MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

東海道・藤沢宿巡り

2012年01月31日 | まち歩き

先日の日曜日に、東海道五十三次の「藤澤宿」であった市内の旧東海道街道沿いで「旧東海道ぶらり・朝市」イベントが開催されて、多くのツアー客やウオーキング隊で賑わいを見せていました。

本イベントは、日本橋から6番目の宿場として栄えた旧東海道・藤沢宿の歴史とその魅了を知ってもらおうと、地域の有志や企業などから組織された「藤澤宿まちそだて隊」の主催で初めての開催である。

イベントの中でも 特にこの日限定の明治から昭和初期にかけての蔵や商店を巡る「なりわい町家・蔵めぐり」に興味を持って、ジョギングしながら旧東海道を巡ってみた。

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藤沢駅から遊行通りの中程に、白と黒の蔵「蔵前ギャラリー」があり、昭和初期のお米屋さんの蔵を活かしたギャラリーだそうで、土間や蔵の中で新春らしい墨絵などの展示が行われていた。

さらに遊行通りには、当時の宿場を描いた「浮世絵箱」が並んでおり、当時を偲ばせるものを感じられます。

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藤沢橋を渡り旧東海道に出て遊行寺坂を約1Kmほど行くと、当時の松並木を偲ぶ「旧東海道松並木跡」の石碑がありましたが、現在は所々に保存されているだけでした。

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折り返して遊行寺近くの諏訪神社の向かい側には、当時の藤沢宿の入り口であった江戸見附跡の碑があるのみでした。

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藤沢宿の中心的存在であった「遊行寺」境内には、人影は疎らでしたが節分の準備が整っており、参拝してから境内を散策してみると裏側に、徳川家の祖先である有親公の本尊を祀る「宇賀神」や歴代上人の墓所、安政年間の建造である「中雀門」などがあります。

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この後、四十八段坂(いろは坂)を下って「黒門」を出て、徳川将軍の宿泊処だったとされる御殿跡や本陣跡のある藤沢公民館へ立ち寄り、説明板にて確認できますが、全く当時の名残はありませんでした。

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旧東海道へ戻ると、「坂戸町問屋場跡」に出ると、地域の商店などによる朝市が開かれており、名産品や手作りグルメの屋台が繰り出していました。

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周辺には、当時の姿を誇る貴重な蔵造りの商店が店内を開放されており、「蔵の町」の面影を伝えてくれていました。

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さらに旧東海道を西へ下り、常光寺、荘厳寺などに立ち寄り、「源義経首洗い井戸」へ・・・・境川の白旗神社近くに流れ着いた義経の首を洗い清めた井戸と伝えられていますが、マンション裏にひっそりとした狭い土地に存在します。

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小田急線藤沢本町近くには、上方見附跡があり、この辺が藤沢宿の西の入口だったそうで、五十三次の平塚宿へと向っていたようです。

歴史に疎い私にとっては、我が街藤沢の歴史スポットを巡っての歴史を学ぶ機会となりました。

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ぶらり散策~横浜中華街

2012年01月30日 | まち歩き

先週、中国の旧正月である春節を迎えて連日多彩なイベントが開催されているが、中でも最も華やかで豪華な祭となる「春節娯楽表演」が行われる中華街へと出かけてみました。

先日も春節の日に訪れていたが、休日でもあり中華街の関帝廟通りに面する山下町公園には多勢の見物客が早くから訪れており大変な賑わいとなっていました。

娯楽表演を観るのは初めてでしたが、雑技・獅子舞・龍舞・舞踊など中国古来から伝統の演技の豪華な公演とあって、早朝から場所取りに訪れている人ばかりで、会場に着いたときは立錐の余地もないほど、狭い公園は埋め尽くされていました。

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最初の演技は、アクロバット風の逆立ちや大型の壺をいとも簡単に頭上や肩の上を自在に転がしたり、煉瓦を積み上げた上での見事な倒立など、素晴らしいサーカス芸が披露されて、会場から大きな拍手を呼んでいました。

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ところが次のクライマックスでは、台上の4本の瓶の上に6個の椅子を積み上げて、地上5M 以上もある椅子の上で、バランスよく倒立や開脚倒立を行い観客からは声も出ないほどハラハラドキドキで見上げるばかり・・・・・

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微かに椅子のタワーは揺れ動いており、神業の演技が披露されていたが、会場には緊張感一杯で、 「うわ~」 とか「えっ~」 など、驚きの嘆声が響いていました。

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演技終了時には、スリル満点のパフォーマンスに緊張感も和らぎ歓声や大拍手に包まれていました。

更に、豪華絢爛な舞踊や獅子舞などの演技が続いていたが、見物客で埋め尽くされていて、後ろからは垣間見るのがやっとで殆ど見ることが出来ない状況でした。

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早々に、演技を観るのを諦めて関帝廟通りから市場通りなどを散策して、お店を見て回ったが、正月らしいカラフルな装飾と龍や赤唐辛子などに人気が集まっていたようです。

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関帝廟には、この日も参拝客でごった返していましたが、神殿の奥には商売繁盛の神として関帝が龍に守られて光り輝いており、境内には線香の香りが絶えることなく漂っていました。

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関帝廟の造りには、屋根上のカラフルな龍の屋根飾りや龍などの彫刻の石柱、狛犬など、豪華絢爛な中国伝統の建築工芸が施されており、しばし目を奪われていました。

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中央通りからインフォメーションセンター(China Town80)へ立ち寄ると、この日も外国人などで大混雑しており、獅子舞のかぶりなどを奪い合うように記念写真を撮る光景が見られていました。

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この春節の賑わいは、今週いっぱい続くそうで中華街から元気を発信してほしいと長いながら山下公園へと向かった。

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ふるさと福井物産展~増上寺へ

2012年01月29日 | まち歩き

ブランド大使を務めている我がふるさと福井の第16回「福井県越前・若狭の物産・観光展」が新宿京王デパートで開催されており、先日出かけてきました。

会場に到着すると、想像した以上に混雑しており、越前ガニや浜焼き鯖、越前おろしそばなどご当地グルメコーナーでは、大変な人だかりでした。

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また、メガネ枠や越前漆器、洋傘、刃物、若狭塗箸など福井伝統の民芸・工芸品にも大勢の人が集まっており、ふるさとの名産品を確認しながら懐かしさが湧いていました。

今まさに旬の越前がにコーナーでは、生け簀に元気なズバイガニが泳いでおり、何か声を掛けられているような感触さえ覚えるようでした。

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その隣には、既に禁漁期間に入った せいこ蟹も販売されており、生け簀にいるもので今年は終わりだそうです。

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この日は、大好物の江川の「水羊かん」を手に入れたが、我が福井では、冬の風物詩であり炬燵に入っていただく習慣になっている銘菓であり、優しい上品な甘さは、格別だと思っており、冬には欠かせないお茶の友となっています。

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各コーナーを回りなが今年の大雪や食味の話をしていると、いつの間にかふるさと福井弁での会話となっており、「これはの~旨いにゃって・・・いちどお食べてみねの~」、「ほ~か・・ほやって」などすっかり引き込まれて福井人になっていた。

気が付いてみると、衝動的に珍味や銘菓を買い込んでいたが、久しぶりにふるさとの「福」を一杯詰め込んで会場を後にすると、福井のゆるキャラの「えい坊くん」「さばトラななちゃん」に握手を求められて、記念写真に収まって「ハイ~チ~ズ」・・・

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この後、福井と縁のある「姫たちの戦国」の主人公である「お江の方」や徳川家霊廟が特別公開されている増上寺へと向かったが、丁度霊廟に到着した直前に拝観時間が終了したばかりでした。

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増上寺からは、快晴の青空に東京タワーが実に美しく映えて絶景が眺められていました。

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霊廟前には、多くの水子地蔵が観られましたが、何故かカラフルな風車を持っていて、水子への母からのせめてもの償いの印だろうか?切ない思いが伝わってきます。

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境内を一回りして「三解脱門(三門)」に着くと、江戸時代の面影を残す建造物だそうで、圧倒的な迫力と建築美を感じるが、「貪り・怒り・愚かさ」の煩悩を解脱するもの門の代表的な門である。

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先の箱根駅伝や東京マラソンのコースでは、ひと際目立つ存在ですが、改めて間近で存在感を感じながら、大門を経て浜松町へと家路についた。

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東京大学駒場キャンパス

2012年01月28日 | まち歩き

駒場公園から駒場野公園を経て、東京大学駒場キャンパスを初めて訪れてみました。

正門に着くと、教養学部と大学院の看板と大扉には、本郷キャンパスで見られるイチョウの校章ではなく、柏葉の透かし模様のマークが付いており、これは旧制第一高等学校の校章だったそうで長い歴史がにじみ出ています。

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校内に入ると、1号館の時計台は駒場キャンパスのシンボルでもあり本郷キャンパスの安田講堂に似たデザインで伝統と貫禄を感じていたが、残念ながら内部へは入れませんでした。

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1号館の裏口に回ると、アーケードの上には紋章がついており、過っての旧制大高等学校の校旗であった「護国旗」のレリーフだそうで、説明版によると「文」を象徴する橄欖と「武」を象徴する柏葉のデザインに、中央に「國」を配置して、文武両道を持って國を護るという一高教育の真髄を表しているそうです。

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駒場キャンパスにも中央にイチョウ並木がありましたが、秋の色づいた季節には本郷キャンパスに劣らぬ雰囲気が漂うのでしょう。

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学生食堂に入り遅い昼食を摂っていたが、新しい近代的な施設になっており、ほかの教養学部の18号館などが新館になっており、イメージしていた景観は見られなかった。

この後、駒場公園に戻って東北沢へと向かい帰路についた。

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ぶらり散策~駒場公園・旧前田侯爵邸

2012年01月27日 | まち歩き

目黒区立駒場公園にある旧前田侯爵邸で開催されている「スケッチ展」に、知人の作品が展示されており、初めて駒場公園界隈に出かけてきました。

小田急線東北沢駅から徒歩約10分程で、道に迷いながら住宅街を抜けると ようやく駒場公園正門に着き、旧前田侯爵邸へ。

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先日の積雪が邸の前には残雪が見られ、鬱蒼とした大樹に囲まれた静寂な森の中に重厚な佇まいの洋館があり、館内に入るのを躊躇するような雰囲気がありました。

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館内に入り展示会場へ赴くと、ギャラリーのような壁面での展示かと思っていましたが、赤絨毯が敷かれたエントランスホールや応接サロン・旧食堂での展示室にイーゼルに懸けての展示で、その雰囲気や素晴らしい画の数々にびっくりでした。

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今回は、東京都選定の歴史建造物や景観を描いたスケッチ画の特別展で、旧前田侯爵邸を描いたものが多く展示されていましたが、「東京を描く市民の会」の主催だったので、東京の歴史的建造物画が多く、大変参考にもなり、しばし、会員の方とスケッチスポットなどについて談義を行っていた。

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展示会場を一覧してから、館内を見て回ったが、豪華な書斎や家族の部屋、階段や手摺、窓などや美しい調度品など素晴らしいの一語で、西洋の王室の館を連想するほど豪華絢爛な内装ばかりでした。

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一体どのような生活ぶりだったのだろうかと想像してみるが、王朝風の装飾や和風の壁紙なども見られ、一方外観はイギリスのチューダー様式だそうで、玄関ポーチなどにも特徴が見られます。

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スケッチポイントとしては、どのアングルからでも描きたくなる誘惑に駆られるものがあり、多くの人が描いているのが納得でした。

公園に戻ると芝生広場には、2日前の積雪の名残があり、大きな雪だるまが寝そべっていました。

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この後、みどりの散歩道を通り「駒場野公園」へと向かい、園内に入ると「ケルネル田圃」が拡がるが、近代農業の発祥の地だそうで、ドイツ人ケルネル氏の指導で、この水田で実験研究が行われた「駒場農学校」だったそうです。

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水田には、雪が積もっており係の方に聞くと、大変珍しい光景だと言われていたが、非常にラッキーな機会でした。

今も、自然観察舎があり、いろいろな動植物に触れられる貴重な公園となっているそうです。

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この後は、東京大学駒場キャンパスへと向かい、初めてのキャンパス散策してみました。

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ぶらりジョグ~鎌倉巡り

2012年01月26日 | ジョギング

久しぶりの首都圏の大雪騒ぎも収まり、今朝は快晴の冬空となっていたので先週の七福神巡りに続いて、筆供養の行われる「荏柄天神社」などをジョギングで巡ってきました。

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この日は、鎌倉駅から金沢街道を経て鎌倉宮、荏柄天神社へと向かったが、鎌倉宮(大塔宮)は、明治天皇によって建てられた護良親王を祀る神社で、厄除け・幸運招来の神と慕われており、親王が戦に行くときに兜にいつも獅子頭のお守りを偲ばせていたことから、本殿には獅子頭が飾られています。

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また、護良親王の身代わりとして戦場で最期を遂げた義光公を祀る村上社の「撫で身代わり像」やかわらけを投げて厄を払う「厄割り石」が人気のパワースポットになっており、多くの参拝者がトライしていた。

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この後、近くの荏柄天神社へ走ると、既に狭い境内には、大勢の参拝客?で埋め尽くされて初天神の始まりを待っていたが、受験シーズンを迎えての合格祈願者はほとんど見られませんでした。

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初天神の祝詞や玉串奉てんの神事のあと、厳かに「筆供養」が始まると、本殿前の神火に次々と縁台の上に持ち込まれた古筆が焚き上げられていたが、書き物や画が上達すると言い伝えられており、自分も古い絵筆を持参し更なる上達を願って1本を焚き台へ・・・・

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燃えたぎる炎に包まれて大小の筆が次々と焚き上げられていたが、千本は下らないのでは?と思われるほど、多くの筆が持ち込まれていたようで、役目を終えた筆への感謝を込めて眺める姿が見られていた。

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絵筆塚には、著名な漫画家の画のレリーフが見られますが、しめ縄が巻かれており、多くの見学者の人気を呼んでいました。

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昨年は、今の時期には境内の多くの紅梅が咲いていたが、今年はまだ固い蕾状態で代わりに三椏(ミツマタ)が咲き始めていました。

天神社を後にして、八幡宮に参拝して常楽寺へと向かい、1月25日限定で知恵の仏様である「木造文殊菩薩坐像」の秘仏が公開されると聞き、必見の文殊祭を見てきました。

常楽寺は、建長寺を開山された蘭渓道隆禅師ゆかりの古刹で、建長寺の根本とも言われているそうです。

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常楽寺の仏殿には、本尊阿弥陀三尊像が安置されており、その天井画には「雲竜図」が描かれていました。

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雲竜図の撮影は出来ませんでしたが、狩野雪信筆の雲竜が力強く描かれており、夜になると寺を抜け出してので、視力を奪うために黒目を取っていると伝えられているそうです。

まだ時間が早かったので、隣の文殊堂では「文殊祭」の準備中でしたが、貴重な大菩薩像を拝観することが出来ました。

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境内では地元町内会の皆さんから甘酒をいただき、重文の山門前では、祭で演奏される和太鼓の準備も完了していました。

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この後、砂押川プロムナードを走り大船駅へと向かい松竹大船撮影所跡には、渥美清と美空ひばりの懐かしい看板に出会いしばし憩の時を得て、この日の鎌倉巡りを終えていた。

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ふるさと特別便

2012年01月24日 | うんちく・小ネタ

冬のふるさとの代表的な味覚である「越前がに」の特別便が届きました。

この時期には、連日テレビの旅番組で日本海の一番の味覚である「越前ガニ(ズバイガニ)」が紹介されていて刺激を受けているが、ふるさと越前町から取り寄せでお願いしていた「紅ズバイ」がようやく届きました。

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11月に解禁されてからこの日を待っていましたが、年末年始の休漁期間も過ぎていたが、海が荒れていると漁が出来ない日もあったそうで、今年初めての「赤い足の君」 との面会となった。

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メスのカニである絶妙の味の「セイコ蟹」は、残念ながら既に漁期間が終了しているが、ずぼガニは先週解禁となったそうで、まだ2か月余は、美味しい冬ならではの味覚を楽しめるそうだ。

早速、家族で奪い合うように、ふるさとの味覚をいただいたが、しっかりと身が詰まっており、ジューシーで舌がとろけるような触感は堪らないものでした。

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浜の知人に聞いてみると、新年に入って連日、蟹のみならずハタハタや若狭ガレイなども豊漁が続いているそうで、毎朝の越前港は大変に賑わっているそうです。

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また、「越前ハタハタ」の干物は、隠れた自慢の一品だそうで、漁獲量があまり多くないことから県外へ出回る量が少ないそうですが、毎年お取り寄せしている知人からも大好評となっています。

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脂が凝縮された旨みは、他では味わえないものがあり、蟹以上に我が食卓では人気があり、食べやすいため、孫やマイペットの大好物でもある。

我がふるさと福井では、何よりも海の幸・山の幸が豊富で、ふるさとの味覚を味わいながら ふるさとを思う時が、一番の癒しの時となっている。

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横浜中華街~春節

2012年01月23日 | まち歩き

中国の旧正月にあたる3日、横浜中華街では旧正月を祝う「春節」が盛大に開催され、初日のこの日は、伝統行事の「採青(サイチン)」と言われる獅子舞が行われるので、横浜駅からウオーターフロントを走り中華街へと出かけてきました。

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山下公園を経て中華街の朝陽門から中華街大通りに入ると、多くのバスツアー客が訪れていて通りは大変な賑わいとなっていました。

先ず初めに、入口近くにあるインフォメーションセンター(ChinaTown 80)に立ち寄ると狭い館内では、獅子舞のお面や華やかな春節飾りの前で、記念写真を撮ろうと順番待ちになっており正月らしい光景が見られました。

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シルクロードを歩いて「媽祖廟(まそびょう)」に着くと、海の神、厄病・災害・戦争などから守る神と信じられているそうで、多くの参拝客が列をなしていました。

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採青(獅子舞)が始まる時刻まで約1時間あったので、シルクロードから市場通り、関帝廟通り、大通りや裏通りをくまなく歩いて見たが、どの店も正月飾りと縁起物が店内にびっしり飾られており、特に「辰年」に絡んで、中国神話の架空動物である『龍』が目立っています。

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また、パンダの姿がやたら多く目立っていたが、子供たちには大変な人気のようで、パンダ店では、パンダ人気にあやかっての商品が今年の人気商品だそうです。

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どの店内も中国特有の赤や黄色の鮮やかな色で飾られており、魔除けや厄除けの赤唐辛子のストラップなどの飾り物が縁起物だそうで、日本の破魔矢に匹敵するのだろうか?

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採青(サイチン)が始まる頃に、「関帝廟」に行ってみると、獅子舞を待つ観客で周辺道路は身動き取れないほど、埋め尽くされており、待つ時間は寒さが身に染みていた。

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「関帝廟」は、赤・黄・ピンクなど色鮮やかな色の彩色と色とりどりの龍が天に昇る造形が多く、訪れる人々は心から正月を祝っていた。

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関帝廟は、横浜開港と同時に開祖されたそうで、商売繁盛・交通安全・入試合格などのご利益があるそうで、日本の神社仏閣と同じ習慣があるようです。

待つこと約20分で突然爆竹が鳴り、ドラや太鼓の音が鳴り響き、中国獅子が現れて関帝廟へと昇り激しく祝いの舞?を献上していた。

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その後、幸運にも私が立つレストランに向かい激しい舞を披露した後に、伸び上ってご祝儀袋「紅包」を口にして店の前に陣取る観客から大拍手が湧き上がっており、関帝廟通りは寒さを忘れるように熱気に包まれていました。

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週末には、春節「祝舞遊行」パレードがあり、大変な賑わいとなるようです。

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地域親善バドミントン大会

2012年01月22日 | 地域活動

地域の社会体育振興を目的に、新年初めての「地区対抗親善バドミントン大会」を開催し、大寒を迎えた寒い日だったので、参加地区は4地区と少なかったが約50名が参加して、和気あいあいで楽しみました。

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我が地域社会体育振興協議会(社体協)の年間イベントでは、以前から人気の種目として多くの参加者が楽しんでいるが、高齢化の流れの中で、シニアや女子の参加に絞られてきて参加者の減少傾向が見られている。

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参加者には、地域の小学生バドミントン部の指導されている人や、地域のバドミントン愛好者なども参加しての大会となり、地区対抗リーグ戦として行われ、盛り上がっていました。

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試合では、白熱した好ゲームあり、終始お笑い絶えないゲームなど、寒さを吹き飛ばして汗びっしょりとなり、勝負を離れての交流が行われていたようだ。

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バドミントンと言えば、これまでは動きの速いパワーゲームの印象が強く、相手とのレベルの差があると試合にならないと、敬遠する方も多くみられるが、最近ではあまり勝負に執着せずに楽しむスポーツとして考えれば、インドアで狭いエリアでも十分楽しめるスポーツである。

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ご近所や家族で楽しむスポーツとして、学校施設開放の中で利用者は一番多いスポーツとして愛好者も少なくないので、地域のスポーツ振興と親善のためには、今後の年間事業としては力を注ぎたいと考えている。

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ぶらりジョグ~引地川親水公園へ

2012年01月21日 | ジョギング

大寒を迎えて関東地区にも昨日から初雪に見舞われ寒風が吹きすさび小雨模様の朝でしたが、躊躇しながら朝ジョグへと飛び出していった。

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近場のマイコースの引地川親水公園の遊歩道へ出ると、この日も顔見知りのジョガーやお散歩される元気印の顔が見られ、しばし、大会情報などの近況を語り合いながら並走して大庭鷹匠橋へ・・・・

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引地川川辺には、この日もマガモの親子?が寄り添って水中ダンス?を披露していたが、この寒さは平気なんだろうかと余計な心配するほど、寒風が肌を打ちたたいてくれました。

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さらに上流では、アオサギやコサギだろうか?互いにけん制するかのように微妙な距離を取りながら、餌を探す光景が見られていたが、この季節しか見られない光景だろう・・・

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鷹匠橋で折り返して天神橋まで戻ってカエル君ともう帰るからと挨拶して、遊水地周辺を走るがススキも枯れて冬の木枯らし寒く枯れ野の風景が広がっていた。

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さらに田圃みちを走ると、ガマの群生も今は枯れて 飛び散った穂綿が綿あめのようになり、冬本番らしい情景が見られました。

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この後、台谷戸稲荷の森へと向かいお稲荷さんに参拝したが、小さな社内には「かながわ名木100選」のタブノキが今も生き延びており幹回り6M 近い大木も、樹齢約300年と言われており大庭の歴史が刻まれている銘木でもあります。

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次に、近くの大庭神社旧跡地へと向かうと、いつの時代だろうか現在の位置に移設されるまでの小さな祠が石段の奥に鎮座されていましたが、今は熊野神社と呼ばれており、地元の方々が手入れをされていると聞いているが かなり荒れており、過っては境内の大銀杏の銀杏拾いによく訪れていたものです。

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久しぶりの大庭里山を回ってのジョギングだったが、歴史と自然に恵まれた風土を学ぶ機会となっていた。

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鎌倉散策~円覚寺・建長寺

2012年01月20日 | まち歩き

辰年の年始にあたり、辰(龍)は昇り竜で縁起が良いとか、龍にまつわるいろいろな伝説が伝えられる中で、架空の動物の龍が描かれている鎌倉の円覚寺・建長寺の雲竜図が注目を浴びており、改めて訪れてみました。

円覚寺では、総門をくぐり境内に入ると、先ず山門(三門)の迫力に圧倒されるが、三解脱門(空・無相・無願)の象徴だそうで、その構造にも独特のものが見られ、扁額にも伝統が滲み出ています。三門には、楼上には十一面観音像や十六羅漢像などが安置されているそうで、楼上へ通じる階段や楼上の構造にも重厚さを感じます。

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仏殿に入り釈迦如来像の御本尊にお参りして、天井を仰ぐと「白龍の図」が見られ、その眼球や牙をむき出しで真っ白な龍が雲間からが迫ってくる迫力は素晴らしいものでした。よく見ると、その足の爪は3本で、中国本来の5本の爪の龍とは異なるものだそうです。

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円覚寺境内には、多くの塔頭がありますが、先ず名前につられて高台にある龍隠庵(りょういんあん)へと向かうと、仏殿や方丈、選仏場などを眺められ境内の広さを実感することが出来ます。

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階段を上りきると、洞窟や石像が多く鎮座しており、ちょっとした隠れスポットのようで、あまり訪れる人はいないようですね。

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さらに、正続院、国宝「舎利殿」、黄梅院(聖観世音像)、などを一回りしていたが、黄梅院内には、木製の珍しい仏像も見られました。

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佛日庵の前には、「白鹿洞」という小さな洞があり、案内板によると何と開山の日にこの洞穴から白鹿の群れが現れたそうで山号「瑞鹿山」が付けられたそうです。

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また、方丈の中庭には、「百観音」が鎮座しており、いつの時代のものだろうか?作者も不明ながらそれぞれの表情や姿は様々で優雅な顔や優しさなど、どの顔の表情も実に美しみがありました。

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この後、もう一つの国宝「洪鐘」の弁天堂へと洪鐘道の階段を駆け上がると、展望が開けており、弁財天を祀る弁天堂前の鐘楼には、洪鐘(梵鐘)が吊るされています。

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この後、次のスポットである鎌倉五山第一位の「建長寺」へと走り境内へ入ると、こちらも多くのツアー参拝客の姿が見られていましたが、雲竜図を見るべく法堂へ向かうと、何とこの日は先日亡くなられた天井画「雲竜図」の作者、故小泉淳作氏の葬式の準備が行われており、法堂内には小泉氏の遺影が飾られていました。

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天井を仰ぐと、日本では珍しい「五爪の龍」が鋭いかぎ爪をもった凄い迫力ある姿で迫ってきましたが、作者の遺影の上でどんな演技を示したのだろうか?

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仏殿の天井にも、約200枚近い天女や花、鳥の絵が描かれており、こちらは彩色豊かな厳かさを感じていた。

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さらに方丈へ向かうと、長く補修工事中だった「唐門」が昨年、修理改修が終わって見違えるように美しい姿を見せていました。

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唐門は、あのお江の夫である崇源院(秀忠)の霊屋の門を増上寺から移設したもので、80年の経緯により傷みが激しくなり、修復されたもので、国重要文化財ともなっている。

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その煌びやかで豪華絢爛な美しさにしばらく魅せられていた。

また、境内を抜けて参道を進み石段を上りつめて半僧坊大権現へと向かうと、さすがに訪れる参拝客も少なかったが、多くの天狗様が語りかけるように迎えてくれ、展望台からはうっすらと富士山も眺めることが出来ました。

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鎌倉七福神

2012年01月18日 | まち歩き

先週の我が街 藤沢の七福神巡りに続いて隣の鎌倉市の七福神巡りへ走りこみを兼ねてジョギングで出かけてきました。

北鎌倉から入り「浄智寺(布袋尊~不老長寿の神)」に着くと、こちらには鐘楼門から多くの七福神めぐりのツアー客の姿があり、境内に入り奥のやぐらへ直行して布袋尊に再会・・・

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ここの布袋尊は、他の布袋尊と身姿が異なり立ち姿で袋も背負っていなくて、撫でられたおなかは黒光りしており、何か意味あり気に右手で指差す姿がユニークですね。

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次の鶴岡八幡宮では、本殿と丸山稲荷社に参拝してから、境内の源平池にある「旗上弁財天社(弁財天~芸能・開運・財運の神)」へと到着すると、八幡宮の珍しい白鳩に迎えられました。

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弁財天像は、国宝館に安置されており拝むことは出来ませんでしたが、源氏の白旗に囲まれており、頼朝が旗揚げに際して戦勝祈願したそうで、武運・大願成就の福神だと言われ参拝者が多いそうです。

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次の北条氏ゆかりの寺である「宝戒寺(毘沙門天~病魔退散の神)」では、毘沙門天は本堂内に安置されていましたが、境内には聖徳太子を祀る太子堂や歓喜天像が祀られている大聖天堂などがあり、秋の萩の寺でもある。

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この後、寺の裏手にある史跡「紅葉山やぐら」や東勝寺跡にある「北条高時の腹切やぐら」へ立ち寄ったが、何れも北条氏ゆかりの地で、新田義貞に攻められて最期の場所となった史跡で当時が偲ばれる処ですが、訪れる人もなくひっそりとしていました。

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この後、小町大路へ戻り「妙隆寺(寿老人~長寿の神)」では、本堂手前の小さなガラス張りのお堂に欅つくりの寿老人がひっそりと祀られていました。

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さらに、大路を走って「本覚寺(夷尊神~商売繁盛の神)」では、鎌倉えびすと言われて、先週の本えびすでは、福もち搗きや祈祷会などで大変な賑わいだったそうです。

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この後、駅裏へと回り鎌倉大仏横を経て「長谷寺(大黒天~出世開運・財福の神)」へ走ってみると、こちらでも観光バスや七福神巡りツアー客で大混雑でした。

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十一面観世音菩薩や大黒天を拝観して展望台からの由比ヶ浜展望を楽しんでいた。

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最後の神「御霊神社(福禄寿~幸福・財福・長寿の神)」に移動して、宝蔵庫に祀られている福禄寿の面を拝観したが、狭い蔵の中は、ツアー客などで一杯となっており、辛うじてシャッターチャンスを掴み面掛行列のお面とともに貴重な瞬間を得ました。

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御霊神社は、我が街大庭神社の神、鎌倉権五郎景政を祀る「権五郎神社」とも呼ばれるそうで、境内には石上神社・秋葉神社・地神社・御嶽社・第六天社など多くの末社が鎮座しており、鎌倉の民族文化財ともなっている貴重な庚申塔を見ることもできました。

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また、江ノ電に接する神社の160年の歴史を刻んだ大鳥居がつい先月に建て替えられたばかりで、真っ白な新しい鳥居に変わっていました。

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この後は、極楽寺を経て134号線へと走り、一日駆けずり回っての七福神巡りで開運祈願をしてきましたが、何よりも約1か月近く膝の怪我から走れない悩みを解消して、ロングランを出来たことで、健康・走福を得ての新春のスタートとなった。

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第31回江ノ島・寒中神輿錬成大会

2012年01月17日 | まち歩き

新成人のお祝いと一年の無病息災を祈願する藤沢江ノ島の冬の風物詩である、「寒中神輿錬成大会」が片瀬東浜海岸で行われ、約1万人近い大観衆で大変な賑わいでした。

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大寒を間もなく迎える肌寒い海岸風景でしたが、東海岸へ着くと神輿や担ぎ手が勢ぞろいしていて、まもなく江ノ島神社の宮司によりご祈祷が執り行われた後、新成人13人も神妙な顔つきで安全祈願の祈りを捧げていた。

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担ぎ手は、焚火を囲みながら今か今かと神事の終わるのを待ちわびていたが、若手もベテランも相混じって気力が沸騰していました。

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神事の後、4基の神輿が 待ってましたと新成人を含めた担ぎ手に担がれて練り歩き、海の中へと競うように入っていったが、箪笥金具を叩く音と、「ドッコイ~ドッコイ」と勇ましく掛け声を天に届けと響かせていく姿は、観衆も寒さを忘れるほどでした。

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約30分の海中練り歩きの後、陸に上がっての勇壮な担ぎ姿には、何と言っても六尺褌や刺青姿が目を引いていたが、今年もカメラおじさんが大勢神輿回りを追いかけて、もみ合う光景があちこちで見られていた・・・・

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裸の担ぎ手からは、寒さを吹き飛ばすように湯気が発しているほどで、気合が溢れていたようだ。

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神輿には、辰年に因んでか龍の姿も見られました。

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新成人も男女を問わずベテラン衆に挟まれて大役を果たし、興奮気味に喜びを表していた。

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どんど焼き

2012年01月16日 | 地域活動

小正月(1月15日)恒例の伝統行事である『どんど焼き』が、地域の市民センターの広場で地区青少年育成協力会の主催で開催され、協力会のメンバーとして参加しました。

朝からボランテイア会員約50人が集まり、それぞれの役割分担で、予め準備していた青竹や門松などで約5Mのやぐら組みなどの準備作業に追われていたが、いつからだろうかノウハウも蓄積されており、ベテラン役員の指導よろしく作り上げていた。

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その後は、餅つき班で餅つき(3色餅)を行ったが、若い頃には毎年餅つきを経験している世代故に、お神酒でお浄めを行い、掛け声よろしくあっという間に3臼を搗きあげて、丸餅づくりへと移っていた。

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準備がほぼ終わる頃から、地域の住民が正月飾りやしめ縄、書初め、お札などを持ち寄りあっという間に、家族や子供たち約300人が見守る中で大きな櫓が出来上がっていた。

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事前に受付を済ませていた子供たちは、それぞれミツマタ枝を受け取り、出来上がった3色餅を、ミツマタ枝に刺して何が起きるのだろうか?と、うきうきしている子供もいて父兄やPTA関係者と火祭りへの点火を今か今かと待ち望んでいたようだ。

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どんど焼きの起源やいわれなどを説明して、点火へのカウントダウンが子供たちの合唱で始まり、点火されるとあっという間に大きな神の火柱が出来て、大歓声が起きていた。

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正月飾りを焼くことにより、お正月に出迎えていた「歳神」を天に帰っていくのを見送りながら、新年の無病息災・家内安全などを祈願して、燃え盛る神の火柱を見つめていた。

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炎の勢いが衰えて餅焼きが出来る状況になると、火を囲みながら餅焼きが始まったが、子供たちは「熱いよ~・・顔が火傷しそう~・・・」 と、顔を背けながら懸命に餅枝をかざして焼きあがると、嬉しそうに口にほうばりながら、美味しいそうに「今年は、字がうまくなりたい・・・」 などと、笑顔を見せていたのが印象的でした。

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約2時間のどんど焼きも事故なく終了して、参加者と主催関係者との短いながらの楽しい交流が地域の絆の輪を拡げていたが、地域力を強める貴重な伝統のイベントの一つが実りあるものとして息づいているのを実感していた。

今年は、一部の地域では、飾りや燃やす枝などに放射性物質が付着していて拡散するのでは?との住民の不安に配慮して、伝統のどんど焼きを中止したというニュースも聞かれるが、「歳の神」は何と思っているのだろうか?実に寂しい思いである。

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新春の集い

2012年01月15日 | 地域活動

新春恒例の地域の新春の集いに参加して、多くの地域の各団体・グループとの交流・交歓を行ってきました。

毎年、この時期に賀詞交歓を兼ねて地域の社会福祉協議会・体育振興協議会・防災・防犯・青少年育成など各団体や自治会、サークルなどが参加して市民センターで開催されており、今年も主催者側を含めて約200人が集まり、盛大に行われた。

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今年は我が街湘南ライフタウンが誕生して40周年を迎え、「かながわの街なみ百選」にも選ばれており、自然豊かな住みよい街として、地域の輪が広がっていると感じている。

参加者全員で市歌や市民憲章を唱和して市長・来賓挨拶の後、鏡割りで交歓会が始まったが、日頃互いにスポーツイベントや自治会活動の中でご縁のある知り合いや関係団体・グループとの新年の挨拶や交流で、あちこちで話の輪が出来ていた。

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政治がらみの交換会と異なり、利害得失が絡まない交歓は、和やかな雰囲気の中で、想い出や支援など楽しい話に花が咲き交流が続いていた。

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式典と賀詞交換の後には、地元の踊りのサークルの艶やかな踊りが披露されていたが、各地で活躍されているお馴染みの方々で、新春に相応しい舞踏に会場から大拍手を浴びていた。

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会場には、地元の小学生の写真や画の作品が紹介されていたり、手作りの「龍」凧が飾られていたが、地元やそれぞれのグループの課題に挑戦して、昇龍にあやかって困難を乗り越えて行こうと誓い合っていた。

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昨年の未曾有の災害から地域の絆の大切さを再認識しているが、今こそ地域の各団体や自治会などの相互交流を深化することの出来る環境づくりの必要性を確認し合って、元気よく三本締めでお開きとなっていた。

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