ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

ロックンロール人生

2014-03-12 15:56:12 | 東京フラッシュバック

まったくもって残念。
吉祥寺のバウスシアターが、5月で閉館。
およそ30年。ワタシの東京人生とほぼ同時に始まり、同時にバイバイするんですね。

80年代のニューウエーブなライブイベントから、マイナーな映画、爆音レイトショーなど、バウスは同世代進行形でもあり、まことにもってありがたい劇場でした。
バウスでちょっと気分良くなって、帰りに酔舎というロックバーへ寄って、混雑する駅へは行かず井の頭通りから住宅街を迷いながらテクテク西荻まで帰るのがちょっとした楽しみでした。

何の映画を観るかはさほど重要でなく、どこを散歩して、どこの映画館へ行って、どこに寄り道して帰るかが大事。そのときの風景や空気を思い出すと、なんとなく観た映画を思い出すくらいで良いかと、、、誰と行ったかは不必要、だって映画は一人で観るもんです。


ところで、吉祥寺と言えば70年代末、ジャズ喫茶の吉祥寺マイナーを無理矢理ライブハウスにしたり、パンクフィルム上映会で壇上の音楽評論家渋谷陽一の頭にビールをかけたりしたと言われる、最凶の酒乱・川田良(the fools他)さんが1月末に亡くなりました。まったく残念なバイバイです。

まだワタシが20代の若造だった頃、まだお洒落ショップも少なくアングラ文化を引きずるうらぶれた下北が好きで、よく飲みに行っていました。
ある夜、電車が通る度にゆれるようなボロくて薄暗いロック飲み屋で、ヴェルベットだのオンリーワンズだのの話をしてると、それまでうつむいていた“その後のニールヤング”みたいな強面の男が声を掛けてきました。
袖をまくり上げ、腕の注射の痕を見せ

「私は、半年で止めました」

「これのおかげで、女房に逃げられました」と、、、

上京したての頃は、下北近辺に住んでいましたが、その後中央線に引っ越してからは、あの辺の70年代から続くロック飲み屋へは行かなくなりました。

それからそれから、、、
2011年頃、aka-jamというトリオのジャムバンドのリーダー・アカさんを交えてセッションをやるようになり、原宿のように地方のティーンエイジャーが憧れる街に変身した下北に度々行くようになりました。時にはベース二台だったり、aka-jam+ワタシだったり。
夕方スタジオを出ると、時代から取り残されたような下北駅前市場の露天ロック飲み屋へ行って、一杯やるのが定番に。
そこで、店に借りていたらしいお金を返しに来ている男を見かけました。どう見ても朝からもしくは前日から飲み続けているかの泥酔ぶり。それが最後でした。

生きてるうちに一度でも、川田良がギターを弾く姿を見ておけば良かったと今更ながらyoutubeを見て思いました。
日本のパンク黎明期、オシャレな東京ロッカーズとはちびっと違い、村八分や頭脳警察からの流れを汲んだロックンロールの王道。酒とケンカと女が大好き(なはず)
Jungle's / Break Bottle(Dr.はaka-jam、The GOD etc...の清さん!)


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