東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業50年を迎えます不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

梅しそにんにくチャーハン

2010年09月30日 09時28分51秒 | 美味しい話
休日に予定が無い時は、足元に「彼」が寄り添いながら、台所に立ってあれこれ料理を作る事が多くなった。先日作ったのは「梅しそにんにくチャーハン」

にんにくを弱火でよく炒め、ご飯と(たねを取った)梅と刻んだ大葉を一緒に炒め、最後に醤油を回し、バターを投入するだけの簡単料理である。梅の酸っぱさが食欲をそそる。ついでシャケをトッピングしてみた。(ちなみに梅干は自家製ッス

非常に好評だったので続けて作ってしまい、すっかり食傷気味になってしまったので恐らく当分は作らない幻の料理となってしまった。

余談だが大葉って高い。昔は実家の庭に普通に生えており、そもそも買う習慣が無かったので尚更そう感じてしまう。ポケットティッシュをわざわざ買うような感覚に似ている。

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勝つと負けるとでは大違い

2010年09月28日 09時34分31秒 | バレーボールの話
先日までの猛暑が嘘のようにすっかり秋の気配になった日曜日にバレーボールの大会が開催された。チームには怪我人が続出し、当日の出場メンバーは軽傷を含めて七名の状態だった。つまりほぼフル出場しなければならない。不安だ・・・大丈夫か・・・肌寒い気候に期待をするが、当日気温は25℃まで上がって行った

昨年から続く連敗は引き分けを挟み8まで伸びていた。もちろん今季未勝利である。残すところこの日を含めてあと大会はふたつだけである。もし未勝利で終われば平成7年以来15年ぶりの出来事になってしまう。ヤバいぜと思いつつ、一回戦目・・・連敗はあっさりと9に伸びていた・・・

しかしチームの繋ぎも良く、また雰囲気も悪くなかったので、期待を持ちながら次の敗者戦に挑んだ。一セット目を取るものの、二セット目の肝心な所で私の連続ミスで失ってしまう。非常に申し訳なく、情けなさと不甲斐なさと心弱さで第三セット目に交代を申し出るが、同級生の副キャプテンからのゴーサインでそのままコートに入る。

必死だった。とにかく必死だった。ふくらはぎはピクピクし始め、思考力も薄れ始め、体力は限界を通り越し、弱気になりつつあった気持ちを声で振り払い、ひたすらボールを追いかけた。そして接戦の末、最後にこちらのスパイクが決まり、連敗がストップした。つい涙がこぼれそうになったが、タオルで顔を拭いて隠した。

良かった・・・とにかく勝てて良かった。その後の反省会は約一年ぶりの祝宴だったので、笑顔が弾けてしまい、お酒も美味しい。勝つと負けるとでは大違いである。数日経過したがまだ体中が痛い。でも勝利の余韻がそれをカバーしてくれているこれがあるからバレーはなかなか止められない。

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写真展「たい焼きの旅」

2010年09月27日 09時31分30秒 | 二代目のつぶやき
北千住で開催されていた写真展「たい焼きの旅」をたまたま休校だった娘と二人で観に行った。ん?何?「たい焼きの旅」って?・・・フリーカメラマン須藤美香さんが、たい焼きを携えて世界34ヶ国を訪れたもので、「こんな場所にたい焼き」のミスマッチが微笑ましい。



今回の会場である「千住宿歴史プチテラス」は、横山家の土蔵を“蔵造りのギャラリー”として復元したもので、昭和63年4月に「区民の活力あるそして安心して暮らせるまちの創造」を目指して設立された足立区まちづくり公社が、まちづくりに関する情報提供、技術的援助を通じて、区民のみなさんの自主的なまちづくり活動を側面から支援及びまちの快適環境の整備や区施設の効率的な保全を行っており、同様のギャラリーが足立区にはいくつも存在している。



これがまたいい感じのギャラリーだった。





たい焼きがすぐに見つかる作品もあれば、なかなか見つからない作品もある。たい焼き探しだけだけでも楽しめる。もしもたい焼きが居なければごくごく普通の作品である。「何でたい焼き?」の文字ばかりが頭を駆け巡るが、それがまた楽しい。そんなお茶目なセンスが溢れる愛くるしい作品たちが所狭しと展示されている。



作品の殆どが右下にたい焼きがあり、同じ方向を向いていた。作者さんがギャラリーに居たので、質問してみると「箱詰めして持参するので、どうしても片面が潰れてしまう」との理由だった。なるほどね~ちなみにたい焼きを「立てる」にはコインを数枚下に敷いているそうだ。



私と同じ撮影好きな娘と撮影構図について話が盛り上がりつつ、楽しい気分のままギャラリーを後にした。

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試合結果と暗雲

2010年09月26日 08時23分58秒 | 野球の話

デーゲームで行われていたジャイアンツの試合結果を知らない私は、その夜友人に訊ねた。すると友人は苦笑い・・最近の不甲斐ない戦いぶりに落胆慣れしている私はすぐに敗戦を予想するが、「嘘ぉ~ん勝ったよ」と友人の言葉にホッとした・・・ん?どこかで見た事のある光景だ・・・突然幼い頃の記憶が蘇った。

野球に興味を持ち始めた小学生の私はある夜、ジャイアンツの試合結果を知る為、スポーツニュースを見ていた。結果をすでに知っていた父に「勝ったか負けたか言わないでよ」と告げると「負けたよ」と父が答えた。「言っちゃ駄目じゃない」と隣の母が文句を言うと「嘘に決まってるじゃないか」と父が怒鳴り、テレビの前は険悪なムードになり、暗雲が漂った。



負けた→嘘→・・・結果が分かっているスポーツニュースは当然のようにジャイアンツの勝利を伝えていた。

ついそんな事を思い出した・・・デジャヴだわね・・・まだまだ諦めるなジャイアンツ・・・

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阿波踊りの旅~鳴門編

2010年09月25日 09時45分00秒 | ひとり旅の話
早いものでもう最終日である。この日の徳島は朝から曇り空で、昨夜の天気予報では午後からの降水確率は40%になっていた。まあ私にとっては全く無縁の話だろう。



これから鳴門まで足を伸ばして「渦潮見学」である。ホテルをチェックアウトし、眉山に別れを告げ、徳島駅から二両編成の高徳線で池谷駅まで行く。乗車時にはバスのように乗車券を取らなければならないシステムのようだ。地元の高校生たちに混じりながら、車窓には別れを惜しむかのように眉山がいつまでも追いかけて来る。眉山を振り切り、池谷駅で鳴門線に乗り換えて鳴門駅に到着。そこからバスに乗り、大塚国際美術館を通り過ぎ、約30分で終点の鳴門公園で下車する。

【下は瀬戸内海でこの左の遊歩道を歩く】

まず最初に今年開館10周年を迎えた「渦の道」へと向かう。遊歩道が今年開通25周年の大鳴門橋の下に併設されており、雄大な鳴門海峡の景色を左右に眺めながら、淡路島方面に450メートル先まで海上散歩出来る。(ちなみに東京に帰った後、横浜ベイブリッジ下のスカイウォークが21年目で赤字の為に閉鎖されるとの記事。頑張って~)



遠くに和歌山県が見える。途中4箇所に設けられたガラス床からは渦上45メートルが覗き込めるが、少し足がすくむ。他の見物客もみんなガラス床を避けて歩く・・・



事前に「潮見」の時間を調べておいた。この日の満潮11時10分に合わせて移動して来たが、時間になってもイメージしていた「グルグルゥ~」にならず、良く見れば渦巻いているって感じだった。後でスタッフさんに確認すると「満潮時は淡路島側で、干潮時は鳴門側で観れる」との事・・・下調べの甘さはいつもの事だ。



その後、東洋一長い「エスカヒル鳴門」のエスカレーターに乗り、展望室から鳴門大橋を一望する。



するとたった二時間余りで観る所が無くなってしまった・・・予定ではここから直接バスで空港入りするつもりだったのだが、まだ出発時刻まで五時間もある。どうしよう・・・とりあえずバスの時刻表を確認しながら、鳴門駅に帰るべきか?徳島駅まで戻るべきか?それとも・・・とあれこれと対策を練った結果、再び徳島駅まで戻り、二時間弱滞在してから空港に向かう事にした。

徳島駅まで約1時間半のバスの旅であったが、車窓を眺めるのが好きな私にとっては程良い時間である。大塚製薬の大きな倉庫や物悲しい海岸線を眺め、「降りるはずだった」徳島空港を通り過ぎ、今朝別れを告げたばかりの眉山に再び出迎えられる。今回実に四回目の阿波おどり会館のお土産コーナーへ行き、事前に調べておいたお薦めのお土産「すだち」「なると金時(さつまいも)」「すだち」「ねじりはちまき」等のお土産を買い込み、ランチを食べて、慌ただしく駅前から再びバスに乗り込み空港へと向かった。

【「彼」のお土産「ドッグヌードル~さぬきうどん」】

【実に怪しげなパッケージ】

空港に到着するとバードストライクの影響で出発が30分遅れるとのアナウンスが流れるが、出発ロビーで放映されていた「阿波おどり」のビデオを食い入るように見ていたので気にもならなかった。ついでにその放映されていたDVDを空港で最後のお土産として購入してしまったが、パッケージがどうにも「そっち系」のDVDに見えてしまう・・・

それにしても阿波踊りを実際に目にしてさらにその素晴らしさに感銘を受けた旅だった。いや~本当に素敵だった。帰ってからこの感動を周りに伝えたのだが、家族を始め、友人も誰も相手にしてくれない・・・世の中ってそんなものだ。だったら一人でもぜってぇ~もう一度行ったるでぇ~と誓いつつ、毎日のようにDVDで踊り方を見て練習しているのであった(おわり)

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阿波踊りの旅~眉山編

2010年09月24日 09時33分56秒 | ひとり旅の話
阿波おどりの感動も冷めやらぬままにそのまま五階へ移動し「眉山ロープウェイ山麓駅」へと向かう。



「眉山(びざん)」の標高は290m。天平時代、淳仁(じゅんにん)天皇の兄にあたる船王(ふねのおおきみ)が、「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟とまり知らずも」という歌を万葉集に残している。天平6年(734年)春三月に、聖武天皇の難波行幸にお供したときに詠んだものといわれ、眉のように雲のあるところに見える阿波の山とは、眉山を指していると言われている。古く万葉の時代から、美しい稜線が女性の眉の形のようだといわれ、多くの人々の心にそのシルエットを印象づけてきた・・・との事。



確かにその市街地に寝そべるように横たわる心優しいシルエットは徳島の人々をいつも見守っているかのように思える。



小さなゴンドラが二台連なって登って行く。物凄い「男臭」のお兄さんと同じゴンドラに乗る。小さな空間は一瞬で「彼色」に染まり、私は無表情のまま小さな窓から必死に新鮮な空気を吸いこんでいた。ものの数分で頂上に到着したのだが、逃げるように一番に飛び降り、頂上の新鮮な空気をさらに吸い込んだ。少し落ち着いた頃、展望場から町を見下ろすと吉野川大橋はこんな遠く(画像○印)に小さく見える。よくもまあ~あんな所まで行ったものだね~と・・・ひとり旅はこんな時に分かち合える人が居ないのが少しだけ寂しい。



映画「眉山」ではもちろんこの場所で撮影されている。

【ビルマ戦で戦った兵士の慰霊に建てられたパゴダの塔】

地元の高校生と思われるカップルや徒歩で登頂している地元の人も居た。ほんわかとした午後の眉山で、すっかり今回のメインイベントが終了してしまった私は自転車の疲れがドッと出て、脱力感のままボーと徳島市内を見下ろしながら一服する。そして15分間隔で出発している下りのゴンドラへとそそくさと乗り込んだ。ゴンドラの発車ベルが鳴り、今度は貸切だ~と快適なゴンドラ乗車に胸を撫で下ろしているとゴンドラは急停止し、乗客が慌てて乗り込んで来た。振り返らなくても「鼻」だけで誰だか分った・・・マタオアイシマシタネ・・・(つづく。次回いよいよ感動のフィナーレ)

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阿波踊りの旅~阿波踊り編

2010年09月23日 09時41分30秒 | ひとり旅の話
いよいよ阿波おどりである。阿波踊りの起源は諸説あるが、私は蜂須賀家政によって徳島城が落成した時,その祝賀行事として城下の人々が踊った「築城起源説 天正15年(1587年)」が好きである。踊り続けて400年、今や日本はもとより世界にも名高く、2004年アテネ五輪で銀を獲得したシンクロの衣装や音楽にも阿波踊りが採用されている。



阿波踊りは毎年8月12日から15日までの4日間開催されるのだが、徳島県民の人口26万に対して県外から一日約35万人が訪れるほど大きなイベントである。先輩の言っていた「尋常ではない祭り」の意味が遅ればせながら分かる。



会館の2階にある「阿波おどりホール」に入る。専属連「阿波の風」が歴史から踊り方等を40分間に渡って解説・実演をしてくれる。踊りや音楽は当初かなり地味であったが、終戦・高度成長を経て現在のように「魅せる」踊りに変化して行った経緯もなかなか興味深い。そして目の前で初「おどり」を披露される。指先からつま先まで男女共「粋」で「いなせ」でとても格好良く、目頭が熱くなるほどの感動を覚える。「これを観るためだけにわざわざ徳島まで来たんだよ~」と心の中で叫ぶ。



とにかく踊り手さんたちの笑顔が良い。見ているだけでこちらも楽しい気分になる。途中で椅子に座ったまま踊りの練習を見学者全員で行う。「男踊り」「女踊り」の二種類があるのだが、単純な二拍子で簡単そうに見えてこれが実際に踊るとかなり難しい。



そして最後には見学者全員がステージに上がり、阿波おどりを体験する。先程少しは練習したものの、立ち上がるとどうも勝手が違い、私の踊りはとても格好が悪くてどんくさく、綺麗に「阿波踊って」いない。難しいものだな~と客席に戻ると、参加者の中でいつの間にかレイを掛けられている三名がステージに残り、表彰されていた。そんなシステムがあるなんて・・・リベンジを心に誓う。

それにしても何とも魅了される踊りと音楽である。これが男性だけ、女性だけまたは単独ならばこれほど私を惹き付けなかっただろう。「連」と言う各グループの特色と揃いの法被、息の会ったフォーメーション。そしてその裏にはかなりの練習量が想像される。それらを含めてこれだけたくさんの人々に感動と元気を与えてくれるのだろう。

と言う事で来年は必ず開催時に行こうと強く心に決めるのであった。

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阿波踊りの旅~周遊編

2010年09月20日 09時55分16秒 | ひとり旅の話
ついに阿波踊りを見物だぁ・・・と思ったが、次の公演時間には団体が三つ入っていると聞き、一時間後の公演に変更し、再度会館を離れ「ひょうたん島周遊船」に乗ることにした。最初に書いたように徳島駅周辺は川で囲まれており、船で一周が出来る。その形がひょうたんに似ているのでひょうたん島と名付けているそうだが、口の悪い人は「ゾウリムシ」と呼ぶとか呼ばないとか・・・



この周遊はなんと乗船料が0円(別途保険料100円)なのである。町おこしの一環としてNPOが運営しているのだが、その採算度外視の心意気に惹かれて、今回必ず乗船しようと決めていた。



受付簿に住所と名前を記入して、次の乗船時間まで整備された川辺を散策する。ちなみにこの新町川水際公園も映画「眉山」の撮影スポットである。乗船時間前に再び集合すると乗船者は私一人だけだった・・・私さえ居なければ休めたのに悪いな~と思いつつ、小ぶりな定員14名乗りの船に乗り込む。「東京からですか?」と気の良さそうな船長さんに訊ねられる。貸切なので私も船長も気を使いながらの会話が数分続き、いよいよ出航となった。



比較的新しいポートにエンジン音がとても静かで良い感じだ。先頭付近に座っている私に後方の船長がマイクで名所を説明してくれるが音量が小さく「右に見えますのが・・・○■※△で・・・」と詳細な説明が聞き取れない。とりあえず説明しているであろう方向に顔を向けて頷く姿勢を続けた。貸切だもの・・・そりゃ気を使うさ・・・



先程見学して来た徳島城跡を背後から見る。一部城壁は当時のままだそうだ。徳島県庁舎の横にヨットハーバーがある川のある町ならではのシチュエーション。川越しに見る眉山はまた良い感じである。



合計22本の橋の下をくぐるのだが、橋桁が非常に低く、手をのばせばざっくり触れそうな距離。橋によっては頭がぶつかりそうな程の近さになり、つい腰をかがめてしまう。スリル満点の乗船である。ワニが出て来ないジャングルクルーズと言った感じだろうか?約25~30分の乗船時間と書いてあったが、20分弱で到着した。貸切バージョンは恐らく高速なのである。船長にお礼を言い、いよいよこの日三回目の阿波おどり会館へと戻った。(つづく)

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阿波踊りの旅~吉野川越え編

2010年09月19日 09時35分47秒 | ひとり旅の話
この日の徳島は気温30℃であったが、川や山や緑を通り抜ける風のおかげで東京のような「酷暑」では無かった。

吉野川大橋を越える。吉野川は古来、坂東太郎(利根川)・筑紫次郎(筑後川)と並んで「四国三郎」と呼ばれた大河であるが、それに相応しい立派な川幅であった。橋の全長は約1kmもあり先端が見えない。橋を渡る前に音楽を「埠頭を渡る風」にセットし、ユーミンに気分を盛り上げて貰いながら漕ぐ漕ぐ漕ぐ・・・でも橋の先端が見えて来ない・・・気が付けば曲は橋の途中で次の曲に変わっていた。



橋を渡り切り、振り返ると吉野川越しに出発地点の眉山が遠くに見える。海側には24年完成予定の徳島東環状大橋が見える。徳島に縁もゆかりもない東京人が吉野川沿いを自転車でひたすら走っている光景は自分でも可笑しかった。



目的地は人形浄瑠璃芝居「傾城阿波の鳴門」の主人公板東十郎兵衛の屋敷跡である「阿波十郎兵衛屋敷」だった。国の重要無形民俗文化財である「阿波人形浄瑠璃」を見学したかったのだが、道に迷ったせいで上映時間には間に合わず、館内の展示品をフラフラと見学した。



いつか「農村舞台」と「襖からくり」や徳島県の正月儀礼である「三番叟まわし」は拝見したいものだ。(ちなみにここも映画「眉山」のロケ地である)



そして先程来たばかりの吉野川大橋を再び渡る。自転車のバッテリーがもう半分しか残っていない。間に合うのだろうか?とにかく広大な徳島城跡地に着く頃には1/4に減っている・・・心配だ・・・



徳島駅付近を抜ける。ポストの上から至る所に「阿波踊り」のオブジェが飾られている。それらを見物しながら、阿波おどり会館には約束の30分前の13時30分頃に到着。走行時間合計約三時間半、バッテリーはもう点滅し始め、顔はヒリヒリしていてかなり焼けていた。そう言えば昼食をまだ食べていないや・・・(つづく)

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阿波踊りの旅~自転車編

2010年09月18日 09時27分20秒 | ひとり旅の話
やばい目覚めると時計は8時を指している。少し寝坊した身支度を整えて慌てて9時から街に飛び出す。この日も当然のように晴天である。晴れ男伝説は四国でも続いている



ヤシの木が立ち並ぶメイン通りから眉山がそびえ立つ。初対面の眉山は圧倒的な存在感である。最初に眉山の麓にある「阿波おどり会館」へと向かう。阿波おどり会館は、本場の阿波おどりの醍醐味を一日数回専属連の実演により味わえ、一緒に踊ることも出来る会館であり、ミュージアムや眉山頂上に登るロープウエイ乗り場も併設されている。今回のメインは何と言っても阿波踊りであり、「徳島ひとり旅」のメイン会場ではあるが、この時点ではまだ入館はしない。ここで自転車を借りる為に立ち寄った。



「自転車はどれにしますか?ママチャリ・マウンテンバイク・電動自転車・・・」ママチャリと同料金で電動も借りられるようだ。電動未体験だったので当然電動を選択する。4時間分の料金500円を支払うと「14時『ぐらい』に返して下さい」と気の良さそうなおじ様が大らかな時間設定を告げられ、ペダルを漕ぐ。グゥーンと前に進むのはなかなか快感である。



知らない街を自転車で走るのは気持ちが良い。街角にはお遍路さんの街だと実感する看板がいくつかあり、それらを横目にペダルを漕ぐ。何故だか徳島には至る所にローソンばかりがある。



神社を見つけては自転車を停めて参拝する。



徳島ラーメンの超有名店「東大」。しかし今回営業時間が合わず未食だった。



地図は頭にすっかり入っていたつもりだったが、たくさんの川の蛇行が少しずつ私の頭の地図を混乱させ、一時間ほど走り続けた頃から現在地が全く分からなくなった。頼りは眉山の位置だけだ。何度も振り返り眉山の位置と自分の位置を確認するが、あまりにもアバウト過ぎて途中から「ここはどこ?私は誰?」状態で半ば泣き顔で交番で道を訊ねる。地図を確認すると思っていた以上に進んでおらず、とっても親切なお巡りさんからまるで赤子に接するように何度も何度も道順を繰り返して説明して頂く。再起動した頭の地図と共に次の目的地までペダルをさらに加速させた(つづく)

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阿波踊りの旅~上陸編

2010年09月17日 09時39分12秒 | ひとり旅の話
18時に羽田空港到着。二月以来七ヶ月ぶりの羽田はすっかり陽が落ちていた。徳島までのフライト時間は私にとって快適な1時間15分。小ぶりな機内に入り、座席に座わり、いつものようにホットアイマスクを装着して軽く眠りに付く。機内は満員だった。



1時間余りの飛行時間は離陸したかと思ったらすぐに着陸態勢に入り、瞬く間に徳島あわおどり空港に到着だ。地元鳴門の大企業である大塚製薬の大きな広告看板が出迎えてくれる。最終便と言う事もあり空港は人の行き来も少ない。来月からANAが就航すれば随分と変わるのだろうか?空港の外に出ると悲しくなるほど真っ暗だった。目の前に停車しているバスに乗り込み徳島駅へと向かう。車窓にはコインパーキングの「24時間=300円」の文字。安いじゃないか・・・極端に街灯の数が少ない暗闇の道をひた走る。市街地に入ってもオフィスビルには照明が付いているフロアは無く、車はそれなりに走っているものの人通りは決して多くは無い。



約30分で徳島駅に到着。時刻は20時半近くになっていたが、駅前ロータリーは深夜のように閑静だった。ホテルにチェックインし、部屋で一服すると時間はもう21時を過ぎていた。



徳島駅周辺は、吉野川下流の分流・新町川と助任川に挟まれた「ひょうたん島」と呼ばれる中州になっている。中洲・・・博多・・・私には「縁」のある地形だ。頭の地図を頼りに、遅い夕食を食べに繁華街へと向かう。LEDで装飾された橋は、阿波踊り期間中はもっとライトアップされるとの事。徳島の象徴である眉山は暗闇で見えないが、それは明日のお楽しみにしよう。とにかく人が歩いていない。先月阿波踊りが終わり、徳島県民は皆魂が抜けた状態なのかも知れない。本当に繁華街方面に進んでいるのか?と頭の地図に自信を失いかけてしまいそうになる頃、ようやく繁華街に到着した。



薦められた徳島ラーメン店に入る。画像には映っていないが、どんぶりの横には徳島名産のすだちが小皿に乗っていて、それを途中で絞るとすっきり味わいになり、二回楽しめるとの事。確かに新しい味だ・・・メインは明日である。今日はもう疲れたから早く寝ようっと(つづく)

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130km

2010年09月16日 09時17分02秒 | 野球の話

香典返しでグローブが届いた。何十年ぶりの新品である。子供の頃と同じくグローブに顔を近づける。真新しい皮の匂いが広がる。手に取って硬い革質を自分好みの形に馴染ませて行く作業が楽しい。

早速息子相手にキャッチボールをする。彼にちゃんと野球を教えていなかったので、捕球の仕方や投げ方は酷いものだ・・・無責任な親だと少しだけ後悔するが、そんな事よりやはり野球は楽しい。手に馴染んでいないグローブは取り難いが、それでもやはり笑顔が溢れてしまう。

野球チームに入る訳でもないが、ひとつだけ目標がある。それは「130kmのボールを投げる」事である。44歳で野球部無所属の親父が130kmを投げたら面白いだろう。20歳の頃に一度スピードガンで計測した事があるが、その時は115kmが出た。普通ならば「じゃとりあえず100km」を目標にするべきなのだろうが、それだと恐らく比較的早い段階で到達してしまうだろう。ならば130kmと全くノープランでの目標数値となった。44歳の自分は果たして何キロが出るのか?

友人にその話をすると「そうしたらチームを作ろうぜ」と盛り上がったが、もし投げれたとしても恐らく1球が限界である。また投げ終えた後は肩を押さえたままピッチャー交代になるだろう。さらにこの話では「ストライクゾーンに130km」とは言っていないのでひとりの打者も打ち取れない可能性が大だろう。



さてどうなるのか?今後もしひと言も触れなかったとしたら、その意気込みだけは褒めて上げようじゃないか

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徳島ひとり旅

2010年09月13日 09時25分21秒 | ひとり旅の話

本日一時間だけ早退して羽田空港へと向かう。

行き先はかねてから計画していた、そう「徳島」である。最終的に今回阿波踊り開催期間中は外しての上陸なので、周りからの「何で?」の声も理解出来るが、いつか来る「本番」に備えての下見だと答える。でも説得力には欠ける・・・いつものように事前にあれこれと調べた結果、徳島の地図や名所は殆ど頭に入った。まるで徳島観光大使のようだ。

また今回は誰と会う事も合流する事も無い、高校生以来の全くの完全なるひとり旅である。周りからの「何で?」の声も理解出来るが、いつもの「放浪癖」だと答える。もろちんこれも説得力に欠ける・・・電車・バス等の公共機関をあれこれと調べると、それほど本数が出ていないので一本乗り遅れると大変な事になってしまう。まあ遅れたら遅れたで何とかなるさの自由気ままなひとり旅。う~ん素敵。気の向くままフラフラプラプラしよう。



ではではあと九時間後、私は機上の人となる

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オーメンの犬

2010年09月12日 09時34分14秒 | 「彼」の話
「何て犬の種類なの?」

先日散歩途中に偶然会った先輩からの質問された。月一度開催される飲み会での事。もう二十年以上続いている数少ない内輪の会で、私がメンバーの中で一番若い為、「若僧扱い」される数少ない会でもある。

「あれはドーベルマンです。夕方で暗くてよく見えなかったと思いますが、新種なんです」とミニチュアダックスの画像を見せる



それから犬を飼いたいと言う他のメンバーも加わり、しばし犬談議となった。「あれがいいらしいよ。コー・・・なんとか」「コーギーですか?」「そうそうコー『ジ』ー」と繰り返すが、すでに言葉が違っている。酔いも手伝ってかいつしか「コー『ビ』ーはね・・・」とまるでもうコーギーの三段活用のように変化して行ったが、もちろんそのままにする。

そして話はどんどん進み「あの犬がいいな~何だっけな?あの・・・あれあれ・・・」と考えに考えた挙句に出て来た言葉は「オーメンに出て来た犬」だった・・・



オーメンって犬って出て来たっけ?と気になり翌日調べてみた。ダミアン少年を守る謎の黒い犬はロットワイラーと言う犬種になるそうだ。



幼い頃、映画館で観て怖くて夜に寝られなかったオーメン。「首ちょんぱ」で有名だったオーメン。先輩にとっては「犬」の印象が深かったのだろう。



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一年ぶりのフォーラム~見つめ合う

2010年09月11日 09時16分37秒 | 二代目のつぶやき
フォーラムでの話。

約5000名もの参加者を受付する為、受付の「シマ」は全部で四列あり、各列に四名が入口に直角に並ぶので通常一番手前で受付をする人が殆どである。手前から三番目を担当していた私は比較的手持無沙汰であった。横で補助をする研修会スタッフが奥での受付を誘導するが、やはり一番手前の受付に人が溢れてしまう。

どうにか私の所で受付が増えるようにと、まだ受付が済んでいない参加者さんに向かって、手を挙げて受付を誘導する。するとそれに引き寄せられるように受付者が増える。声を出すとさらに増え、最後は目を見ながらだと約80%の確立で「見つめられた」参加者さんは、わざわざ遠くの私の所で受付をしてくれるようになる。人の心理は面白い。店頭で声を掛けられるとついつい入店してしまうような感じなのだろうか?

そのおかげでこの日はまずまずの「繁盛店」だった

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