3年に一度開催される現代アートの国際展である第6回ヨコハマトリエンナーレ2017が横浜美術館他横浜赤レンガ倉庫、開港記念館で始まりました。
今回のコンセプトは、「島と星座とガラパゴス」というタイトルのもと「接続」と「孤立」からアートを通じて世界の今を考えるとなっており、意味深な課題を掲げています。
今回の展示会では、世界のアーテイスト40組の作品が3会場でテーマに対して様々な視点からの現代的なアートが展示されています。
横浜美術館の正面玄関の外壁と柱には、救命ボートと難民が使った救命胴衣を掲げて難民問題に関するインスタレーションの場となっていました。



館内のグランドギャラリーでは、2000本のインドネシアの竹を使って独自の手法で作られた巨大なしめ縄の造形が置かれています。
作品を通じて失われてつつある伝統文化と自然との共生を訴える作品のようです。




貝やサンゴを配置した島国のイメージを描いた作品です。


マレーシアの伝統的な織物に由来する部族の酋長シリーズ作品では、スプーンやネジなどの日用品が編み込まれた立体作品です。

虹色のような鮮やかな縞模様にブロックを配した作品です。

対照的に墨絵のよう墨の濃淡で描いた作品ですが、何を描写しているでしょうか???

さらに印象に残る鉛筆の繊細な濃淡で描かれた鉛筆画ですが、年月の経過を物語る人体の皺や血管の容貌が描かれた手足の孤独と合掌の作品です。


元ハンセン病患者の横顔は、孤独な逆境の中で尊厳を維持して壮絶な人生を歩んだ人々の包容力など人間の存在感を浮かび上がらせています。

タクラマカン砂漠に冷蔵庫を運んでビールを飲む民族問題やシルクロードの歴史を表現するインスタレーションです。

展示場に突然現れた無限のトンネルですが、トンネルの裏側は奥行きが2Mも無い空間でどこにも繋がりが無くマジックにかけられた思いでした。からくりは判りませんでしたね~

北極熊は、色鮮やかな羽で覆われて親熊と小熊が愛らしい姿ですが、 ”芸術のために立ち上がらなければ”と謎かけのようなタイトルが付けられています。


高い壁に吊るされた人形は、作家の分身として孤独を表現しているようです。

人形の下には、約3000個の蟹が生息する状況が見られますが、中国語の検閲を意味し権力との闘いを表現されているようです・・・


多くの大作を観て感じたのは、紛争や難民・移民の問題、ポピュリズムの大塔にアーテイストの視点で、孤独と孤立に対して「世界の今を考える」機会でしたが、価値観の相違も大きく疑問を残しながら次の会場へと向かいました。
今回のコンセプトは、「島と星座とガラパゴス」というタイトルのもと「接続」と「孤立」からアートを通じて世界の今を考えるとなっており、意味深な課題を掲げています。
今回の展示会では、世界のアーテイスト40組の作品が3会場でテーマに対して様々な視点からの現代的なアートが展示されています。
横浜美術館の正面玄関の外壁と柱には、救命ボートと難民が使った救命胴衣を掲げて難民問題に関するインスタレーションの場となっていました。



館内のグランドギャラリーでは、2000本のインドネシアの竹を使って独自の手法で作られた巨大なしめ縄の造形が置かれています。
作品を通じて失われてつつある伝統文化と自然との共生を訴える作品のようです。




貝やサンゴを配置した島国のイメージを描いた作品です。


マレーシアの伝統的な織物に由来する部族の酋長シリーズ作品では、スプーンやネジなどの日用品が編み込まれた立体作品です。

虹色のような鮮やかな縞模様にブロックを配した作品です。

対照的に墨絵のよう墨の濃淡で描いた作品ですが、何を描写しているでしょうか???

さらに印象に残る鉛筆の繊細な濃淡で描かれた鉛筆画ですが、年月の経過を物語る人体の皺や血管の容貌が描かれた手足の孤独と合掌の作品です。


元ハンセン病患者の横顔は、孤独な逆境の中で尊厳を維持して壮絶な人生を歩んだ人々の包容力など人間の存在感を浮かび上がらせています。

タクラマカン砂漠に冷蔵庫を運んでビールを飲む民族問題やシルクロードの歴史を表現するインスタレーションです。

展示場に突然現れた無限のトンネルですが、トンネルの裏側は奥行きが2Mも無い空間でどこにも繋がりが無くマジックにかけられた思いでした。からくりは判りませんでしたね~

北極熊は、色鮮やかな羽で覆われて親熊と小熊が愛らしい姿ですが、 ”芸術のために立ち上がらなければ”と謎かけのようなタイトルが付けられています。


高い壁に吊るされた人形は、作家の分身として孤独を表現しているようです。

人形の下には、約3000個の蟹が生息する状況が見られますが、中国語の検閲を意味し権力との闘いを表現されているようです・・・


多くの大作を観て感じたのは、紛争や難民・移民の問題、ポピュリズムの大塔にアーテイストの視点で、孤独と孤立に対して「世界の今を考える」機会でしたが、価値観の相違も大きく疑問を残しながら次の会場へと向かいました。
