当社は昭和50年の開業以来、本日で創業37年目を迎えた。
私が入社してからは26年が経過した。
その当時は礼金3ヶ月が主流だったものだ。
住宅クリーニングも鍵交換もほとんど行われておらず、即日入居可能の物件も結構あったものだ。
どことなく牧歌的で大らかな時代だったような気がする。
そして現在・・・契約条項はかなり変わり、細かくなり、添付書類がかなり増えた。
どことなく曖昧だった事柄が少しずつ明確化されつつあるのは良い事なのだが、同時にそんな事まで説明しなければならないのだろうか?と思うようなごくごく常識的な事柄も確実に増え、関連法規が整備され始めているが、明らかに消費者側に偏っている気がする。
さてさてこれから一体どの方向に向かって行くのか、じっくりと見て行きたいと思う。
これからも宜しくお願い致します。
息子の入学する高校の制服が届いた。ブレザーなので当然ネクタイである。結び方を教えて上げる。あれ?口で上手く説明が出来ない。息子にネクタイを巻いたまま逆側から教えると頭がこんがらがる。ネクタイを自分に巻いて、いつものように結んでみるが、考えながら巻くと手が動かなくなる。私も高校からネクタイだったのでもう約30年近くネクタイを巻き続けたが、「無意識」で結んでいる事に気が付く。
その昔、百足(むかで)が「どうやって歩いているの?足がからまない?」と訊かれてから、上手く歩けなくなった話を思い出した・・・
カセットコンロ用のボンベ、ヨーグルト、納豆・・・がなかなか手に入らないと妻が嘆いていた。
ヨーグルトや納豆はまだ我慢出来るが、ボンベは本当に我が家に在庫が無い状態で、震災後の節電中の寒い夜に鍋で暖を取る事が出来ない。お店に寄る度に在庫を確認するのだが、どこか「買占め用」と思われるのが嫌なので、平然と店内を歩き回ってはいるものの、目は忙しく「ボンベ、ボンベ」と商品棚を探す。
「本当に、本当に我が家には無いんですぅ。嘘じゃないんです。あったとしても使用分しか買いませんから・・・」とアピールしたくてもその術が無いので、結局店員さんに確認することもせず、そそくさと店を出て、熱した鍋を食卓に並べ、途中で何度か温め直す鍋を囲んでいる。
2006年3月25日から始めた本ブログが、昨日で6年目に突入しました。
当時中学生・小学生だった子供達も今春よりそれぞれ大学・高校へ進学します。
これまでの5年間の閲覧総数187418、総訪問者数76781でした。
ご覧になって頂いたみなさんも素晴らしいし、書き続けた私自身にも自画自賛です。
6年目は波乱の幕開けとなりましたが、早く心から晴れ晴れとした気持ちでブログを書きたいものです。
今後とも宜しくお願い致します。
23日に甲子園球場で開幕した第83回選抜高校野球大会。開会式での創志学園野球部・野山慎介主将の選手宣誓に涙が出るほど感動した。
宣誓。私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。「がんばろう!日本」。生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
節電のスーパーで「暗い」と文句を言っていた人も、
生協の配達で注文した品が届かなくて怒鳴っていた人も、
原発付近のナンバーの車を「怖いから移動させて」と苦情を言って来た人も、
とにかく頑張ろう有限会社やな瀬不動産
先日の新聞に「東大発 トイレの折り紙」なる記事を発見。何事か?と読み進める。
東大の折り紙サークルが、トイレットペーパーを使った折り紙づくりに取り組んでおり、ペーパーホルダーから紙を出した状態で、四つ葉のクローバーや動物などを形作る。ホテルのトイレでよく見掛ける三角折りの進化形である。軟らかくて折り難く、ふたつの角で、長さはいくらでも使えるが、決まった幅と限られた条件の中で、「龍」「折り鶴」「ネクタイ」等の発想が素晴らしい。
その中で「富士山」は私でも出来るお手軽作品だった。①2センチほど裏側に折る②中心に向かって両方の角を折ると、逆三角形が出来る③できた逆三角形を上に折る④ホルダーに挟んで完成~ほら私にも出来た。
【これが富士山】
記事の最後にサークル代表者の「次にトイレに入る人に、いろんなメッセージが残せたら面白い」とのコメントがまた素敵だった。その人の表情を思い浮かべるだけで何だか楽しい気持ちになるものだ
先日掲示したドラマ撮影現場探しの連絡。実はその連絡と同時期に同じテレビ局から全く異なる内容の電話が入っていた。その内容とは何と私への「出演依頼」だった。それも超長寿バラエティー番組からのオファーだった。各業種を取り上げるコーナーで「不動産業」を予定しているとの事。率直な感想は「何故私に?」だったので確認するとドラマ班はホームページトップのであったが、こちらは「ブログ」を読んでとの事だった。
事前にいくつか送られて来たアンケートに答えたが、週末に「翌週は他業種となった」と申し訳なさそうに連絡が入った。それから毎週そのコーナーを確認した。「ここに私が出演するのか?」と少し緊張しつつ、その時を半信半疑ながら待っていた。それから毎週末毎に同様の「延期連絡」が入った。余りにも申し訳なさそうなので「もしも決まった時点で連絡頂ければ結構ですよ」と伝えてから、しばらく連絡が途絶えた。妻は「新手の振り込め詐欺に進展するだろう」と予測していたが、そのコーナーも週を追う毎に内容が少しずつ変わって行ったので、これは企画変更で今回の出演も終わりなんだな~と思い始め、忘れかけていた頃に大震災・・・これでもうこの出演の話も恐らく終了だろう。でもちょっとだけ「全国デビュー」の夢を見せて貰ったのでそれだけで十分である。番組スタッフのMさん、またご縁があったら連絡お待ちしていますね。
番組名「笑っていいとも~あなたの(おそらく)知らない世界」
【明日は定休日となります】
日本や海外の著名人等を始め、多くの義援金や物資が集められている。ただ・・・金額を明示するのはどうかと思う。額に関係無く行為自体が素晴らしい事だと思うのだが、どうしても金額を比較してしまう。中には気後れしてしまう方もいるかも知れない。出来る事ならばせめて名前だけの公表にして貰えないだろうか?
また阪神・淡路震災の時に贈られたたくさんの物資は仕分けだけでかなりの労力を費やしたそうで、現在東京都庁では救援物資を品目限定して受付を開始している。
お金や物資が一日でも早く被災地に届けられる事を祈るばかりである。
震災から一週間が経過した。一時期より余震は少なくなったものの、街では今もガソリンを始め、各種食料品が品不足となっており、被災者へ物資を送りたくてもガソリンが足りずに運べない状況で政府は買占め自粛を呼び掛けている。優先順位を考えればどうすべきは明瞭である。
「ガソリンは運搬車を最優先とし、物資は自分たちの必要最低限な分だけを購入する」・・・ただ自分ではそうと分かっているつもりだが、店に飲料水や商品が残っているとつい多めに確保したくなる。
繁華街はかなり打撃を受けているのだろうと思っていたが、意外にも結構混雑しているらしい。帰宅困難回避や緊急出動に備えて会社の近くに宿を確保して、同僚と飲むのであるならばひとりで悶々としているよりも精神的には良いとは思う。ただこのような状況で以前から決まっていた予定ならばまだしも、改めて集合をかけてわざわざ出掛ける気にはまだなれない。現時点では飲んだり、遊んだりする娯楽の順位はまだまだ下位の方である・・・ただそうと分かっているつもりだが、今月末有効の映画の鑑賞チケットをじっと眺めている。
「こんな時こそ」なのか?「こんな時ならば」なのか?の判断は個人個人によってかなり違うようで、その優先順位が時には非常に怖い時がある。
震災後の初めての定休日は連休だった。久し振りにぐっすりと眠れた気がする。これまで連日最新情報を随時確認しようと思っていたが、精神的に気が滅入ってしまうのでこの二日間はテレビラジオもほとんど見聞きせず、時々余震があったものの、静かに静かに過ごした。
妻は万が一に備えてシューズを履いて恐る恐る電車で出勤して行った。公共機関を利用する通勤者の大変さは、自転車・徒歩通勤の私からすると想像以上である。
朝から無駄な電気は一切消し、照明は暗くなるまで最低限として、暖房器具は一切点けずに「彼」と一緒に毛布にくるまっていた。連休が明けると冬並みの気温に戻り、電力消費が増え、東京でも停電のニュースが流れた。帰宅すると家族は一箇所に集まり、厚着をして電源オフのこたつにくるまり、早々に布団に入った。翌朝は朝日の差し込む場所で朝食を食べた。不便ではあるが、被災地の皆さんと比べれば、そんな事は微々たることである。ライフラインが確保され、暖かい食事と寝場所があるだけで全く有難い話である。
新聞に掲載されていた言葉がとても素晴らしかった。
微力は無力ではない
これからも自分で出来る事を心掛けたいと思う。
Jリーグは三月の開幕を延期し、様々な大会が中止になっている中、プロ野球のセリーグは予定通り25日に開幕が決定した。賛否両論あるであろう判断ではあるが、元気と勇気を与えられるのはスポーツの最大の魅力である。ただ節電を呼び掛けている中での開催決定は少し時期尚早な気もする。しかし告知や集客の都合上、この時点での判断せざるを得ない事情も分かる。せめてデーゲームにしたらどうだろうか?球場内での販売物をすべていくらか値上げしてすべてを義援金にしたらどうだろうか?と思いつつ、「娯楽解禁」と「自粛」について考える。
数日前からテレビでCM(但し、AC:旧広告機構が主流)が放映されるようになり、バラエティー番組も少しずつ放映されるようになった。普段は観ないような番組でも、ほんの少しだけ現実から逃避出来、少しだけ気持ちにゆとりが出来る。最近では何でもないちょっとした事が嬉しかったりする。ただバレーボールの練習は節電の為、当面夜間の開放は中止との連絡が中学校から入った。市民レベルでは当然の決断で、まだまだ心情的にそんな気持ちにすらなれない。
今回のセ・リーグの決断が来週には正しかったと思えるような状況になっていると嬉しいのだが・・・
まだまだ予断を許さない緊迫した状況が続いています。
ただ先代たちはこれまで様々な困難を乗り越えて参りました。
私たちも後世にしっかりとバトンタッチ出来るようにとにかく冷静な判断で行動しましょう。
頑張ろう日本頑張ろう日本人
私たちは必ず乗り越えられるはずだ
やってやろうじゃないか
【こんな状況にもかかわらず本日は連休初日。申し訳ありません】
前夜に発表された「計画停電」の影響で、朝から新小岩の街は騒然となっていた。
八百屋さんや米屋さんやマクドナルドには長蛇の列が出来、新小岩駅のシャッターは閉まり「終日運休」の貼り紙。パン屋さんにもスーパーの棚からは商品が消え、百円ショップの電池はごく一部が残されていただけだった。
みんなそれぞれ殺気立ちながら我先にと商品を掴んでいた。
とにかく冷静になろう。
せめてお米さえあれば何かあってもとりあえず数日間は耐え凌げる。
大丈夫大丈夫・・・と全く根拠はないが、そう思うしか今は無いような気がする。
11日に起こった「東日本大震災」。
いつもは①「あっ地震っ」→②「もう治まるだろう」→③「治まった。震度〇くらいかな?」
で終わるものだが、今回は②から③の間が非常に長く、そのうち揺れが大きくなり、床が回るようにうねり、建物の軋む嫌な音ガラスが今にも割れそうなほど震え、遠くから悲鳴が聞こえ、近隣建物の壁が道路に少し崩れ落ちた。そんな時はびっくりするほど、何も出来ず、避難用の扉を開けるのが精いっぱいで、ただただ外を眺めるだけだった。本当に怖かった・・・恐ろしかった・・・
ようやく揺れが治まると家族の安否と同時に家族全員不在の自宅の「彼」が気になる。しかし家族の携帯は全く繋がらず、携帯でメールを送る。しかも息子は学校の遠足でディズニーシーである。 何でこんな時に・・・と思うのも束の間、事務所には「ガスが出ない」の連絡が相次ぎ、ご年配の入居者さんが「タンスが倒れて動かせない」と事務所に掛け込んで来たので、助けに向かい、出来る限り管理物件を回り、点滅しているガスメーターの復帰作業を行い、水道修理の手配、物件建物の状況確認等を出来る限り行った。
その後、急いで帰宅すると結構冷静だった「彼」にひと安心。ただ家族は誰一人帰っておらず、しばらくして錦糸町から歩いて帰宅した娘と無事をたたえ合う。そして三時間掛けて歩いて帰宅した妻が20時過ぎにヘロヘロになって辿り着いた。息子の中学校から「シーから出るのにも数時間を要す」「観光バスは液状化した道路と渋滞で遅れる」等の連絡が入る。そして学校に到着したのは日付が変わり1時を回っていた・・・その夜は避難袋を枕元に置き、リビングで家族四人でテレビをつけっ放しにしたまま寝たものの、途中で何度も「地震速報」のチャイムで目が覚めつつ、睡眠不足のまま二日目を迎えた。