数年前に大分へ移住した友人から、
素晴らしい荷物が届いた!
中身は、非常に貴重なミツロウと、たっぷりの蜂蜜!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/16/8a8bc6eed01940bc0af3a4d92d2cf28b.jpg)
もちろん国産。
と言うか、
都会の京都を出て、心機一転、養蜂をやっていたのだ。
彼は、京都でも老舗の文化的ゲストハウスの元オーナー。
ワタシが脱サラして東京を脱出しようとしていた頃、知り合った。
東北の震災の前だったか、後だったか、、、
で、ゲストハウスについてちょっと。
まず、ゲストハウスという言葉の意味。
京都や沖縄とは違い、東京では、地価が高すぎるせいかバックパッカー用の安宿が中々できなかったため、共同で住むシェアハウス=ゲストハウスという言い方の方が主流だった。
が、この10年位でバックパッカー用の安宿が下町を中心に増えてきた。最近ではちょいと高めだけど、新宿や池袋にも。
ウエディングなどで利用される一棟貸しきりの施設や、お客さんをもてなすための戸建ての施設で、母屋に対する呼び名として使われることもあるが、
ワタシがここで言うところの「ゲストハウス」は、
旅行者のためのドミトリー等を含む素泊まりの安宿で、
特徴としては、お客同志、オーナー、スタッフと情報交換や交流が広がる場所、というような感じ。
ゲストハウスに似た存在として、「ユースホステル」
日雇い労働者が泊まるいわゆる「どや」
「ネットカフェ・漫画喫茶」
が、ある。
中でもユースホステルは、海外で始まった宿泊のシステムで、70年代日本の若者の格安旅行に欠かせない存在だった。
セルフサービスが基本で、いろんな規則があるが、宿自体に楽しみや出会いがあり、フォークギターをバックに皆で歌を歌うなどの青春イベントがあったりした。
未だに北海道や沖縄の宿でも、同種の青春宿は存在する。そして、青春と言えども、オヤジが混じっていたりする。
安宿の歴史としては、今でも残ってるのが「木賃宿」
江戸時代、街道沿いの旅籠の中で最も安い宿で、米などを持参して燃料費としての薪代(薪=木)のみで泊まれることから、そう呼ばれたよう。
やがて、明治以降都市部の貧民街に増殖、不潔で劣悪な施設となり「どや」と呼ばれるようになる。
終戦後から高度成長末期の70年代頃まで、季節労働者(出稼ぎ)を受け入れるための施設として多数のどや街が形成されるようになった。
やがて、工事現場の機械化や工場のオートメーション化により労働者需要が減り、故郷や家族から縁が切れてしまった季節労働者の老後のねぐらに移行したり、海外バックパッカーが利用するような宿に変貌していく施設も出てきた。
ワタシが初めてゲストハウスのドミトリーを経験したのが、たしか90年代初頭の京都。
名前も場所も、どうやって見つけたかも記憶がない。
それまで、旅行と言えばひなびた温泉宿か湯治場(これはこれで凄い宿泊施設だった)ばかり泊まっていたワタシは、
宿なのに、ただの民家(町屋?)というのにビックリし、
玄関から呼んでも誰も出ず、ドアを開けようにも鍵が掛かっていて、そうしてるうちに中にいたお客さんらしき金髪のオネェさんがドアを開けてくれてビックリし、
泊まる部屋が、押入れというか筒の中の布団だけの空間であることにビックリし、
宿の客が西洋人ばかりで、台所で自炊したり、テーブルで談笑している風景に、不思議な感覚をもった。
やがて、2000年を過ぎると、清潔できちんとシステムが整った、ジェイホッパーズ、五条ゲストハウスゲストハウス、などのゲストハウスが登場した。このあたりが、日本の老舗ゲストハウス。
その後、京都や沖縄で増え続け、2010年を過ぎると、東京や大阪でもできはじめ、地方の都市でも次々と増え続けていった。
同時に廃業するところも多々あった。
2010年前後辺りは、語学力のある元バックパッカーがdiy精神とコミュニケーション力をもって、空屋をセルフリノベし人を集め地域と繋がり共に盛り上げていくという、地方再生の一端を担うゲストハウスの存在が目立った気がする。
それに対して、最近ではカプセルホテルのような格安で泊まれるだけのドミトリー宿が増えてきた。
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素晴らしい荷物が届いた!
中身は、非常に貴重なミツロウと、たっぷりの蜂蜜!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/16/8a8bc6eed01940bc0af3a4d92d2cf28b.jpg)
もちろん国産。
と言うか、
都会の京都を出て、心機一転、養蜂をやっていたのだ。
彼は、京都でも老舗の文化的ゲストハウスの元オーナー。
ワタシが脱サラして東京を脱出しようとしていた頃、知り合った。
東北の震災の前だったか、後だったか、、、
で、ゲストハウスについてちょっと。
まず、ゲストハウスという言葉の意味。
京都や沖縄とは違い、東京では、地価が高すぎるせいかバックパッカー用の安宿が中々できなかったため、共同で住むシェアハウス=ゲストハウスという言い方の方が主流だった。
が、この10年位でバックパッカー用の安宿が下町を中心に増えてきた。最近ではちょいと高めだけど、新宿や池袋にも。
ウエディングなどで利用される一棟貸しきりの施設や、お客さんをもてなすための戸建ての施設で、母屋に対する呼び名として使われることもあるが、
ワタシがここで言うところの「ゲストハウス」は、
旅行者のためのドミトリー等を含む素泊まりの安宿で、
特徴としては、お客同志、オーナー、スタッフと情報交換や交流が広がる場所、というような感じ。
ゲストハウスに似た存在として、「ユースホステル」
日雇い労働者が泊まるいわゆる「どや」
「ネットカフェ・漫画喫茶」
が、ある。
中でもユースホステルは、海外で始まった宿泊のシステムで、70年代日本の若者の格安旅行に欠かせない存在だった。
セルフサービスが基本で、いろんな規則があるが、宿自体に楽しみや出会いがあり、フォークギターをバックに皆で歌を歌うなどの青春イベントがあったりした。
未だに北海道や沖縄の宿でも、同種の青春宿は存在する。そして、青春と言えども、オヤジが混じっていたりする。
安宿の歴史としては、今でも残ってるのが「木賃宿」
江戸時代、街道沿いの旅籠の中で最も安い宿で、米などを持参して燃料費としての薪代(薪=木)のみで泊まれることから、そう呼ばれたよう。
やがて、明治以降都市部の貧民街に増殖、不潔で劣悪な施設となり「どや」と呼ばれるようになる。
終戦後から高度成長末期の70年代頃まで、季節労働者(出稼ぎ)を受け入れるための施設として多数のどや街が形成されるようになった。
やがて、工事現場の機械化や工場のオートメーション化により労働者需要が減り、故郷や家族から縁が切れてしまった季節労働者の老後のねぐらに移行したり、海外バックパッカーが利用するような宿に変貌していく施設も出てきた。
ワタシが初めてゲストハウスのドミトリーを経験したのが、たしか90年代初頭の京都。
名前も場所も、どうやって見つけたかも記憶がない。
それまで、旅行と言えばひなびた温泉宿か湯治場(これはこれで凄い宿泊施設だった)ばかり泊まっていたワタシは、
宿なのに、ただの民家(町屋?)というのにビックリし、
玄関から呼んでも誰も出ず、ドアを開けようにも鍵が掛かっていて、そうしてるうちに中にいたお客さんらしき金髪のオネェさんがドアを開けてくれてビックリし、
泊まる部屋が、押入れというか筒の中の布団だけの空間であることにビックリし、
宿の客が西洋人ばかりで、台所で自炊したり、テーブルで談笑している風景に、不思議な感覚をもった。
やがて、2000年を過ぎると、清潔できちんとシステムが整った、ジェイホッパーズ、五条ゲストハウスゲストハウス、などのゲストハウスが登場した。このあたりが、日本の老舗ゲストハウス。
その後、京都や沖縄で増え続け、2010年を過ぎると、東京や大阪でもできはじめ、地方の都市でも次々と増え続けていった。
同時に廃業するところも多々あった。
2010年前後辺りは、語学力のある元バックパッカーがdiy精神とコミュニケーション力をもって、空屋をセルフリノベし人を集め地域と繋がり共に盛り上げていくという、地方再生の一端を担うゲストハウスの存在が目立った気がする。
それに対して、最近ではカプセルホテルのような格安で泊まれるだけのドミトリー宿が増えてきた。
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