休日の朝、「彼」との散歩。
いつもの公園には猫が数匹いて、「彼」は猫たちを見つけた瞬間に猛然とダッシュするので、猫たちは「猫の家をつついたような」騒ぎとなり、さーと居なくなる。
しかし・・・「彼」は気付いていない。たった一匹だけ残っている事を・・・ほら、木の真ん中に・・・
ちなみにそれはこの公園だけで、他の公園では「ただの通りすがり」に徹する内弁慶犬である。
【5/4(月祝)~5/6(水)まで連休とさせて頂きます】
休日の朝、「彼」との散歩。
いつもの公園には猫が数匹いて、「彼」は猫たちを見つけた瞬間に猛然とダッシュするので、猫たちは「猫の家をつついたような」騒ぎとなり、さーと居なくなる。
しかし・・・「彼」は気付いていない。たった一匹だけ残っている事を・・・ほら、木の真ん中に・・・
ちなみにそれはこの公園だけで、他の公園では「ただの通りすがり」に徹する内弁慶犬である。
【5/4(月祝)~5/6(水)まで連休とさせて頂きます】
【本日は定休日。予約投稿にて】
私の好きなスナックに「湖池屋のポテトチップス」「プリングルス」「歌舞伎揚げ」等があるが・・・
やはり最強は「かっぱえびせん」なんだと最近になってようやく気がついた。
この歳になってもやっぱりやめられない、とまらない・・・
毎日様々な出来事が起きる。
先日実際にあった話。間口の狭い一軒家に住まれている住民が、自宅前に自転車を駐輪出来るスペースがないので、道路を挟んでわざわざ向かい側のマンションの塀にその自転車を駐輪していた。マンションのオーナーさんも当社もそれは把握していたが、まあご近所付き合いもあることだしと黙認していた。するとある日、オーナーさんにその駐輪者から直接要望が入った。
自転車を停めると、(1階の)マンションの住民と目が合うので注意して欲しい・・・
本当、毎日様々な出来事が起きるものだ
【明日4/29(水祝)は定休日となります】
昨日は統一地方選の投票日だった。道端に設置された選挙用の掲示板は数日後には撤去されるだろう。非常に簡易的な掲示板ではあるが、これらを区内全域に設置するのは非常に経費が掛かっていることだろう。
これからも選挙はまだまだ続くので、その都度設置・撤去を繰り返すのであれば、最初からちゃんとした掲示板をしっかり設置して、選挙で使用しない時は、町の掲示板等で活用すればいいのに?といつも思ってしまう。まあ将来的には液晶画面の掲示板になる日もそう遠くはないだろうけどね・・・
ちなみに正方形の掲示板にして、「当選者ビンゴ」にしたらもっと投票率が上がるのに・・・という発想は不謹慎だな。
戦後70年特別企画「広島に原爆を落とす日」をサンシャイン劇場で観た。
【解説】『広島に原爆を落とす日』は、つかこうへいが1972年に発表した戯曲『戦争で死ねなかったお父さんのために』をもとに、1979年に『広島に原爆を落とす日』として初演され、大きな話題となった作品です。第二次大戦の中、恋愛など自由にならない男と女。海軍参謀本部に勤務する男の、究極の愛。プリミティブな社会情勢の中であぶり出される人間の滑稽さ、ユーモア、作者独特の視点が垣間見えるこの作品に、戦後70年の本年、脚色・演出の錦織一清と、戸塚祥太をはじめとする多彩なキャストが挑みます。
【出演】戸塚祥太(A.B.C-Z) 早織 蔵下穂波 阿南健治 曽我廼家寛太郎 藤山扇治郎
サンシャイン劇場での観劇は久し振りで、つかこうへい作にとても興味があったので意気揚々と劇場へと向かう。会場内はほぼ満席で、九割は女性だった。歌あり、踊りあり、笑いありの舞台で、たくさんの長~い台詞を役者さんたちみんな詰まることなく流暢にこなし、照明がとても効果的に使われていた2時間30分であった。ただ・・・歴史や舞台に疎い私にとってはなかなか難解だった・・・ごめんなさい
【ダイアモンドクロスの話】
松山駅に向かう途中、路面電車の線路と線路が道路上で交差する場所があった。非常に珍しい光景だったので、、帰京後に調べると・・・今では珍しい「ダイヤモンドクロス」と呼ばれるものでレールが踏み切りで交差するのは、松山市の伊予鉄の大手町駅前のここだけ・・・とのこと。
そもそも東京人にとっては路面電車自体が珍しい。
【蛇口からジュースの話】
ポンジュース発祥の愛媛県では「家庭の蛇口からポンジュースが出る」という都市伝説があるそうだが、その都市伝説が松山空港で体験出来るそうだ(毎月第3日曜日の10時から14時のみ)。何とも粋でお洒落な話である。そんな話を聞いていたので、お土産で売られていたTシャツにはつい笑ってしまった。
購入しておけば良かったな~
別子の疲れからか翌朝ホテルで目を覚ましたのは9時を過ぎていた。気が付けばあっという間の最終日である。身支度を整えて、目の前の松山城を目指す。ホテルの位置からロープウェーを経由すると遠回りになる為、果敢にも高台にそびえ立つ城を徒歩で向かう事にするが・・・こう配がここまで急だとは・・・こりゃ~敵も攻めるのも大変である。
松山城見学後、道後温泉を目指す。事前にホテルのフロントでも、松山城まで毎日二回ウォーキングする地元のおじ様にも訊ねたが、「歩くのはちょっと無理」との回答だったものの、再び果敢にも歩き出す。距離はそれなりにあったものの、約20分程度で「日本書紀」にも登場するわが国最古の温泉地・道後温泉に到着。その日は風が強く、肌寒く感じた気候だったものの、登頂とウォーキングで汗だくになったので、街のシンボルであり、映画『千と千尋の神隠し』に登場する「油屋」のモデルになったといわれている道後温泉本館(別名・坊っちゃん湯)で入浴を楽しむ。ちなみに本ブログで登場した「いねむり先生」での舞台としても登場していた。
熱いと聞いていたものの、私にはちょうど適温だったが、浴槽の深さが非常に微妙でゆったり浸かるには難しい高さであった。また脱衣所を挟んでふたつの浴室があり、地元のおじさまに訊ねると「基本的に同じだけど湯口の数が異なる」とのこと。もちろん二つの浴室を楽しむ。
漱石も浸かった歴史ある浴室であるが、地元の方は公衆浴場としても利用されている。地元民気分でタイムスリップをたたっぷりと堪能した後、道後ハイカラ通りで湯上がりブランチビールを楽しみ、松山出身の子規記念博物館を訪れた。
正岡子規は私にとって俳人・歌人よりも駅前に先月建立されたばかりの銅像が野球のスタイルであるように、ベースボールを自分の名前「升(のぼる)」とひっかけて「野球(の・ぼーる)」と名付けたイメージの方が大きい。ちなみに2002年(平成14年)に彼は野球殿堂入りしている。復元された漱石と一緒に暮らした愚陀佛庵を始め、この博物館が非常によく出来ていて、気が付いたら一時間近く滞在してしまった。
見学後、道後温泉駅前から空港行きのリムジンバスに乗り、強風に乗り、予定到着時刻よりも早く16時半に羽田空港に到着した。かなり歩いた割には翌日筋肉痛にならなかったのは道後の湯の効用のおかげだろうか?今回唯一の心残りは坊っちゃん列車に乗車出来なかったことだが、それはまたの機会にしよう。
雨の羽田空港を飛び立つ。松山空港までの705kmを約1時間15分で飛行機はオーバーランすることもなく無事到着。2006年8月の高知・2010年9月の徳島以来の四国へ上陸である。そう言えばひとり旅を始めたのも四国・徳島からだったな~と思いながらリムジンバスに乗り込み25分ほどで松山城のお堀に佇むホテルに到着。小休止をしてから、きっちりと刻まれた頭の中の地図に従って繁華街へと歩き出す。足の向くまま入ったお店でさざえの刺身でひとり乾杯。締めには名物の鯛茶漬けを注文。
翌日、9時過ぎの松山駅発・特急しおかぜに乗車し、朝食の駅弁(穴子弁当)と共に今回のメインである新居浜にある「別子銅山」を目指す。約1時間余りで新居浜駅に到着。駅前からせとうちバスに乗り込み20分ほど山を登ると終点・別子銅山(マイントピア別子)である。11時からのガイドツアーを申し込み、ほぼ満員状態のマイクロバスに乗り込む。バスはどんどん山頂を目指し登り続け、対向車とすれ違うのも困難な細い山道を登って行く。約25分ほどで別子銅山の中心地であった東平(とうなる)ゾーンに到着。東平とは・・・標高750mの山中にあり、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました・・・とのこと。最盛期は400世帯以上が暮らしており、小中学校を始め病院の分院や生協があり、山を削って校庭を作ったそうだ。
駐車場で降り、ガイドさんの先導で徒歩での見学が始まる。いきなり東洋のマチュピチュと称されている「索道基地・貯鉱庫跡」が眼下に広がる。インクライン跡を利用した220段の階段を下り、真下から見上げる。その後、今降りたばかりの220段を登り、歴史資料館を見学する。住友家の圧倒的なパワーとボランティア精神に感動しながら、表に出ると先程までの晴天が一変し靄がかかっていた。それがまた幻想的な光景で一時間足らずでふたつの表情を見せてくれた。
そして山道を下り、ぴったり二時間で出発地に到着し、見学コースは終了した。時間調整でランチを取り(ビールは飲まず)、新居浜駅までのバスに再び乗車し、松山駅まで戻ったのは16時を過ぎていた。2011年9月に見た軍艦島のように廃墟がほとんど残っていなかったのは残念であったが、達成感と心地良い疲れにその夜の「炭酸水」が五臓六腑に染み渡った。
【本日は連休最終日。予約投稿にて】
いつもランチ休憩で訪れる喫茶店。
最近BGMがボサノバに変わった。
軽快なリズムに・・・ついつい・・・
自分でも驚くほど熟睡してしまう
【本日は連休初日。予約投稿にて】
新しい物好きの妻の友人からのおススメの煎餅。いつも美味しい情報を提供してくれる。
「煎餅でしょ?そんなに違わないでしょ~」と口にした後、「美味ぇ~」とお約束のような反応をしてしまう。
いつもながらの彼女のアンテナの張り巡らせ具合にただただ感心しきりである。
15日に肺がんのため死去したタレントで俳優そして声優・ラジオパーソナリティ・エッセイスト・司会者の愛川欽也、享年80歳・愛称キンキン。
訃報を伝えるニュースを見ると・・・11PMから自ら企画したトラック野郎シリーズでの「やもめのジョナサン」、「なるほど!ザ・ワールド」「出没!アド街ック天国」の他に、声優としては「いなかっぺ大将」のニャンコ先生、「マッハGoGoGo」の覆面レーサー 役、「ハクション大魔王」のそれからおじさん役、そしておはよう!こどもショーのロバくん等・・・と私の幼い頃から現在に至るまでいつもキンキンと一緒だった事に改めて気が付く。ちなみに妻は「シャボン玉こんにちは」のイメージが強いと言っていたが、私は残念ながら全く覚えていない。
3月の「アド街」で新小岩から近い立石を特集していた週で「宣伝部長」を降板したのだが、その時に流れたVTR映像がとても弱々しく感じたのだが・・・私財を投じて作られたキンケロ劇場で自ら監督・脚本などを担当した最新主演映画「満洲の紅(あか)い陽」を主(あるじ)亡きまま18日に公開初日を迎えた。最期の最期まできっちりと仕事をこなしていた。
司会者として「居て当たり前」の存在であったキンキン。もうあの「おまっとさん」が聞けないんだな・・・合掌
【本日はCの誕生日。初めて会ってからもう13回目のバースデーだね。おめでとう】
明日4/21(火)~4/22(水)は当社連休となります
映画「俺たちに明日はない(1967年公開・原題BONNIE AND CLYDE)」を観た。
【解説】デイヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンの脚本から「逃亡地帯」のアーサー・ペンが監督した青春もの。撮影はバーネット・ガフィ、音楽はチャールズ・ストラウスが担当している。出演は製作もかねて「カレードマン 大胆不敵」のウォーレン・ベイティ、「夕陽よ急げ」のフェイ・ダナウェイ、「アメリカ上陸作戦」のマイケル・J・ポラード、「水曜ならいいわ」のジーン・ハックマン、エステル・パーソンズほか。アカデミー2部門を受賞(助演女優賞エステル・パーソンズと撮影賞)した。
実在した銀行強盗の話である。劇中に流れるバンジョーの音色が銀行強盗の重大犯罪を軽快にさせる。それがまるで主人公たちの気持ちのようにも思える。アメリカン・ニューシネマ(反体制的な人間の心情を綴った作品)の先駆けとして、アメリカ映画史上特別な地位を占める作品だそうだが、「フェイダナウェイが中山美穂によく似てるな~」とか「ポスターのフェイダナウェイの顔はないぜ」とか思ってしまうように、思っていた以上に夢中になれなかったのは、有名なラストシーンを知っていたからだろうか?
そしてラストシーンで2人が見つめ合う様子が交互にフラッシュで映り・・・罪人のラストは冷酷で呆気ない。それにしてもエステル・パーソンズの助演女優賞・・・不可解だ・・・
以前から気になっていた新小岩のお店を訪れた。
ホームページには・・・新小岩の赤白黒が基調のダイニングBarです。BGMは80年代の洋楽を中心にモニターで流し、Foodも人気の手作り生地のPizzaをはじめパスタやお肉料理お魚料理も楽しめます。日替わりメニューも('-^*)/ Drinkは下町のBarらしく酎ハイや厳選焼酎、日本酒なども取り揃えております・・・とのこと。
お洒落な内装は一瞬入店に抵抗があったものの、気さくなマスターが作る料理は、さすがダイニングバーだけあって料理もしっかりしており、しっかり酔えて、しっかりお腹いっぱいになって満足顔でお店を出た。
新小岩らしからぬお店の発見にまたひとつテンションが上がってしまったぜ
免許の更新後に、デニッシュパンを買いに行った。
ここは知る人ぞ知る超有名店で年中無休24時間営業しているパン工場である。住宅街の裏にひっそりと佇んでおり、いつも訪れる度に道に迷ってしまう。ここは2斤単位での販売なので、紙袋に入れた状態で手渡されるとずっしりと重い。久し振りに口にしたが、生地が濃厚でやはり美味い。もちろん焼き立てが一番美味しいのだが、レンジで軽く温めても十分に美味しい。
ちょっとした手土産にも最適で、新小岩から車で15分程度なのだが、ついつい存在を忘れてしまうのが欠点だ。
本日で49歳になった。49・・・クロマティ・・・
ここ数年、特別な感情が特別沸かない何とも微妙な年齢ではあるが、まずは無事健康で誕生日を迎えられた事は嬉しい限りである。
昨年の誕生日ブログにも、過去にも何度も(2013年6月他)登場している私の敬愛する今シーズン50歳を迎えるドラゴンズ・山本昌投手のインタビュー記事が先日掲載されていた。その中で「同世代の人の励みになっています」との問い掛けに彼が答えた内容がとても良かった。「逆に僕が励まされている。応援してくれることで、もっとやらないきゃと。あと年だから出来ないや、と諦めるのはちょっと違うと思う。やってみたら意外と出来るよ、と発信していきたいですね。」
う~ん素敵である。彼の魅力はやはり「有言実行」である。同世代の人たちはみんな彼に心酔してしまうだろう。そしてこの記事はこの言葉で締めくくられていた。「9割は今年で終わると思います。でも自分からやめたいとは思わないし、ちゃんとした成績でチームに貢献出来たら、また考えたい。でもチームが日本一になれば、いい花道だなという思いもあります。そういう意味では、選択肢はいっぱいあります。」
様々な面で色々な選択肢を増やして行く為の49歳を過ごさなければとならないな~いつも私の行動の根底にある「いつか遊びがモノをいう」を再度奮い立たせよう
40代最後の一年に自分自身大いに期待したいと思う。そうしないと何だか勿体無いな。