東日本大地震からまもなく3カ月を迎えるが、戦後最大の災害となり中でも福島原発事故については、その復旧の目途すら定かではない状況が続き、改めてリスクについて考えていかねばならいない。
これまでの日常生活の中では、あまり身の回りのリスクについて意識をもつことが少ないかも知れないが、我々の生活には、自然災害や交通事故、事件、病気・怪我など多くのリスクが付いて回っており、リスク対策が必須であると思う。
福島原発事故に際しても、「想定外」だとか、「人災」だとか、「言った言わない」の論争など、言葉遊びのように責任転嫁ばかりが目立っているが、この「事故」に対してどんなリスク対策が施されていて、今後どのようなリスク管理を行うべきかが重要である。
災害に関しても科学的根拠に基づいて、あらゆるリスク回避をするべく設計されている筈で、問題はどこまでのリスクを設定条件に織り込むべきかである。
今回の大地震においては、地震規模や津波などが想定されていた条件を遥かに超えていたと思われるが、今後新たに設定条件をどこまで上げる必要があるのか議論しなければならない。
あの関西・淡路震災後も、建築基準法が改正されて耐震設計が厳しく設定されるようになったことは、記憶に新しいが、設定条件を上げることは当然のことながら経済的負担は倍加していくことになる。
政府は、失敗学の権威である畑村東大教授を委員長に任じて、第三者機関「事故調査・検証委員会」を設置し、福島事故の原因究明がなされることになったが、解明された結果に基づき何が足りなかったのか?対応にどんな問題があったのかを糺して、今後に活かしていくことが大切であろう。
今の報道などを見ていると、素人のコメンテイターやキャスターが悪戯に推測情報に基づき、政府や当事者企業に賠償責任や倫理的責任を押し付けているが、行き過ぎであり間違っていると思う。
今日の読売新聞によると、英国の政府顧問が「サルも木から落ちるし、専門家も間違える。助言がチェックできるようにしておくことが大事だ」と述べられたそうであるが、科学にはそもそも不確実性があり、助言を政策決定にも用いる際には、説明責任が大事だと・・・
また、原発事故に限らず、地球温暖化から生命倫理まで、科学的知見抜きでは、政治が対応できない分野が増えているのだという。
我々国民は、マスコミに踊らされて悪戯に政府の対応や企業の責任を追及するきらいがあるが、何もしないでいるのではなく、自分に関わるリスクを直視してそのリスクに対する備えをすることが必要である。
病気・怪我や事故に対する保険、為替リスク対策、セキュリテイー対策など、 「安全はタダではない」、「備えあれば憂いなし」・・・
日本人は戦災復興後の経済発展にどっぷりと浸ってきたことで、平和ボケしている傾向があり、今一度これから起こりうるであろうリスクを想定して、どのような対策を講じるかを考えるべきではないだろうか?
今の日本は、地震あり、気象庁始まって以来とかの記録的な大雪や大雨、猛暑などの気象異変、経済不況など挙げれば切りがないほど想定外現象が起きており、科学的データは不確実性が高いのだと言う。
全てにおいてこの不確実性の時代を生き抜くために、リスク対策の費用対効果を考えて、それぞれの自己責任によるリスクマネージメントが求められているのだ。