国立科学博物館を見学後に、久し振りに上野恩賜公園をブラ散歩してきました。
科学博物館近くの輪王寺(両大師)に立ち寄ると、本尊の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂は開放されていました。
阿弥陀堂の屋根には、大きな擬宝珠と寺紋が見られますね。
境内には、天女や徳川家御紋などが彫られた素晴らしい銅灯籠が見られますが、その由緒は不明でした。
輪王殿の手前には、何故か文豪幸田露伴の旧宅の簡素な瓦葺の腕木門が谷中から移築されています。
輪王殿には、国の重要文化財に指定されている寛永寺旧本坊表門(黒門)が保存されていますが、弾痕跡や赤い菊のご紋が見られ黒漆で塗られ威厳のある重厚さを感じますね。
輪王寺から上野東照宮へ向かい、神門から参道に入ると、名物の約200基の石灯籠が並びその先の唐門が豪華に光り輝き徳川家の貫禄ですね
唐門の扉の両側には、左甚五郎作の豪華な昇り竜と降り龍が嵌め込まれています。
また、唐門前の両側には、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家より奉納された6基の豪華な灯籠が立ち、国の重要文化財となっていました。
唐門近くには、約50基の銅灯籠が置かれていますが、何れもその彫り物は他では見られない風格を感じます。
参道からは、旧寛永寺の五重塔が望めますが、全層が和風造りでこちらも国の重要文化財に指定されている重厚さを感じますね。
東照宮から不忍池へ回ると、既に時間はお昼を過ぎていましたが、蓮の花は殆ど見ごろを過ぎていましたが、僅かに短い花期を名残惜しんで咲いているのも見られました。
不忍池を一回りして辨天堂に参拝し、国利西洋美術館へ戻ると、ロダンの名作の彫刻が見られました。
「地獄の門」は、地獄への入口の門だそうで、多くの人達が何かを考えながら門をくぐる造形が施されているようです。
また、「カレーの市民」像では、英仏100年戦争時の6人の市民が描かれているそうです。
有名な「考える人」ですが、何を考えているのでしょうか?
恩賜公園入口の西郷隆盛(せごドン)も今の世相を想いながら何かを考えているようでした(笑)
猛暑が続く一日でしたが、上野の森をブラ散歩して歴史や文化を学んだ一日でした。
科学博物館近くの輪王寺(両大師)に立ち寄ると、本尊の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂は開放されていました。
阿弥陀堂の屋根には、大きな擬宝珠と寺紋が見られますね。
境内には、天女や徳川家御紋などが彫られた素晴らしい銅灯籠が見られますが、その由緒は不明でした。
輪王殿の手前には、何故か文豪幸田露伴の旧宅の簡素な瓦葺の腕木門が谷中から移築されています。
輪王殿には、国の重要文化財に指定されている寛永寺旧本坊表門(黒門)が保存されていますが、弾痕跡や赤い菊のご紋が見られ黒漆で塗られ威厳のある重厚さを感じますね。
輪王寺から上野東照宮へ向かい、神門から参道に入ると、名物の約200基の石灯籠が並びその先の唐門が豪華に光り輝き徳川家の貫禄ですね
唐門の扉の両側には、左甚五郎作の豪華な昇り竜と降り龍が嵌め込まれています。
また、唐門前の両側には、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家より奉納された6基の豪華な灯籠が立ち、国の重要文化財となっていました。
唐門近くには、約50基の銅灯籠が置かれていますが、何れもその彫り物は他では見られない風格を感じます。
参道からは、旧寛永寺の五重塔が望めますが、全層が和風造りでこちらも国の重要文化財に指定されている重厚さを感じますね。
東照宮から不忍池へ回ると、既に時間はお昼を過ぎていましたが、蓮の花は殆ど見ごろを過ぎていましたが、僅かに短い花期を名残惜しんで咲いているのも見られました。
不忍池を一回りして辨天堂に参拝し、国利西洋美術館へ戻ると、ロダンの名作の彫刻が見られました。
「地獄の門」は、地獄への入口の門だそうで、多くの人達が何かを考えながら門をくぐる造形が施されているようです。
また、「カレーの市民」像では、英仏100年戦争時の6人の市民が描かれているそうです。
有名な「考える人」ですが、何を考えているのでしょうか?
恩賜公園入口の西郷隆盛(せごドン)も今の世相を想いながら何かを考えているようでした(笑)
猛暑が続く一日でしたが、上野の森をブラ散歩して歴史や文化を学んだ一日でした。