扁額。

 

拝殿中の様子を少し拝見。

 

向かって右側の狛犬(阿形)。手前には御開帳の案内。3月13日から12月12日までとなっています。

 

向かって左側の狛犬(吽形)。手前に牛頭天王本殿の説明がありました。

 

本殿は平成11年に焼失、平成15年に再建されたものです。今年の牛頭天王例大祭は7月15日に仏式にて厳修されるようです。

 

最後にもう一度拝礼。開帳の時期にもう一度来てみたいですね。

 

本殿は標高490mの山の中腹にあります。歴史と風格を感じます。

 

本殿の近くに稲荷大明神が祀られています。鳥居をくぐります。

 

 

八王寺医王稲荷社にもお参りします。

 

稲荷社から本殿に戻り、山の上の鐘楼堂を目指します。懐かしい看板ですね。

 

裏山を登り本殿を見下ろします。平成15年の再建なので茅葺屋根の苔もまばらな印象。風格が出てくるのはあと数十年先ですかね。

 

途中にある名栗小殿。比較的新しそうです。

 

続いて金毘羅権現。

 

本殿から約10分。50mほど登り鐘楼堂に到着。

 

鐘楼には、牛頭天王宝前 名栗村と刻まれています。反対側には、天王山八王寺 平和の鐘 と刻まれていました。

山頂からは飯能市街の先に関東平野を一望できます。昨日は霞の中で遠望がききません。反対側には名栗方面を見下ろします。

 

眼下に観音様と三層の塔を見下ろします。帰宅後に調べたところ、白雲山にある救世大観音と玄奘三蔵塔でした。玄奘三蔵塔には、孫悟空の活躍で知られる物語「西遊記」の三蔵法師、正式名は玄奘三蔵法師の霊骨が祀られているそうです。

 

救世大観音をさらにズーム。大観音の堂宇内には阿弥陀如来像など多数の仏像が安置され、永代供養の悲願を込めた高さ33センチの観音一万体が奉られているそうです。左右に小さな観音様が従い、中央の大観音の高さ23m。右側にちょこっと見えているのは納経塔です。

山頂の鐘楼堂で折り返し、山を下り、本坊へ向かいます。

 

本坊で購入したお土産の一部です。御朱印、茅の輪の御守り、そして木製の蘇民将来の護符。護符は住職が一つ一つ手書きで文字を記入したこけしのような御守りで、災厄避けとして人気があるそうです。丑年の今年は年末から売れ行き好調らしく、最後の一つ(大サイズ)が残っていました。迷わず購入しました。

 

六角柱の護符には朱と墨で「蘇民将来子孫長久門戸祈攸」と書かれてあります。旅の途中で宿を借りた蘇民将来の家に、牛頭天王が茅の輪による災難除けを伝授した伝承に基づくお守りです。実は、この御守りが男性を、茅の輪が女性を象徴し、両者併せて“子孫繁栄”を意味する、とも言われているそうです。となると、茅の輪が小さすぎた・・・(汗)

 

ところで、一昨日の朝日新聞夕刊に、丑年にたとる信仰というテーマで異形の神「牛頭天王」が特集されていました。昨年のアマビエに続いてブームになりそうです。

 

 

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竹寺の牛頭天王社を訪れる(1) 2021.1.7

2021-01-08 09:02:39 | 埼玉県

昨日は日本海で低気圧が発達し、関東地方では強い南風が吹きました。八王子では午後から風が強まり、最低気温-0.7℃、最高気温13.1℃と3月並みの陽気となりました。夕方に寒冷前線が通過して風向きが西から北寄りに変わり、徐々に気温が下がってきました。

緊急事態宣言が発令される前に行っておきたいと思い、昨日は飯能にある竹寺まで車で出かけてきました。竹寺は天台宗の寺院で、医王山薬寿院八王寺と称します。説明によると、

「竹寺(八王寺)略縁起」当山は、縁起によれば「天安元年丑年、慈覚大師東国巡修の折、疫病流行し患者の多きを憐れみて、当山を道場として大護摩の秘法を修し、一切の障 難を除き、疫病を降伏し病患を除かしめん事を誓い、一刀三礼して尊像を造り、世の人を救い後世に遺し給へり・・・」と。

千年以上の歴史を持つ東日本唯一の神仏習合のお寺で、本尊は「牛頭天王」、本地仏に「薬師如来」が祀られています。境内の観音堂には聖観世音が祀らえていて、武蔵野観音の三十三番結願寺ともなっています。「蘇民将来」の護符は災厄避けとして非常に人気があり、住職さんが一つ一つ手書きで文字を記入しています。

 

狭間の自宅を自動車で出発。あきる野、青梅、成木、原市場を経由して最後は八王寺林道を登り終点が竹寺となります。距離は42km、1時間15分で到着しました。

 

茅の輪の門をくぐり駐車場に向かいます。公共機関を利用すると、東飯能駅からバスに35分乗り中沢で下車。そこから40分も山を登るようです。

 

入口の案内です。奥武蔵自然公園の中に佇む隠れ寺です。牛頭天王大開帳の案内、でも開帳は今年の3月13日からのようです。

 

お寺ですが一の鳥居。牛頭天王参道の鳥居をくぐります。

 

扁額には醫王山(医王山)と書かれています。

 

鳥居をくぐると左手に案内図。かなり広そうです。現在地が左下の白い鳥居です。

 

近くに分かりやすい手書きの絵図がありました。竹林と本坊、茅の輪、本殿を経由して山頂の鐘つき堂まで登ってみることにします。

 

先へ進みます。

 

まず正面に現れたのは牛頭明王像。

 

近くに由来の説明がありました。1992年に中国民間人15名により奉納されたブロンズ像です。牛頭大王と牛頭明王の違いはよく分かりません。大日如来はインドからチベットを経て中国に渡り日本に伝えられた。チベット密教では大黒天神と言われているそうです。

 

風雲を叱咤して悪魔を降伏させる姿と説明にあります。確かに力強いですが、その一方で何となくユーモラスでもあります。

 

こちらは竹眼鏡。昨日は霞んでいましたが、遠望がきくと東京タワーや東京スカイツリーを竹筒の先に見ることができるようです。

 

こちらは弁天堂。

 

本地堂 瑠璃殿です。本地仏である薬師如来が安置されています。

 

反対側には観音堂。聖観世音菩薩が祀られています。ここは奥武蔵観音霊場三十三番結願所となっています。

 

竹のオブジェを見ながら順路に従い竹林へ向かいます。

 

竹の鳥居をくぐります。

 

周囲には見事な竹林が広がります。

 

竹林から戻ると正面に茅葺屋根の本坊。ここでお札やお守り、お土産が販売されています。帰りに寄ることにしましょう。

 

お食事処の脇にはコウヤマキの大木。幹回り3.86m、根回り7.55m、樹高26m、樹齢は推定400年の老木です。太田道灌が植えたと伝えられ「道灌槙」とも呼ばれているそうです。

 

本坊脇から竹鳥居をくぐり本殿へ向かいます。

 

階段の途中で右手にお稲荷様の入口。こちらは本殿見学後に訪れることにします。

 

本殿登り口の鳥居に到着。大きな茅の輪が設けられており、これをくぐり心身の清浄を願います。

 

本殿手前の鳥居の扁額には天王山と書かれています。インド祇園精舎の守護神である牛頭天王が祀られていますが鳥居があります。まさに神仏習合のお寺なのですね。

 

鳥居の右手前には祠がありました。石碑には猿田彦大神と刻まれていました。天孫降臨のときの道先案内をした神様ですね。

茅の輪くぐりでは、唱え詞を唱えながら左回り、右回りと八の字を描いて3回くぐるのが正式な作法のようです(昨年6月末に鹿島神宮で学び実践しました)。ここでは回ることができないので、くぐることで心身を清め、災厄を祓い、無病息災を祈願します。

 

茅の輪をくぐり階段を上ると、本殿の牛頭天王社に到着しました(続く)。

 

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八王子 子安神社と八幡八雲神社に初詣 2021.1.6

2021-01-07 17:53:39 | Weblog

昨日、日野の八坂神社へ初詣に行った帰り、八王子駅で下車して子安神社と八幡八雲神社をお参りしてきました。その様子を簡単に紹介しておきます。

唐突ですが、東京都で牛頭天王に関係する駅名は、天王洲アイル駅、八王子駅、西武線の八坂駅の三駅と言われています。牛頭天王ゆかりの日野の八坂神社を参拝した後、八王子駅で降りて子安神社を訪れました。八王子という地名は牛頭天王と8人の王子(八王子)をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社(ごんげんしゃ)が建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していきました。その八王子駅近くの子安神社には、子安の大神である「木花咲耶姫命像祭神」のほかに「素戔嗚尊」も祀られています。牛頭天王の垂迹である素戔嗚尊は、蘇民将来に「世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫といい、茅の輪をつけておれば免れさせる」と約束された『備後国風土記』の説話が知られています。この説話については、アマビエの御朱印を購入した昨年7月の記事でも紹介したので、最後にリンクを張っておきます。また、今日、本尊を牛頭天王とする飯能市の竹寺に行ってきたので、後日紹介します。

 

子安神社の神楽殿です。立派な絵馬が奉納されていました。

 

こちらは金刀比羅神社に掲げられている大黒様。御祭神の大物主命は大黒様として祀られることが多いようです。

今年は年男なので、子安神社では丑の御守りを購入しました。

 

続いて訪れたのは八幡八雲神社。八幡神社と八雲神社を合祀した神社です。八幡神社のご祭神は誉田別尊、八雲神社のご祭神は素盞鳴尊です。ともに延喜年間(901~923年)に石清水八幡宮と牛頭八王子権現を勧請したものであり、後者は「八王子」の地名の発祥となりました。共に八王子と最も深い関係を有する大切な御社です。

 

茅の輪が設置されていました。神社では6月末と12月末に大祓という儀式を行います。半年間の間にたまった、罪やけがれをおとすための儀式です。 次の半年間、病気や災難にあわないようにとの願いも込められています。蘇民将来の説話に出てくる茅の輪です。

 

帰りは中町商店街を歩いて八王子駅へ戻りました。

 

参考)子安神社の御朱印

OGPイメージ

子安神社の御朱印 2020.7.31 - ウリパパの日記

日本の東海上と西日本に高気圧があり、関東地方は二つの高気圧に挟まれた低圧部となっています。北東からの湿った空気が入り、今日も不安定な天気でし...

子安神社の御朱印 2020.7.31 - ウリパパの日記

 

 

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日野の八坂神社へ初詣 2021.1.6

2021-01-07 07:44:43 | Weblog

昨日は日本付近を弱い気圧の谷が通過したため肌寒い曇り空の一日でした。八王子では朝の最低気温は-0.1℃と冷え込みは和らいだものの、日中の最高気温は6.5℃止まり。昼前後に一時的に青空が見えただけでコートが手放せませんでした。

午前中に空き時間があったため、日野の八坂神社へ初詣に出かけてきました。なぜ八坂神社といえば、今年は丑年ということもあり、牛頭天王を祀っていた神社を訪れてみたかったのです。コロナ禍では妖怪アマビエが注目を集めました。ところが、アマビエ以上に疫病に効く絶大な信仰を集めた「牛頭天王」がいたことはあまり知られていません。神道でいえば素盞嗚尊の蘇民将来の説話です。

日野駅から歩いて5分、八坂神社は甲州街道沿いに佇んでいました。

 

八坂神社の説明です。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、配祀は櫛御気野命(くしみけぬのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。以下、ちょっと読みにくいので日野市観光協会のHPから引用します。

伝説によると、多摩川の淵から拾い上げられた牛頭天王像を勧請し祠を建てたのが八坂神社の始まりといわれています。記録に残されているものでは、応永5年(1398)、普門寺が開基され、牛頭天王社を管理するようになった。とありますから、600年以上の歴史を持つ神社です。元亀元年(1570)、普門寺の移転と現在の甲州街道の道筋が定められたことから現在地に遷座しました。本殿は寛政12年(1800)に建造されたもので、精巧な彫刻が組み込まれた江戸後期を代表する神社建築として日野市指定重要文化財に指定されています。

土方歳三が蝦夷に渡り、最後の戦いをしていた明治2年(1869)、日野でも大きな問題が持ち上がっていました。それまで、300年余りの間日野宿の人たちに「天王さま」と呼んで親しんできた牛頭天王社が明治維新政府の神仏分離によって別当であった普門寺から切り離されることになったのです。

牛頭天王はインドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神です。神道で祇園の神といえば素盞嗚尊、八坂神社に改名されるまでは「祇園社」の篇額が掲げられていましたから、1869年(明治2年)に「八坂」と称されることになったのは無理なく決まったことだったと思われます。ちなみに佐藤彦五郎が万延元年(1860)に奉納した「祇園社」の篇額も残されています。

その翌年、明治3年(1870)は、もともと本宿(日野駅の北東)にあった普門寺と牛頭天王社が現在の位置に遷座されて、300年にあたる年でした。(引用終わり)

 

鳥居に掲げられている「八坂社」の篇額は、明治7年(1874)、佐藤俊正(彦五郎)の願いによって有栖川宮二品熾仁親王が特に書かれたものを飜刻したものです。

 

こちらは昭和40年頃の八坂神社。現在のように社殿を完全に覆う覆殿ができる前の様子が分かります。

 

こちらは現在の社殿です。参拝する社殿の中に、当時の古い社殿が風化を防ぐように丸ごと収められています。 古い社殿を守るように新しい社殿が建てられているのは覆殿と呼ばれています。

 

社殿の前の狛犬です。向かって右側。口を開けています(阿形)。

 

向かって左側。口を閉じています(吽形)。

 

社殿にお参りします。中に見えるのが1800年 (寛政十二年) に再建された本殿です。

 

こちらは本殿の説明になります。周囲には江戸後期の華麗な彫刻装飾が施されているそうです。

 

八坂神社(当時は牛頭天王社)に奉納された天然理心流奉納額の説明です。大小さ二本の木刀が架けられています。日野市観光協会のHPから以下に引用します。

天然理心流の創始は寛政元年(1789)ころと推定されています。創始者の近藤内蔵之助長碑裕は長江(静岡県)の人でしたが、二代目三助は戸吹(現八王子)、三代目周助は小山(現町田)、四代目勇が石原(現調布)と多摩地域と縁が深く、名主や豪農、八王子千人同心を中心に農民の間でも習われていました。 

安政5年(1858)に奉献された剣術額には日野宿の剣士たち23名と近藤(嶋崎)勇、客分として沖田(惣次郎)総司の名が連ねてあります(引用終わり)。

 

 

本殿の左手の八幡社。中には青面金剛像と弁財天が奉納されています。外からは見えません。

 

右手には手水舎。COVID19の感染対策のため水は流れていません。

 

八坂神社は個性的な御朱印で知られているそうです。

 

記念に2枚の御朱印を購入しました (^^)。

 

神社横の掲示板のポスターに本殿の写真が紹介されていました。近くで彫刻を見てみたいです。例大祭と、ひの新選組まつりの時に、本殿と天然理心流奉納額が公開されるそうです。例大祭では宮神輿の渡御も行われます。新型コロナウイルスが収束してからですかね。

 

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今年も八王子七福神めぐり 2021.1.5

2021-01-06 17:25:50 | Weblog

国の要請をうけて今週いっぱい会社は休業です。有給休暇ではないので給料は減額されます。しかも休業中に1都3県に緊急事態宣言が発令されそうで、単身赴任先の茨城県に戻っても職場に出社できるかどうか微妙なところです。茨城県からどのような要請が発表されるのかにも注目しています。

さて昨日は寒の入り。暦とは裏腹に雲が多く、寒さが緩んだ1日となりました。八王子では最低気温-1.0℃、最高気温9.7℃を観測しています。朝方まで広がっていた薄雲が消えて午前中は青空が広がってきたので、毎年正月のイベントとなっている八王子七福神めぐりに出かけてきました。今回は昨年と同じコースで、自宅から長房町の吉祥院へ向かい、南新町の伝法院へ東進することにしました。昨年一緒に歩いた奥さんは仕事なので、今年は一人に戻りました。

 

今年の冬は雨や雪が全く降らないので南浅川は干上がっています。南浅川橋から横山橋の先まで、完全に川底が露出しています。

 

東横山橋の手前からようやく水溜まりが現れ、今年初めてカワセミの姿が見られました。

 

長房町の吉祥院に到着。ここから七福神めぐりスタート(正確には吉祥院を加えて八福神)。

 

こちらが吉祥天です。吉祥天の上には鐘があり、例年は自由に撞くことができます。今年は新型コロナウイルス感染症予防のため、大晦日も含めて一般人にはクローズされていました。

 

高尾山飯縄大権現が祀られる高尾山遥拝所。鳥居の先がご本尊の高尾山となります。その先には富士山がそびえています(姿は見えません)。

八王子の七福神めぐりは10年以上も続けてきているため七福神の紹介は省略します。例年と違ったり今まで気づかなかったイベントや風景を中心に紹介していきます。

吉祥院から宗格院、了法寺を経由して元本郷町の善龍寺にやってきました。

ここには走大黒天が祀られています。例年は本堂の奥に安置されている走大黒天。ことしは新型コロナ対策のため入口近くにお目見えしていて、間近に拝むことができました。

 

大きなお腹の布袋様が祀られている信松院。境内に併設されている「カフェ 金照庵」のメニューです。元旦から営業しているようです。お昼が近いため誘惑に駆られかけましたが、何とか打ち勝ちました。

信松院から金剛院へ向かう途中、八王子郷土資料館に寄り道しました。

ちょうど企画展が開催されていて、恵比寿・大黒天の像のほか、七福神やお正月のおめでたいものが展示されていました。いくつかを紹介します。

 

恵比寿・大黒天の木像です。佐藤光重さんの作品で昭和40年に制作されました。

 

こちらは、木食白道による江戸時代後期の作品のようです。

七福神の中でも恵比寿と大黒天の二神は、さまざまな福徳をもたらしてくれる福の神として親しまれてきました。恵比寿と大黒天の像は一対で台所の高い場所に祀られます。1月20日と10月20日のえびす講には、大盛にした御飯や煮物、尾頭付きの魚などを恵比寿・大黒天にお供えします。1月のえびす講は恵比寿様が稼ぎに出かける日で、10月のえびす講の日に仕事から帰ってくるといわれています。

 

こちはも縁起物のダルマです。招き猫がダルマを抱えています。上段中央のダルマはコロナ禍の時代らしくマスクを着けていました。でもマスクが大きくて目まで隠されてしまいました。

続いて金剛院、本立寺へと向かいます。

今年は日蓮聖人御降誕800年の節目の年を迎えるようです。本立寺では3月28日に記念法要が行われます。

 

七福神めぐりの最後は恵比寿天が祀られる伝法院。大黒天と一緒に安置されています。正面からは恵比寿天しか見えないように左側の扉が半分閉まっていました。

今年はコロナ禍の中での実施となり「密を避けて、自己管理の上、参加をしてください」と呼びかけられていました。近年人気の御朱印帳については、各寺院が予め用意した「ご朱印紙」(1枚300円)の渡しとなるので注意が必要のようです。平日ということもあってか人出は例年よりかなり少なく、密を心配する必要はありませんでした。

 

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赤い月の出と東京スカイツリー 2021.1.4

2021-01-05 18:11:30 | 日の出・月の出

昨夜は月齢20日の赤い月が東京スカイツリーの近くから昇りました。21時53分の月の出です。

 

年末に紹介した月齢16日の月の出はネオンが輝いているかのように真っ赤に燃えていました。しかし昨夜の月はほんのり淡く控え目です。

 

東京スカイツリーの少し北側からゆっくりと昇っていきます。

 

47km先の東京スカイツリーは22時まで青色の特別ライティングが点灯されています。

 

22時を過ぎて橙色に変化する頃、東京スカイツリーのライトアップが終了となってしまいました。

自宅マンションから東京スカイツリーの方角は80.5度(真北を起点に時計回り)。昨夜の月の出は79.6度でした。あと0.4度ほど東寄りから5分ほど早く昇ってくれれば、赤い月にゲイン塔トップのLED照明が重なっていたところでした。

自宅での東京スカイツリーと太陽や月との共演は老後の楽しみにとっておきます(笑)。ただし事前準備も必要で、将来は自宅だけでなく、八王子城跡や高尾山、本沢ダムの展望台まで活動範囲を広げていきたいですね。そこまで網羅すれば1年中楽しめます。参考までに自宅からみた今までのベストショット(2014年9月4日)は以下の記事に紹介してあるので再掲します。茨城県単身赴任が続いていると東京での活動が休日に限定されてしまうので辛いところです。

 

OGPイメージ

東京スカイツリーから昇る朝日 2014.9.4 - ウリパパの日記

昨日に続き朝日を見ようと思っていたところ寝坊しちゃいました。気付いたら5時15分。上空は低い薄雲が垂れ込めていますが、東の空は明るい。カメラ...

東京スカイツリーから昇る朝日 2014.9.4 - ウリパパの日記

 

 

 

 

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朝日ヶ丘富士見公園からのダイヤモンド富士 2021.1.4

2021-01-04 20:03:32 | ダイヤモンド富士

今年の正月休みは冬らしい寒さが続きました。今日は一転して柔らかい日差しに恵まれました。朝のうちまで南の空に雲が広がったため八王子の最低気温は-1.9℃と冷え込みが和らぎ、日中は11.1℃まで上がっています。富士山方面も快晴で絶好のダイヤモンド富士日和です。

今年は1日12500歩を目標に設定しました。ところが正月の歩数を振り返ると、元旦 10484歩、2日 10620歩、3日 7780歩といずれも目標に達せず、累計で8616歩も未達です。今日は少しでも挽回したいので、午前中に高尾山までトクトクブックに1月号のスタンプを押しに行き、夕方からは東めじろ台の朝日ヶ丘までダイヤモンド富士を見に行きました。当初は自宅近くの十二社神社でキャッツアイ狙いと考えていましたが、少しでも歩数を稼ぎたいので、急遽、行き先を変更です。

 

自宅を15時45分に出発。約30分で朝日ヶ丘の富士見公園に到着しました。日差しは比較的柔らかく、それほど眩しさも感じません。

 

もうすぐ日没です。全く雲が無く富士山の稜線が鮮明に見えます。

 

着地しました。

 

上空の寒気も抜けて富士山上空には雪煙もあがっていません。山頂に沈む太陽が肉眼でも鮮明に見えました。

 

富士山頂の真ん中に沈みます。明日は丸い太陽が中央に乗りそうです。

 

 

今日のように雲や雪煙も無い気象状況では、何となく変化に欠けますね。油断していたら最後の輝きを撮り損ねてしまいました(笑)

 

日没後のシルエット。富士山の影も現れません。

 

コンデジで富士山のシルエットをズーム。年末にようやく冠雪した富士山ですが、今日、長沼の実家へ行く途中で見たときには、再び黒い地肌が姿を現していました。

今日の歩数は22043歩。一日中歩いていたような印象です。4日間の累計は50927歩。1日平均で12731歩。目標クリアです。

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きみさらずタワーからの夜景 2021.1.3

2021-01-03 23:42:08 | 千葉県

正月休みは今日で最後となりました。八王子では最低気温-3.9℃、最高気温6.9℃と風の冷たい一日でした。今年の正月は平年よりやや低めの気温で経過しています。

奥さんと娘は明日から仕事。息子も明日から学校です。ところがパパは正月休みは明日まで、しかも今週いっぱい休業が決定し、仕事始めは1月12日となってしまいました。今日は午後から正月休みに帰省していた娘を木更津まで送ってきました。木更津到着後、スーパー(イオン)で買い物を済ませてから、「きみさらずタワー」に登り夕焼けと夜景を見てきました。コンデジを持ち合わせていなかったので、iphoneで撮影した写真となります。

 

きみさらずタワーは木更津駅東側の太田山公園にある展望台です。夜景スポットとして有名ですが、娘は訪れたことない(自転車で登るのがしんどいらしい)というので、奥さんと3人で車で訪れてみました。山の上の駐車場から歩いてすぐのところにタワーがあります。

 

タワーに登ると、なかなか見事な展望です。東京湾の先に富士山を遠望します。正面は木更津、左奥は君津です。

 

富士山をズーム。iphoneのズームはこれが精いっぱい。東京湾の先には横浜方面の街並みを遠望します。

 

東京方面の夜景も綺麗です。東京タワーや東京スカイツリーを遠望します。

 

東京タワーから東京スカイツリー方面をズーム。東京タワーの右手前はレインボーブリッジ。東京タワー左側の四角い光はどこでしょうか。。。東京湾アクアラインからも目立ちました。

コンデジでズームしたかった。次回はコンデジと三脚持参ですね。春分の日と秋分の日の前後には木更津からダイヤモンド富士も見えるようです。地図で確認すると木更津の真西に富士山が位置しています。

 

ところで今夜は、しぶんぎ座流星群が極大をむかえています。上空には薄い雲がかかり月も出ているため、観測には適しません。流星観察は断念します。

 

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地元十二社富士見峠からのダイヤモンド富士 2021.1.2

2021-01-02 17:45:02 | ダイヤモンド富士

この正月は久しぶりに家族が揃いました。親のところへのお年賀の挨拶も控えているため、自宅でのんびり過ごしています。ダイヤモンド富士の見学もお休みとしたいところです。しかし、夕暮れ近くなると西の空や富士山ライブカメラを見たりソワソワ(笑)。自宅から歩いて10分足らずの十二社神社南側にある富士見峠から、富士山の山頂がちょこっとだけ見えるので、昨日、今日と続けて日没の時間に合わせて散歩に出かけてきました。今年の目標と設定した12500歩/日に少しでも近づけることもモチベーションです。

 

今日の太陽は富士山頂の左肩に沈みそうです。昨日ほどの眩しさはありません。

 

左肩に着地しました。

 

今日も山頂に雪煙が舞っています。カメラのファインダー接眼窓には太陽の前面にヴェールのような雪煙がシルエットになって見えています(写真には写りません)。

 

 

太陽の頂部が富士山頂の中央に沈んでいきます。

 

最後の輝き。

 

 

昨日よりも穏やかな夕暮れでした。今日の八王子の気温は最低-4.3℃、最高9.4℃。昨日とほぼ同じですが、湿度が高いためでしょう。

 

参考までに、昨日元旦の太陽はこちらです。今日に比べると着地点は山頂の1/3位南側となっています。明日あたり山頂の中央に着地しそうです。検証してみたいところですが、明日は娘を千葉県まで送っていくのでダイヤモンド富士観察はお休みとなります。

 

 

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迎光HMを掲げた高尾山トレイン 2021.1.2

2021-01-02 11:27:51 | 電車

新年早々の鉄ネタになります。今年は新型コロナ蔓延のため京王ライナー迎春号が運休となったためHM掲出車は運用されていないだろうと思っていたところ、先ほど高尾線で迎光のヘッドマークを掲出した高尾山トレインに遭遇しました。

狭間駅前のポストに年賀状を出しに行った帰り、上椚田橋から狭間駅を見下ろすとカメラを構えた方が1名。急いでコンデジを取りに自宅へ戻り上椚田橋でスタンバイ。10時25分にやってきた各駅停車高尾山口行は高尾山トレインです。なるほど。10月に紹介したように、霊気満山高尾山の日本遺産認定を記念したヘッドマークが高尾山トレインに掲出されているので、正月早々記念撮影と思いパチリ。

 

あれ? よく見ると霊気満山高尾山 迎光と記載されています。これは初めてみるヘッドマークです。

 

狭間駅に停車します。

 

ヘッドマークをズーム。高尾山一帯が日本遺産に認定されたのが昨年6月。それ以来初めて迎えるお正月なので、初お目見えのヘッドマークですね。

 

高尾山口で折り返し、高幡不動行各駅停車として上り線にやってくる高尾山トレインをマンションの敷地内からパチリ。なかなか良いアングルです。もう少しズームしたかった。準特急なら2時間間隔に高尾山にやってきます。でもこの車両は高幡不動駅で車庫に入ってしまうので、今日は運用されないかもしれません。

 

鉄ネタついでに、昨年末に高幡不動駅で見かけた多摩動物園線のキッズトレインを紹介しておきます。

最近電車に乗る機会がめっきり減ったので、このラッピング車を間近に見るのは初めてでした。

 

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令和3年 初日の出はまずまず 2021.1.1

2021-01-01 16:55:53 | 日の出・月の出

2021年が始まりました。今年も城山湖近くの金刀比羅宮神社に初日の出を見に行ってきました。

今朝の八王子の最低気温は-4.6℃とやや冷え込みました。放射冷却が強まった観測地点では青梅-6.2℃、府中-5.8℃など-5℃を下回る寒さを観測しています。冬型の気圧配置で上空は快晴。しかし昨夜懸念の通り房総半島の南東海上には冬型特有の筋状の雲が残り、雲の上からの日の出となりそうです。

 

駐車場の混雑が予想されるため例年より早く6時20分過ぎに金刀比羅宮に到着。鳥居の下は、例年参拝客で密状態となっていますが、今年は疎ら。ところがこの寒さの中、東側に開けた階段添いには、日の出を待つ人がずら~っと並んでいます。

 

展望台近くは昨年以上の密状態。下の道路で見ようか迷いましたが、空きスペースを見つけたので、そこで日の出を待つことにしました。東には東京スカイツリーから東京タワーにかけてのパノラマが広がります。こちらの方面には雲がありません。

 

続いて日の出の方角にあたる横浜ランドマークタワー。房総半島の先の太平洋上には雲があり、雲の間からのご来光となりそうです。

 

寒さの中待つこと20分。雲が赤く焼けてきました。雲が無ければランドマークタワーの先に御来光が見えているはずです。

 

ようやく雲の上から太陽が姿を見せました。

 

オレンジ色に染まる初日の出。

 

 

ゆっくりと昇っていきます。

 

2021年の最初の太陽が姿を現しました。

 

朝日を浴びて東京スカイツリーや新宿副都心のビル群が輝きます。

 

八王子のサザンスカイタワーの先には筑波山と加波山を遠望します。加波山から北側は霞の中。北関東の日光方面は雪雲の中でした。

 

今年の正月は冬型の気圧配置が続き、穏やかな晴天が続きそうです。昨年4月から薬剤師として千葉県で一人暮らししている娘が激務の中、昨日自宅に戻ってきました。一方、息子は卒業論文の準備中(4月から大学院)。そしてパパは一番暇しています(しかも政府の要請を受けて1月11日まで休日延長)。正月に家族全員が揃うのは2年ぶりのことで、カメラ片手に日中ふらふら出かける訳にはいきませんね。そして明後日には娘を千葉県まで送っていく予定です。高尾山への初詣や八王子七福神巡りは来週に予定しています。

 

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