MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

横浜マラソン2009を応援

2009年11月30日 | マラソン

秋の横浜恒例のスポーツイベントである『第29回 横浜マラソン』が、横浜山下公園をスタートして、

山下埠頭にゴールのコースで開催され、今回は走友の応援に出かけてきた。

毎年、欠かさず連続してきたが、今回は申込み受付後、14時間で締め切られたそうで、異例の人気で、

申込みが間に合わず、連続出場を絶たれていたので、その思いを託して応援した。

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会場の山下公園に着いてみると、この冬一番の寒さではないか?と思える気温と寒風が吹いていて、

一番苦手なランニングコンデイションで、エントリーが外れてよかったか?と喜んだ。

これまでは11月10日前後に開催されていたが、今回は、横浜国際女子マラソンに押されて月末開催となったので、山下公園通りは、イチョウ並木が色鮮やかに黄葉しており、最高のスタートの舞台が出来ていた。

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公園内は、アップしているランナーで占拠されていて、一般観光客は行き場の無い戸惑いが見られ、

スタート前のトイレには、いつも見られない程の長い行列が出来ており、スタートにも間に合わないランナーも少なくなかったようだ。

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今回、幸運にもスタートしたランナーは、ハーフと10Kmで8,500人だったようで、公園通りには、いつまでも興奮気味のランナーが手を振りながら、続いていた。

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スタートを見送ってからは、寒さを避けて山下橋の「人形の家」で、丁度開催されていた『鳴子こけし展』で、

伝統工芸士による「こけし造り」の実演などを観て、その由来や美しさを味わっていた。

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その後、ゴール地点に移動してランナーを迎えたが、やはり「寒かった~」と、感想を述べていたが、

この日の完走率はどうだったのだろうか?

このコースは、制限時間が厳しいことでも有名で、特にハーフの117分は多くのランナーには不評である。

コースも、海釣り岸壁や工業団地を走り応援の数も、他の大会と比較して格段に少なく、走り甲斐がなく、走り終わった後も、何か満足感が乏しいのである。

しかし、ランニングブームも手伝い、今年も異例の人気で特に女性ランナーが多いのには驚きであった。

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レース終了後の山下通りのイチョウ並木は、スタート時より落葉が一気に進んだようで、黄色の絨毯が出来ていた。     

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岩櫃山山行レポ?

2009年11月29日 | 山行・ハイキング

山頂での360度展望の眺めを堪能し、13時38分に原町駅への下山コースを取り下山へ・・・・

山頂からのくさり場を降りて、目の前に対面する北の岩峰見晴台へと向かう。

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先ほどまで3人の姿が見えていたが、近付いてみれば中年のハイカーがお昼寝を楽しんでいた。

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意外と楽に登れるが、岩峰の上は狭く鎖場であった。

先ほどまでいた山頂を望み『絶景かな~絶景かな』と記念写真を撮って、迂回路を経て八合目へ向う。

斜面やトラバース道を下るが、ところどころにくさり場もあり、まもなく八合目の分岐点に到着した。

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その先には『天狗の蹴上げ岩』なる場所に着き、大きな岩の絶壁が続いており、梯子やくさり場を下るが、

この名前の謂れはどうして付いたのだろうか?

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さらに、この大岩の間をすり抜けてまもなく、尾根道を経て沢下りが続くが、沢は枯れ上がっており、

足跡の倍近いホウの枯葉などを踏み分けながら進むと、岩櫃城の本丸跡への分岐点に到着した。

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本丸跡への分かれ道から約100Mジグザク登ると、僅かな広場に本丸城址の記念碑が立ち、

高さ約30Cm程の小さな社や休憩の東屋があり、下界への展望が開けていた。

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この岩櫃城は、案内によると武田の家臣である真田昌幸の居城だったそうで、多くのからぼり等の城跡の名残が見られる。

しばしの感傷のあと、登山道を落葉を踏みながら約20分で一本松登山口へ到着した。

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ここでは、歴史研究家?だろうか、城周りの古地図を手にして、落葉して見通しのいいこの時期に、空堀などを調べているとかで、歴史的価値の重みを感じていた。

その後は、ダム貯水場の脇道を経て一路だらだらと約20分で、原町駅に到着して無事、ハイキングを終えた。

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今回は、晩秋の紅葉の岩櫃山を堪能したが、新緑の季節の雰囲気は、また異なる魅力に包まれるのだろうと想像して、秋色素晴らしい吾妻川の車窓をを眺めつつ帰りの電車に揺られていた。

【まとめ】:歩行時間 4時間。郷原駅 10:50⇒古谷T字路 11:05⇒蜜岩登山口 11:15⇒

鞍部(コル) 11:40⇒天狗の架け橋 11:57⇒鷹ノ巣遺跡 12:20⇒山頂 12:38~13:30⇒

岩峰・九合目 12:52⇒天狗の蹴上げ岩 14:05⇒本丸跡分岐点 14:28⇒岩櫃城本丸跡 14:25

⇒一本松登山口 14:45⇒岩櫃山入口 ⇒群馬原町駅 15:25 

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岩櫃山山行レポ?

2009年11月28日 | 山行・ハイキング

山の友からお誘いを受けて、久し振りのハイキングに前日から緊張感を覚えながら、体調や備品の準備に取り掛かっていた。

目指すは、上州吾妻八景として有名な景勝地である『岩櫃山』(802M)で、低山ではあるが岩場が多い迫力ある山と聞いて、期待して出かけてきた。

湘南から結構距離があり早朝5時過ぎに家を出て、高崎経由で吾妻線の郷原駅からのコースを取った。

この日は、小春日和に恵まれて絶好のハイキング日和となり、吾妻線車窓からの吾妻川流域の紅葉や山々の眺めは、思わず「凄~い」と感嘆するほどの光景であった。

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10時40分に郷原駅に到着すると、無人駅で電車のドアも、お客が自分で開ける手動ドアであった。

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駅頭で軽くストレッチ体操をして出発したが、見上げる前には、岩櫃山の南壁がそそり立っていた。

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「えっ~まさか これを登るんじゃないよね・・・」と思いながら、秋色漂う民家の間を抜けて、

古谷T字路まで約15分、そこから岸山を見上げながら農道を抜けて約10分で『蜜岩登山口』に到着。

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ここからいきなりジグザク道の登山道へと取り付き、コルはすぐ頭の上に見える直登に近い急登を喘ぎながら歩を進め、途中にガレ場もあるが、落葉樹は殆ど落ちており、視界が拡がり紅葉が素晴らしい。

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最後に鎖場と梯子を登りきり約25分で、コルへ到着した。

コルで一休みして後、その先は岩場が続き大きな岩を登ると、『天狗の架け橋』へ着く。

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そこには、なんと切り立った幅30Cm・長さ約2Mの岩のブリッジであり、2、3歩で渡れそうであるが、

ブリッジの先には、岩が張り出していて確たるホールドも無く、両サイドは谷底で、踏み外したら・・・と思うと恐怖感で足がすくみそうであった。

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仲間の一人は、ブリッジを跨いで渡り、這いつくばってようやく渡り終え、それを見て二人目からは直ぐ下の迂回路を巻いて渡った。

風や雨の時にブリッジを渡るのは、かなり厳しいのではないだろうか?

天狗の架け橋を過ぎてまもなく右手に『鷹ノ巣遺跡』の案内があり、約30Mほど下りてみると、

目を見張る大規模な鷹ノ巣の洞穴が目に飛び込んできた。

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尾根に戻り、その先の大岩の穴をくぐる路を抜けて、約10Mの長い鎖場と梯子を越えて山頂に12時30分に到着した。

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山頂には三角点があり、10人ほどが立てる程のさほど広くはない広場があり、360度の展望が素晴らしい。

岩の天辺に立つと眼下には、今登って来た郷原地区や上州の山々が望めて、色鮮やかな絶景が拡がっていた。

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暖かい秋の陽を浴びて、約1時間のんびりと昼食を摂りながら、まさに『天空散歩』の実感を味わっていた。

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(下山レポは、?へ続く・・・)

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湘南海岸~鎌倉へジョグ

2009年11月26日 | ジョギング

この日も、お昼からジョギングには絶好の小春日和となり、レースシーズンを迎えての脚作りの日と決め、

LSD(ロングスロージョグ)に、鎌倉由比ガ浜を目指して飛び出していった。

鵠沼海岸に着いて見ると、富士山はかすかに雲の上に頂上を覗かせていたが、

風も無くサーファーも少なく、のんびりと秋の風を受けての散歩されている方が多かった。

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江ノ島海岸も、なぎの状態でここにも訪れている人影は少なかった。

腰越漁港から小動岬へと向い、小動神社境内で一休みしていたが、境内には海神(ワタツミ)神や、

稲荷神社、金刀比羅さんの社が並び、日露戦争の戦勝の碑も建てられていた。

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また、この岬は、あの話題の太宰治が心中未遂をした場所としても有名であるが、なぜこの場所だったのだろうか?

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134号線を七里ガ浜海岸を望みながら、歩を進めていると、ここでは結構サーファーの姿は多かった。

丁度、海から上がってこられたサーファーに聞いてみると、その日の波の状況を見ながら移動するそうだ。

ここでは、絶好の波が立つところに約30名近いサーファーが順番に波に乗り、見事な波乗りを披露していた。

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約4Kmほどで由比ガ浜海岸について見ると、波静かでいつも見られるウインドサーファーも見られない。

引き返して稲村ガ崎で休息しての江ノ島方面の眺めは いつも画になる風景である。

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稲村ガ崎は、新田義貞が鎌倉幕府を攻めた時の「徒渉伝説地」としての史跡として有名であるが、

サザンオールスターズの「稲村ジェーン」の舞台にもなったことで、絶景のポジションである。

哲学者 西田幾多郎が詠んだ「七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも」の石碑も

直ぐ近くに建てられており、その光景が想い出させる風景があった。

しばしの休息後、来た道へ折り返していたが、午後の時間でも結構 チャリ族のグループが走っており、

江ノ電としばらく併走していると窓から手を振って声をかけられた。

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134号線の湘南海岸ロードは、サイクリングには外せないスポットである。

引地川沿いの散歩ロードでは、午後の陽を浴びて平和のシンボルが羽を休めていた。

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約30KmのLSDは、天候もよく快適なジョグであったが、久し振りで「疲れた~」「腹減った~」の一日だった。

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里山クロカン・ランニング

2009年11月25日 | ジョギング

前日の寒い冬空から一転、小春日和となり 久し振りに『ふるさとの森』のクロカンコースへ向かった。

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広い森ではないが、「ふるさと小路」「ふれあいの小路」などのアップダウンが激しい小路が続いて、

周回コースを取れば、激しいトレイルランにも似たコースとなり、結構楽しめる。

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近隣の道や森は、すっかり晩秋の色濃くなりススキの穂も枯れ始め、樹木もすっかり葉を落としていた。

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コースの頂上はそれ程高くは無いが、家族連れも見えており 子ども達もハ~ハ~言いながら笑顔で挑戦して登ってきている。

どんぐりを拾いながら登ってきたようで、しっかりと小さい手に 大事に握っていた。

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案内の説明によると、この「ふるさとの森」は、 「みどりいっぱい市民の会」が主宰で開かれた森で、

毎年、子供たちを対象に、自然を観察するイベントが開催されているようだ。

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クロカンコースを5周回して しばし小さな神社で休息し、裏道から引地川沿いへと戻ると、

いつも以上に釣り客や散歩族、ジョガーの姿が多く 公園も家族連れで賑わっていた。

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約1時間芝生の感触を味わいながら流していたところ、バードウオッチングのグループと出会ったが、

近くには自然公園が多く、鳥たちの楽園になっているようだ。

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落葉樹もまもなく、その衣を脱いで冬の足音が聞こえてくるような季節感を味わった。

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神楽坂でふるさと福井まつり

2009年11月24日 | まち歩き

神楽坂で開催されている『ド~ンと福井IN神楽坂 越前・若狭まつり』へ出かけてきた。

神楽坂には、時々出かけていたが、この日は神楽坂通りを福井が占拠してしまっていたようだ。

メトロ神楽坂駅を出ると、なんと目の前にメイン会場があり、整理員が出ている程、会場には多くの客が集まっていた。

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神楽坂は、江戸時代に小浜藩主の屋敷があったそうで、その登城道が今の神楽坂通りになった起源があり、古い縁があるのだそうだ。

メイン会場には、ふるさと福井の食文化や工芸品の福井ブランドが、展示されアピールされていた。

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入口のステージでは、「フクイラブトル」という恐竜が迎えてくれて、子供たちの人気を集めていた。

解禁された「越前ガニ」をはじめ、焼き鯖、こしひかり、小牧かまぼこ、へしこなどの福井ブランド食が並び、

試食をしながら歓談して巡ったが、懐かしい福井弁も飛び出し福井の香りを感じていた。

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また、「ちりとてちん」で有名となった『若狭塗り箸』「蟹寿司」などを求めて福井の味を堪能した。

神楽坂通りには、あちこち福井出店も出展されており、「越前おろしそば」のそば打ちの実演しており、

近くのお店で小腹へすすり込んで久し振りのふるさとの味を味わった。

来客には、関東近辺に在住する福井に縁のある方々も多かったそうであるが、縁のない地元の人との交流も生まれていたようだ。

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帰路は、お馴染みの毘沙門天でお参りして、裏路に入り芸者新道を散策したが、 「待ち歩き族」が、

多く行き交っており、石畳の上を闊歩していた昔の風情を感じた。

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小路には、シャレたレストランも多く見られ、京都の町家を連想する風情があった。

神楽坂下では、丁度、「理科大祭」が行われており、散策しながら「近代科学資料館」に立寄ってみた。

館内では、館長が「でんじろう」よろしく、各種の理科実験をされており、子ども達が注目して見入っていた。

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また、エジソン蓄音機や懐かしい手動計算機が展示されており、学生時代に使った経験を頼りに計算してみせたら、子ども達がビックリしていた。

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銀座~神宮外苑へ秋の散策

2009年11月23日 | まち歩き

冬到来かと思える寒さ厳しい連休日であったが、銀座通りでのジャイアンツの優勝パレードを見るべく、飛び出した。

ところが出際に雑用が重なり予定より30分程遅れて家を出て、東京駅に着いた時には、既に中央通りを通過した後であった。

まだ、間に合うであろうと銀座へと追いかけてみたが、銀座通りでもすでに通りの片づけが始まっていて、

結局は銀座4丁目に着いた時は、すでにパレードは終了していた後だった。

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見通しが甘かったが、歓喜のパレードが、大手町から新橋までの3Kmを1時間で終了するとは想定外であった。

銀座通りでは、詰め掛けた約34万人の興奮冷めやらぬ観客で、ごった返していたが後の祭であった。

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その様子をどうしても観たくて帰宅後に、深夜のテレビ放送やWebで確認したが、

Vナインの表情は誰もが、1年間の苦労が実った本当に嬉しそうな喜びの顔であった。

その日は、銀座から神宮外苑へと向かって、見頃に色付いてきた「いちょう祭り」を見てきた。

外苑のいちょうは、黄葉も見頃であったが、残念ながら雨が降り出しそうな生憎の天候で、

陽を受けた輝きのある黄色ではなかったが、連休の中日とあって多勢の客で賑わっていた。

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外苑のイチョウは、東京大学や皇居前のそれとは全く樹形が異なり、絵画館などとの調和を考慮して、

遠近法を活用して高さを調整しているそうで、青山通りから絵画館を望む景観は見事であった。

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噴水公園まわりのメイン会場まで足を延ばしてみたが、各地の名産品コーナーや食べ物模擬店が並んでいるだけで、寒さのためか訪れた人々は足早にUターンしていたようだ。

紅葉シーズンも今が盛りで、各地ではクリスマスイルミネーションの飾りが始まっており、去り行く秋の香りを惜しみ、足元のイチョウの落葉に何となく郷愁を覚えるひと時である。

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東京大学本郷キャンパスへスケッチ散歩

2009年11月22日 | まち歩き

紅葉シーズンが関東地区で盛りを迎え、絶好の秋晴れのこの日、都内有数のイチョウ並木である東京大学 本郷キャンパスへスケッチブックを抱えてお散歩に出かけてきた。

キャンパスを訪れたのは3年振りであるが、東大には縁のない我々にはあの赤門の前に立つと、

構内へ入るのに何となく躊躇するところがある。

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朝早く赤門へ着くと、既に多くの散歩族や東大を目差す高校生など一般客が次々と構内へ消えていった。

構内に入ると、既にイチョウは晩秋の陽を浴びて美しく色付いており、路面に散った落ち葉と共に実に美しい光景が展開されていた。

素晴らしい銀杏並木の構内をスケッチポイントを求めながら一巡したが、やはり東大のシンボルである、

安田講堂は威光を放っており、あの学園闘争を繰り広げた講堂とは思えない美しい景観であり、外せない。

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早速、朝の陽を受けた講堂を描きながら、約40年前の講堂封鎖解除の光景を思い浮かべていた。

入口の古い歴史を刻んだ門や時計台を苦戦して描いていると、いつのままにか老人倶楽部や東大ツアー?の団体が増えてきて、講堂前の広場には、多くの輪が出来てきた。

しばし、記念写真撮影のお手伝いをして、画を囲みながら談笑していたが、こんな雰囲気が漂っていた。

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安田講堂前の広場の地下にある学生食堂でお昼を摂ったが、ここも一般の散歩客で長蛇の列が出来ていた。

日頃は、学生で埋まるのだろうか?この日は、慣れない一般客で埋めつくして、全く異なる光景であろう。

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午後は、場所を移してイチョウ並木から望む法文学部館を描いたが、どの建物も欧州に地に来ているような錯覚を感じるほど、素晴らしい建築物が多い。

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限られた時間で散策して、一番の光景は、工学部館前の大銀杏は黄葉の色合いも絶好で多くのカメラマンもシャッターを切っていた。

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伝統あるこの素晴らしい環境の「学びの館」で学ぶ学生諸君が羨ましいが、日本のリーダーがここから巣立っていることに納得である。

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東大生が入学して、東大のシンボルである『イチョウ』が散るまでに、彼女や彼氏を見つけないと卒業までに見つからないという話を聞いて、何事もイチョウは東大の象徴であるのか?と感心した。

晩秋の陽が落ちるのは早く、再度のスケッチ訪問を約して家路に着いた。

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湘南海岸をロングジョギング

2009年11月20日 | ジョギング

久し振りの快晴のジョギング日和となり、完全休養していた今週は、4日ぶりのロングジョギング(LSD)へ出かけた。

こんな日は、海岸コースを富士山に向かって、海岸の景色を眺めながら走るのは、気分最高である。

久し振りに距離を稼ぐべく海岸に出てからは、風はやや強かったが、富士山の景観がすばらしく、

しばらくは、砂浜の波打際を走ったが、足裏に感じるタッチ感覚が何とも言えない。

子どもジョガーも、風を切って楽しんでいる姿は、何とも微笑ましい光景であった。

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この日は、波も比較的高かったが、珍しくサーファーの姿も少なく、数人のベテラン?サーファーが、

快調に波乗りの演技を披露してくれていた。 

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サイクリングロードに戻りペースを刻んで歩を進めて茅ヶ崎ヘッドランドへ向かった。

ロードには、この日も散歩族やジョガー、サイクリストが、潮風を受けて気持ちよく汗をかいていた。

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ヘッドランド(T-Land)に着いて見渡すと、烏帽子岩もいつもより近くに見えており、富士山と共に、冬の景観になっていた。

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ヘッドランドは、砂浜の侵食対策として作った人工岬であるが、消波ブロックで出来たランドには、

多勢の釣り人が冬の陽を浴びていたが、ジョガーにはないゆっくりとした時間が流れているようだ。

夏には、砂浜には多くの海水浴客が訪れて賑わい、ライフセーバーの拠点でもある。

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しばしの休息後、江ノ島に向かって戻ってきたが、ヘッドランドの影響で近くの砂浜は反って侵食が激しくなったようで、1年前とは全く異なるビーチラインであった。

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サザンの「いとしのエリー」のメロデイーを思い浮かべながら、「my love so sweet」の歌詞は、

どんな光景で生まれたのだろうか?と想いながら、ジョグっていた。

帰り路の、ウオークボードには、約20人ぐらいのウオーキンググループが、どこから見えたのだろうか、

江ノ島や富士山の景観に見惚れていて、『湘南海岸はサイコーね・・・』と談笑されていたが、ウオーキング族もこの日は、多かった。

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自転車生活

2009年11月19日 | インポート

健康志向と地球環境にやさしいと、自転車ブームは依然として高いようだ。

自転車通勤(ジテツウ)とともに、マイペースで気軽に、且つカッコいい運動としてスポーツ系サイクルに、

人気が集まり、売れ行きも大変好調だそうで サイクリストの一人として大変喜ばしいことである。

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そんな折に、誠に残念ながら自民党の谷垣総裁が『多摩川サイクリング・ロード(多摩サイ)』で対向車と接触して、転倒し怪我をされたというニュースが走った。

谷垣総裁と言えば、政界では知る人ぞ知るベテランサイクリストとして、自転車行脚の遊説などで有名である。

『多摩サイ』は、関東近辺のサイクリストにとっては、古くから最高の乗り場であった筈であるが、

多摩川沿いの人口も増えて、最近は散歩族などの歩行者や、ママチャリで密集しているそうである。

名前は、「サイクリングロード」であるが、とてもスポーツ系サイクルが、走れるロードではないようだ。

今や近隣住民の散歩道であり、当然のことながら歩行者優先となり、最早 スポーツバイクはとても走れるロードではない。

湘南地区にも、湘南サイクリングロードや境川サイクルロードなどがあるが、同様に歩行者優先である。

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昨今の事情は、ブームにより自転車愛好者の急増と幅広い年代に拡がり、バイクの性能向上もあり、

事故件数と、且つ大事故が増えているようである。

最大の原因は、利用者のルール違反と自転車利用環境が追い付いていない事であろう。

ルール違反やマナーの悪さは、管理者もいつも実感しているが、その殆どは「まさか、自転車で、こんな重傷事故になるとは 思ってもいなかった・・」と、全く自転車による事故への意識がないのである。

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警察による指導・取締りも、自動車程の厳しさが足りないと思うが、今や更なる厳しい指導が必要では?

自転車環境の整備は、欧州の環境と比べて余りにも劣悪であるが、これは直ぐには期待できない。

谷垣氏の事故をキッカケとして、安全に自転車が乗れる道路環境の整備が進む事を期待していきたい。

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事業仕分けのあり方を思う

2009年11月18日 | 国際・政治

新政権発足後、2ヶ月を過ぎたが、来年度予算編成時期を迎えて、概算要求段階では、一般会計で、

過去最高の95兆円を超えるのだという。

『変革』を求める国民の声を受けて、この国の有り様を変えていこうという姿勢は、評価できるが、

その過程や道筋は一向に見えてこないのでは?

連日のテレビ、新聞などの報道からしか状況を知る術がないが、その情報を見る限り非常に疑問が多い。

政府の「行政刷新会議」『事業仕分け』も前半を終わったが、インターネットなどの中継を見ていると、

その趣旨は大いに賛同できるが、進め方や結論を得るまでの過程については、決して満足できるものではない。

国や自治体の事業の内容を精査して、事業がそのものが必要か否か、外部の視点で議論する手法は、

これまでも自民党時代から「国と地方の税制を考える」プロジェクトでも、仕分け作業が行われていた。

前半の経緯を見る限り、仕分け対象となった447事業が、何故選ばれたのか?基準が示されていない。

また、作業チームの仕分け人の選ばれた基準や経緯も不明である。

その中で、1事業の議論が約1時間で結論を出すのは、如何にも無理があり、仕分け人も事業に通じていない素人の方が多いそうである。

さらに、対象事業には防衛関連や義務教育、地方交付税など国のあり方に関わる案件が入っていたり、

本来第一に議論すべき「子ども手当て」、「高速無料化」などのマニュフェスト案件は、見当たらないのだ。

仕分けの結論も、多数決かと思えば、調整役の民主党議員の一方的な誘導である。

議論過程も、報道で見る限りでは、議員仕分け人が、事業担当側の官僚職員などを問答無用的にやり込める場面が多かったが、傍聴していた人たちはどう感じたのだろうか?

その上で、1時間で結論を出すなんて乱暴そのもので、最初から結論ありきのパフォーマンスではないか?と思われても、文句は言えまい。

これでは、仕分けの結果の正当性が疑われると思うが、担当相は、予算編成に活かすと述べている。

今回の仕分け作業そのものが、財務省の下請け的な存在で行われているとの報道もあり、

政府による政治ショーではないか?

事業担当側も予算を死守しようという、批判すべき姿勢も見られるが、調整役の議員が高邁な態度では、

詳しい事情を知らない我々国民の受け狙いでは無いのかと思われても止むを得ない。

また、事業の中には、費用対効果を数字で表わせない大事な事業もある筈であり、その背景にある制度などを考慮すべきであり、説明者の回答だけで短絡して評価することだけは、避けなければならないと思う。

仕分け作業の中で見られた官僚叩きだけでは、この国は決して未来は開けないと思う。

シンクタンクである官僚と政府と民間とが、敵対ではなく力を合わせないと、この日本の未来は無いと案じている。

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2009新語・流行語大賞候補を見て

2009年11月17日 | うんちく・小ネタ

今年も恒例の『新語・流行語大賞』が話題になる季節となり、ノミネートされた60語が発表された。

2009年は、歴史に残る事件や出来事があり、激動の時代を映し出す『言葉』が溢れているようだ。

各界のニュースや話題を見て、何と言っても衆議院選挙で歴史的な大勝によって政権交替が行われ、

マニュフェスト論争や事業仕分けなど、予算再編による話題が一番ではないだろうか?

経済面では、世界同時不況による最悪の景気状態がもたらした「派遣切り」、 「定額給付金」など記憶に新しい・・・

スポーツ界では、何と言ってもWBCに始まり、セ界三連覇、7年ぶりに日本一を奪回したジャイアンツの話題が独占しそうで、原監督が掲げた『維新』、 『覇権奪回』が新しいところ。

芸能・文化の分野では、マスコミによってバカ騒ぎを起した『ノリピーショック』が、話題を独占していた。

ノミネートされた60語が、どのように選ばれたかは判らないが、選定基準もあいまいで、遊びとして見れば面白い。

そこで、独断と偏見で、管理者が選ぶジャンル別『流行語大賞』は、

?政治・経済部門では、『政権交代』、『事業仕分け』、『定額給付金』、『バラマキ』である。

?社会問題では、『裁判員制度』、『八っ場ダム』、『新型インフルエンザ』を選んだ。

?スポーツ界では、『侍ジャパン』・・・・『維新』『奪回』が候補に入っていないが?

④芸能その他では、『ノリピーショック』

ノミネートされた流行語は、暗い世相を映してか、明るい言葉が殆どないのが2009年だったのか?

対象後には、誰が表彰うけるのかも不明であり、語った人なのか?言葉の対象者なのか?

やはりマスコミによって躍らせているような気もしてならない・・・・

昨年のような エド・はるみの『ぐ~』のように、笑える話題が面白い。

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ふるさとの味覚に感動

2009年11月16日 | 食・レシピ

ふるさと越前の特産品『越前ガニ』が解禁され、故郷の知人から早速「セイコ蟹」が贈られてきた。

越前と言えば『カニ』であり、昔から福井では、越前カニは冬の季節の始まりであった。

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今や、福井の超貴重な名産品であり、テレビの旅特番には必ず「越前ガニ食べ歩き」がある程である。

同じズバイガニ、セイコがにでも、福井産の越前ガニは味が違うと評判がよく、偽装ではない正真正銘の越前産の証明である黄色タグが付いている。

越前ガニ(ズバイガニ)が蟹の王様であり、セイコガニは女王様である。

今が正に旬の味覚で一番美味しい時期で、パックリ甲羅を開いてみると、赤子(内子)もしっかり詰まっていた。

赤子は、鮮やかな朱色は赤いダイヤとも言われているようで、独特の珍味ミソで何とも言えない贅沢な味である。

外子(卵)も褐色のプチプチ感も貴重な味で、酒の肴には堪らない。

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ズバイガニに比べて小ぶり故に、食べにくいとも言われるが、我が家では、昔から胴体や脚は、

手で持ちながらしゃぶりついて、チューチュー吸いながら頂いている。

子どもの頃には、おやつ代わりに買ってもらって食べていたが、あの頃は5~10円くらいだったようだ。

先月に、久し振りに越前海岸を旅してきたが、呼鳥門近くのカニ料理店に立寄って、あと1ヵ月後には、

蟹づくしで賑わうから「また、来いよ」と言われていたが、この冬の日本海の逸品を味わい至福の時である。

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また、故郷の産地へ出かけて、現地で「蟹三昧」を味わってみたいと・・・・・

そんな「故郷の味」を喜んでいたが、今日は、知人から秋の果実である『富有柿』が、岐阜の産地から贈ってもらいました。

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富有柿の発祥の地は、岐阜県だそうで甘柿の代表である。

日本は四季に恵まれて、各地でご当地グルメが豊富にあり、もぎたての果実や獲りたての産物など「食欲の秋」は、グルメ党にはメタボが気になる堪らない季節である。

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横浜国際女子マラソン

2009年11月15日 | マラソン

昨年で幕を閉じた伝統の『東京国際女子マラソン』の後を受けて、横浜に舞台を移しての記念すべき、

『第1回横浜国際女子マラソン』が快晴の中で開催され、走友の応援も兼ねて観戦に出かけてきた。

コースは、横浜市街地の山下公園をスタート・ゴールで、MM地区の赤レンガ倉庫、ワールドポーターズ、横浜駅前、桜木町、横浜スタジアム、元町、ランドマークタワー、港の見える丘公園などを巡る周回コースで、応援には絶好のコースである。

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ヌデレバやデイタ選手などメダリストが招待されていたが、国内招待選手は、今一強力な選手は少ない。

スタートの1時間以上前に山下公園に到着して、走友に檄を飛ばして山下公園など応援所を探したが、

イチョウ並木は黄葉が進んでいて美しい光景となっており、海の景色も最高であった。

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山下公園付近は、開港150周年記念大会でもあり、快晴の天候に恵まれて観戦者でごった返していた。

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本部前では、インフルエンザ対策で、マスクとマフラーが配布されていたが、この日の横浜にはマフラーは縁が無かったようだ。

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スタート後は、周回コースのため、税関前、横浜スタジアム、赤レンガ倉庫前と移動しながらの応援し、

レースの展開も見ながらの応援が出来、最終周回の赤レンガ倉庫前に立っていた時からレースが動いたようだ。

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残念ながら、走友は関門にかかり待てども姿が現われず、急いでゴール地点へと戻った。

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アビトワ(ロシア)が独走で、幾重にも人垣と報道カメラが待ち構えるゴール地点に飛び込んできたが、

この日の暑さと強い風で、記録は平凡であった。

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高温や強風の気象条件が、選手には厳しいコンデイションだったようで、完走率は約60%と異常に低かったようだ。

ゴール地点の氷川丸近くの海上には、今日もカモメが声援を送るべくカモメの群れが集まっていた。

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しばらくゴールの様子を見てから、山手地区へとJog & Walkで向い、丘公園や外人墓地、山手教会を、

Jog &Walk で散策してスケッチしたが、山手通りには、いつも以上に多くの観光客で賑わっていた。

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学校公開を参観

2009年11月14日 | 受験・学校

地域小学校の秋恒例の学校公開(おまつり集会)にお招きを受けたので、朝から参観してきた。

秋の遠足や音楽発表会も終わり、今回は、各クラス毎に工夫された出し物などを父兄や関係者に公開して、自分たちも楽しみながら来客と一緒に楽しもうという創作発表と触れ合いである。

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また、新型インフルエンザの流行の時期を迎えて、開催が危ぶまれていたが、多くの父兄などが参加されて、子ども達との触れ合いを楽しんでいた。

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校内に入ると、クラスごとに工夫を凝らした遊びの場や手づくりの作品の発表など、どのクラスも大賑わい。

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『わくわくランド』では、いろいろなゲームコーナーなどを作り、参加チケットを渡されてトライを促された。

ダンボールで創った迷路など、工夫を凝らした体験コーナーなど、子どもたちは体験を呼びかけての呼び込みまでやりながら、目を輝かせていたのが印象的である。

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1ヶ月以上前から、「何をやろうか」から始まり、準備にかかり材料を集めてこぎ着けた過程が非常に大切なことである。

特に感じたのは、来客に体験してもらい一緒に楽しみたいという気持ちがあり、

日頃、朝の「おはようボランテイア」活動でみている子ども達とは、別の顔であったことだ。

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「人生すごろく」のゲームコーナーでは、参加者が自分でサイコロを振り、その都度、子ども達が、質問・説明して会話をしながらゴールへ向かうのであるが、ゴールまでは10数分かかり、参加者に楽しんでもらおうという心が伝わってきた。

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最後に体育館に向かえば、そこには『SASUKE』グランドが出来ており、スタートからゴールまでの所用時間を競うのであるが、さすがに子ども達の俊敏さには、大人は叶わなかった。

しばし、童心に返り約1時間あまり子ども達と遊び、心身の「遊び」の大切さを感じていた。

『遊び』を通じて学ぶ主体性と新しい発見が、健全な育成に繋がっていくと期待して、

子ども達の健やかな育みを祈り帰宅した。

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