ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

「この恨み、晴らさでおくべきか」ではない、恨の碑

2013-05-19 08:32:58 | 読谷
「連休中、どこへも連れてってもらえなくて、ヒビビ、心萎えちゃった。」
と、生まれつきの泣き顔ですが、その表情はいつもより悲しげ。

観光客から、地元民大移動の混雑を避けて5月連休は遠出せず、主に読谷村内を散歩。徒歩3分の丘の上に、日本の侵略戦争末期、沖縄に強制連行され、虐殺された元朝鮮人軍夫を刻んだ「恨(ハン)之碑」というのがあります。

「恨 (ハン) 」とは朝鮮語で、発散できず、内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。単なる恨み辛みではなく、怒りや悲哀など様々な複雑な感情をあらわします。
ブラジルには「サウダージ」、ロシアには「トスカ」という素敵な言葉があり、日本にも「暗愁」という言葉がありました。
しかし平安時代から使われてきた「暗愁」の文字は、いつの間にか消えてしまいました。戦後合理化の波の中で、日本人は悲しみという人間的で大切な感情の存在を否定し、明るさ・快適さだけに価値をおいて走り続けることを強いられたためです。ちなみに、永井荷風が小説で使ったのが最後ということです。

「マイナス志向はこころと体によくない、泣くこと悲しむこと、嘆くことは、後ろ向きでよくない」
いやいや、違います。
嘆き悲しむことで、生きるエネルギーがふつふつと湧き上がってくるんです。

とはいえワタクシ、連休が終わってからちょっと塞ぎ込みがち。

心萎える状態というのは病気ではなく、この世には必ず存在するもので、いかなる努力をしてもなくすことは出来ないもの。さらにこの感覚は喜怒哀楽というように、人間が生きていく上で大変に重要な意味を持つ感情で、治す必要のないもの。むしろその存在を受け入れ、ともに生きるという決意をすることによって、生きる力が与えられるもの。

とはいえワタクシ、このじとじとの沖縄の梅雨、軽くは乗り越えられる気がしません。
こんな時、歌があってよかったと思います。

Phew / Novo Tono - 夢の半周


山本精一氏の羅針盤にはピンとこなかったワタシですが、ソロのカバー集やPhewとのニッポンフォーク的な作品群には、かなり共鳴してます。




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2 コメント

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知らなかったっス (a1)
2013-05-20 10:51:50
恨の碑ですか~、そんなものがあったとは・・・。
朝鮮民族と琉球民族には、結構似かよったところがあるな~、と、東京に在住して以来、在日コリアンの方とお付合いさせてもらうたび思います。
ウチのオヤジは、台湾の方にシンパシィを持っていたとオフクロから聞いた事があります。
サウダージというコトバを知ったのは五木寛之のエッセイでしたが、夕焼けを見るたびにそのコトバを思い出します。
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「青年は荒野を (Unknown)
2013-05-20 22:42:26
メザシ食いたい」
恨(ハン)の碑には、近所にすんでるキンジョーさんの彫刻が飾られてます。
ワシは、琉球は特殊、特別、別の島と思ってます。リュウキュウ、、、リュウギュウ、、、リュウギュウジョウ!

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