MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

南フランス・カタルーニャ地方へのスケッチ旅行

2009年04月30日 | 旅行記

知人の紹介があり、4月20日から春本番を迎えたフランスとスペインの国境に近い南フランスへのスケッチ旅行に出かけてきた。

001

これまでもヨーロッパへの観光旅行でスケッチブックを拡げたことがあるが、あの美しい風景にじっくりと向かい合い画紙にあの風景を描きとるツアーに参加して楽しい旅行であった。

旅行社『トラベルプラン』は、スケッチ旅行に特化した企画で30余年の経験があるそうで、そのコースやスケッチポイントなどの事前調査による案内も期待以上であった。

コースも、一般的な旅行ガイドブックには、記載されていないところが多く、事前にWebなどでいろいろ調べたが、殆どデータが無かった。

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今回のコースは、一般的な観光地や絵葉書的な名所ではなく、『画になる田舎の村』が主体でスケッチポイントも限りが無いほどである。

事前調査がしっかりしていて、多くのスケッチポイントまで案内され、連泊によりじっくりと思い思いのポイントを選びホテルからも徒歩により出かけられ、時間に束縛されることもなく最高の「スケッチ町」であった。

024

今回のコースは、パリ経由でミデイ・ピレネー地方のトウールーズに入り、バスにてミデイ運河の街「カステルノーダリー」とカタリの歴史的城塞の街「カルカッソンヌ」、国境近くの港町「コリウール」、スペインに入り中世の橋の村「ベサルー」をゆっくりと訪ねて、最後は美しいシテイー「パリ」と、中世の町を描いてのスケッチ三昧の旅であった。

111

ツアー参加者には、油彩や水彩経験歴が長いベテランが多く、経験の浅い管理者は躊躇する気持ちもあったが、

気持ちの良い参加者に恵まれて水彩談議を語りながら、フランスの歴史を学ぶ貴重なツアーを経験した。

田舎町の伝統ある地方料理やレストランでの地元の人とのふれあいの雰囲気も楽しでいた。

趣味を同じくする仲間との趣味を楽しむ旅は、初めての経験であったが、他のツアーでは味わえないものとなり、病み付きになりそうな味わいである。

10日間の経験は、シリーズで次回からレポートしたい。

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結婚式に招かれて

2009年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

ふるさと福井の知人から結婚式へのご招待を受けて出席してきた。

これまでも会社関係や友人・知人などの結婚式には、多く出席してきたが、故郷福井の結婚式は久し振りであり、全国でも有名な慣習・風習が残っており、喜んで出席させてもらった。

特に福井独特のものは、饅頭(萬壽)撒きである。

023 花嫁は、嫁ぎ先のご親戚やご近所の人々が待っておられる、玄関先の約100M手前から玄関まで、車から降りて挨拶をしながら静々と練り歩く『近迎え』が行われた。

花嫁を新郎の家に迎え入れて、新郎側の家に集まったご近所の皆さんへ二階やベランダから

「萬壽」を撒いてご近所の人々に花嫁をお披露目して、 「これからよろしくお願いします」と挨拶する風習で、縁起のよい饅頭(萬壽)を撒くのである。

最近は、めっきりこの風習を行う家も減っており、式場で式を挙げてから後日 ご挨拶する家が多いそうだ。

今回は、萬壽の撒き手を依頼され、過っていつの頃か一回経験した事があるが、緊張してこの縁起よい撒き手を経験させてもらった。

033 ご近所から集まってこられた方々は、300名近い人々がおられただろうか?その熱い歓声には驚いた。

これまでは、豆まきなどで拾い手側は毎年多くの経験をしているが、道路の拾い手の頭の上から、皆さんの「こっちへもお願いしまーす」という声を聞きながら、他の撒き手との呼吸を合わせて万遍に撒くのも、簡単ではないのだ。

旧友の顔も見えていて、後方に構える旧友に目がけてのキャッチボールならぬキャッチ万寿も見事に決まっていた。

030 しかし、アッという間の僅か10分足らずだっただろうか、約2000個以上の万寿やドラ焼き、そば玉などは、撒き終わっていた。

末永くご近所とも仲良く平和なお付き合いが出来る事を心から願う。

落ち着いたところで、一族揃って近くの結婚式場に向かい、厳かな挙式が執り行われ立ち合わせてもらいました。

049 披露宴では、約200名近いお客様が列席されて、盛大な宴が行われたが、最近の披露宴も専門のプライダルプランナーが企画されているようで、郷土の踊りや演奏などもあり、至れり尽くせりの約3時間を超えるすばらしい宴であった。

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名勝東尋坊の春

2009年04月18日 | テレビ番組

「NHKふるさと一番」の番組で、今週はふるさと福井県がLIVE放映され注目して見ていた。

敦賀市、池田村に続いての東尋坊には、先週出かけてきたばかりであり、非常に懐かしさを感じた。

番組では、断崖絶壁の数々の景勝や奇岩を叩いて音の変化を聞きながら楽しむ方法、急坂の除草風景など、非常に懐かしく 興味深いものがあった。

千畳敷やローソク岩、屏風岩、三段岩、ライオン岩、軍艦島なども紹介されたが、50年近く前と風景は殆ど変わっていない。

074 先日も東尋坊の北の端の雄島へ出かけたが、あの朱色の橋や雄島の神秘的な景観は変化がないようである。

日本の海岸景勝地として天然記念物に指定されており、先だっての読売新聞の「平成百景」にも選定されている。

春から夏には、穏やかな景色が楽しめるが、冬の日本海の荒波は凄いものがあり、長年に亘り荒波に侵食された美しい荘厳な岩肌と断崖絶壁は、なんとも凄さを感ずる。

2 特に、学生時代にあの屏風岩やローソク岩でロッククライムのトレーニングをやったことがあり、足を滑らして深い海に落ちた事など、強い思い出が甦った。

また、『東尋坊』の名前の由来も、当時からよく聞かされていたもので、平泉寺の東尋坊という強持ての悪僧が、絶壁から突き落とされたのだというのも、覚えている。

東尋坊は、また、自殺の名所としても昔から有名であったが、最近の世相から増えているようだ?

最近は、ふるさと福井の話題が多く自分には 「ふるさとは近くにありて思う」ようになってきている。

ご当地ソングの女王 水森かおりの『東尋坊』の歌詞にある「押しよせる波は、恋に破れた涙を流してくれる 日本海・・・」の悲恋のイメージが忘れられない・・・・・

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相模川の春を感じてロングライド

2009年04月17日 | サイクリング

マラソンシーズンに備えてのトレーニング重視で、しばらくバイクライドは控えていたが、ようや く気持ちを切り替えて愛チャリTREKで、ロングライドに出かけてきた。

目指すは、の広場』の相模川周辺の相模川八景を訪ねて、最近、土木遺産として土木学会に認定された『小倉橋』最終目標地である。

025先に、戸沢橋を渡り、伊勢原市の渋田川芝さくらを訪ねたあと、引き返して再び戸沢橋に戻り、海老名駅を経由して、246号をくぐり相模川左岸堤防道へ出て、一路相模川新戸地区の芝さくら会場へ向かった。

  こちらは、既報のとおり相模川の河川敷一杯にピンクの絨毯を敷き詰めたように、1.4Kmに亘り カラフルな景観が続いている。

039しばし、芝桜をカメラに収めながら景観を楽しみ、磯部水位観測所の堰を眺めながら、約2Km過ぎで、「三段の滝」の見える新相陽橋に着く。

相模川の流れとともに、丹沢山塊や河岸段丘を一望する八景の棚の風景は相模川を代表する光景であった。

037 その日は、天候も快晴で大山・三峰・塔ノ岳・丹沢山・蛭ケ岳・・・・などの連山が一望できてすばらしい景色であった。

また、川原には水と時の流れが作りだした中州が拡がり、緑豊かな景観である。

042 川原には、遊歩道が出来ており一部では、工事中であったが、その工事たるは、約30mはあるような垂直な壁に作業員が命綱にぶら下がり高木などを削る工事であった。

その先は、左岸道路を進み昭和橋、新昭和橋を越えて田名地区では、一時相模川から外れて住宅街に入るが、高田橋を過ぎてまもなく渓松園前から川原にくだり、自然の村公園に着いた。

053 そこからは、小倉橋が見えてきて遊歩道が続いており、約2Km弱で今日の目標地である『新旧小倉橋』に到着し、往路は48.2Kmを記録した。

小倉橋下は、渓流に遊ぶ公園になっており、過っては対岸を結ぶ渡し場であったようだ。

大きな休息所も出来ていて夏には多くの客で賑わいそうである。

050 小倉橋の左岸から仰ぐ二重の橋は、その形状と美しさに河岸にはボートも接がれていて、絶景のスケッチポイントである。

次回は、一日かけて春のスケッチを描きに来なければと誘惑に駆られる期待通りの場所であった。

古い小倉橋は、1938年のい建造されたそうであるが、その画期的な建造技術と渓谷美の自然との調和が評価されて『土木遺産』に20年度に認定されたそうだ。

058 「かながわ景勝50選」「かながわ橋百選」にも選ばれている。

周辺の地域情報を探りながら散策して、しばし休憩後に帰路についたが、帰路は相模川右岸の511号線を約6Kmで高田橋に到達。

更に右岸を約6Kmで新昭和橋際に着き、昭和橋から左岸へ渡り、往路と同じ新戸の芝桜を眺めながら、海老名駅、綾瀬市を経て帰宅した。

067 帰宅時には、日暮れ時となっていて復路は、36.5kmをカウントしており、往復で84.7kmを記録していた。

想像以上に距離があって、満足感はあったが、疲労感も残っていた。

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渋田川・相模川の芝さくらを求めて

2009年04月16日 | まち歩き

ソメイヨシノが短き命を終えて散りさり、変わって各地の芝桜が見頃になってきたようだ。

湘南地区では、伊勢原の渋田川と相模川の新戸が、特に規模の大きさや美しさで有名である。

013久し振りのサイクリスト気分になり朝のポタリングで、風を切って出かけてきた。

約1時間で現地に着いたが、平時でありながら散歩客やウオーキング族が多勢見えていて、狭い両側の河畔の散歩道を行き交うのに苦労するほどであった。

約600mに及ぶ土手の斜面には、赤・白・ピンクの芝桜で埋めつくされてい017 て、川面に写る景観はすばらしい。

「かながわ花百選」「かながわまちなみ百選」にも、選ばれているようだ。

案内版に寄れば、昭和45年に奥多摩から一株を移植したのが、始まりだとかで、今は地元の応援隊も結成されて、除草・清掃を行っているそうだ。

012 周辺は、広大な田畑が拡がっていて、農家の方々の芝桜への情熱を感じた。

また、地産の野菜類が格安で販売されており、婦人部隊が大活躍されていた。

伊勢原の渋田川には、地元の方々の様々な努力があり、多くの案内人も出ての歓迎ぶりであった。

20日には、今年第1回となる「イセハラ芸術花火大会」が行われるので、ぜひ来てくれと地元の人に薦められた。

021 1時間ほど散策して、次の相模川新戸地区の芝桜まで、愛車TREKを相模川沿いの堤防道を薫風を受けて肌を撫ぜながら飛ばしていた。

相模川左岸の新戸まで約8Km、その会場には、何とも表現できない美しい光景が拡がっていた。

022 ピンクのカーペットを河岸の川原に2重3重にも敷き詰めたような『芝ざくらライン』が出来ており、周りの新緑や菜の花畑との見事なコントラストの世界である。

ここの芝桜は、前記の渋田川から平成14年に、移植して増やして来られたそうで、分家みたいな存在である。

027 その規模は、地域的な事情もあり、毎年増殖してきて今や1400mにも及んでいるのだ。

ここでも地域の自治会や老人会が、奉仕活動により育てこられて今日の姿になっているが、その前は心無い人達が不法投棄するゴミ捨て場になっていたそうである。

030 GWには、これも伝統のある「大凧まつり」が開催され、河川敷は大賑わいとなるようだ。

さらに気分爽快で、相模川上流へと愛車を飛ばした。

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苗字の話題と由来に関心

2009年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、TV番組「ミヤネ屋」で宮城県栗原市市議選で、立候補予定者43人の内、同姓の佐藤姓が11人立候補して、

4人に1人が佐藤さんで選管も対応に困っているとの話題が報道されていた。

他にも、同姓の候補者がいるようであるが、「佐藤」の姓だけ記名された投票の扱いがどうなるかの話題であったが、

確かに投票台に立ったときには、記名するときにフルネームを書けるのか?または、氏名に○を付けるのか?

選挙の行方も関心があったが、キャスターの説明で興味があったのは、『佐藤』姓の由来であった。

知人には、佐藤さんが多く日本の苗字ランキングでも、1位だそうである。

全国各地に多いが、特に秋田県や山形県など東北地方に特に多いそうだ。

佐藤姓は、日本の名門氏族である藤原家の末裔であるそうだ。

下に『藤』が付く、佐藤・伊藤・加藤・斉藤・後藤・近藤・遠藤・須藤・美藤・工藤・江藤・・・・など十六藤あるそうで、皆さん名門『藤原家』の末裔だそうである。

由来は、いろいろ説があるそうであるが、『佐藤』の前の文字「佐」は、佐渡や佐野など地域の名前や、地位の衛門が転化した「佐」から取り、藤原の「藤」と組み合わせたそうだ。

同じように『伊藤』は、伊勢の「伊」+藤原の「藤」=伊藤になったとか。

ところが、頭に藤が付く、藤田・藤谷・藤村・藤島・藤川・・・・などは、全く藤原家とは関連がないそうで、突き詰めてみると苗字の由来も大変面白く探ってみたい。

殆どが先祖の出身地や職の地位などから取った例が多いそうであるが、そのように辿るとあまり例が少ない稀少姓にも興味が移る。

知人でも馬来田さんや両院さん東海林さんなど、ランキングでも5万を越す苗字にも関心した。

苗字由来には、天皇の分家からとか、地名由来、地形由来、職業由来などおくが深そうであり、また、苗字を変えることは法律上出来ないのである。

もともと苗字は、自分の身内と他人を区別できるように考えられた「符号」であったそうだ。

同姓が地域的な偏りがあったり、特定の職業に見られる名前などを見ると納得である。

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学校ボランテイア活動

2009年04月14日 | 地域活動

新学期がスタートして1週間が過ぎ、桜が満開とともに新入生の顔にも落ち着いた笑顔が見られるようになってきた。

Photo 地元小学校の新入学1年生の顔には、不安と期待が見られていたが、1週間で一日一日楽しそうな顔に変わり、

通学時の「おはようボランテイア活動隊」「見守り隊」への反応に変化がみられる。

先週、新学期スタートにあたり、活動隊の情報連絡会が行われ新体制が発足したが、

この活動もスタートから5年目を迎えて、ほぼどの小学校も定着してきたそうだ。

校門や通学路に、通学時と下校時に立ち、子供達との挨拶や会話を通じて安全の確保とコミュニケーションを保っている。

子供達との挨拶や会話から、我々活動隊も元気を貰い勇気を与えられることが多いのである。

Img_1174280551860 しかし、朝の挨拶「おはようございま~す」の呼びかけに対して、反応が無かったり恥ずかしそうにぼそぼそと顔を背ける子供も少なくないのである。

元気に「おじさん、おはようございます・・・。今日は、公園へ社会見学に行くんだよ~」と、語りかけてくる子供がいる中で、挨拶の出来ない子供達との差は、何なのだろうか?

最近は、少人数学級が増えている中でも、学級崩壊などが少なくないと聞くが、その原因の多くは家庭の躾から来ている例が多いようだ。

特に、学校生活の中で、学校の教育の基本に『挨拶をする』、『ルールを守り 助け合う』があるが、守られない実行できない子供が多いようだ。

3会議でも論議されたが、やはり親と子供の家庭内におけるコミュニケーションが足りないのが起因しているのではないだろうか?

昔と違い共稼ぎ家族が多くなり、親子の会話時間が絶対的に不足して、充分な躾を教える事が難しくなってきているらしい。

通学には、マイカーで送ることは禁じられているが、毎日何人かは必ず親御さんがマイカーで校門まで送ってきている。

いろいろ事情はあるのだろうが、これでは子供達にルールを守れと言っても通じないだろう・・・

子供達が毎日明るく元気に学校生活を送れるように、保護者と学校と地域社会が一体となって支援する事が、一番必要であることは論を待たない。

この次世代の日本を背負い守るのは子供達であり、健全に育て支援していくことが本当に大切である。

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三浦半島も春爛漫

2009年04月13日 | まち歩き

今日も20℃を越える暖かい日和となり、わが走友会の恒例の「三浦海岸を走って」城ヶ島温泉に結集した。

走友の中には、横浜から早朝5時に出発して、城ヶ島まで約55Kmを走り抜く猛者も13名いた。

我々は、久里浜や三浦海岸駅から、20Km、12Kmと夫々の思い思いペースで、久し振りにランシャツの春姿で汗を流し、走ったあとの温泉には格別であった。

001 この日も春爛漫の天候で城ヶ島には多くの家族連れやハイキンググループが訪れていて、岩場や城ヶ島公園では、春の海風を受けて楽しんでいた。

また、三崎港には多くの釣り客などが訪れていたが、やはり全国有数の「遠洋マグロ漁業基地」として有名であるが、時間的に午後だったせいか、漁港は漁船の数も少なく静かであった。

004 一方、城ヶ島公園に足を伸ばすと、海の荒々しさを実感する様々の岩の奇形が、広がっており、

岩々を飛びながら春の海風が肌を撫ぜてくれて心地よさを満喫した。

Photo そして城ヶ島と言えば、『城ヶ島の雨』を思い出すが、城ヶ島大橋の下に北原白秋記念館や石碑があり、

「雨はふるふる 日はうす曇る、船はゆくゆく 帆がかすむ 」の情景を思いながら、白秋の生き様に思いふけっていた。

003 この日の三浦半島には、サイクリング仲間が多勢ロングライドだろうか、134号線を行き交う姿に会い、時々声をかけてみたが、遠くは小田原来ているグループもあり、サイクリストにとっても最高のサイクル日和だったようだ。

月末26日には、三崎港で恒例の「三崎まぐろ鉄火巻日本一寿司づくり大会」が開催されるそうで、

今年も長さ日本記録の520Mに挑戦する予定だとか、地元では既にこのイベントに話題が集まっていた。

Photo_2 釣り場であった地元の方に聞けば、先月には1000人以上の参加者の応募があり、既に締め切られたそうだ。

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横浜みなとみらいは春真盛り

2009年04月12日 | まち歩き

006横浜みなとみらい地区の写生会で新港パークへ出かけたが、この日は初夏を思わせる陽気で空の色も夏色であった。

この日は、時間を惜しみ早描きで2箇所を描きましたが、陽気に誘われて横浜開港150周年記念テーマイベント『開国・開港Y150』の開催が間近に迫ったベイサイドエリアをあちこちと事前体験して歩いた。

009 新港パークにあるイベントのメイン会場となる「Y150はじまりの森」会場は、既に完成していて巨大スペクタクルアート『ラ・マシン』がフランスからここに上陸しているようだ。

ラ・マシンの巨大クモが、プレイベントとして16日から横浜市内や象の鼻地区に登場しパレードするそうである。

012 赤レンガ倉庫から大桟橋を眺めると、丁度「飛鳥Ⅱ」号が入港したばかりで、そびえるかのように巨大な姿があり、快晴の初夏の陽射しを受けて眩しいほどの美しさで、多くの観光客が見とれていた。

象の鼻地区から大桟橋へ出向いていけば、エクスプローラ号やふじ丸などの豪華客船が相次いで入港しており、

年に1度?かと思われるほどの景観があり、ベイブリッジも實に美しい姿で迎えていたようだ。

014大桟橋(国際客船ターミナル)は、船の甲板をイメージしたウッドデッキで出来ており、晴海のターミナルとは、全く異なる景観で、さながら巨大なベランダである。

また、赤レンガ倉庫やランドマークのあるみなとみらい地区は、2階のデッキからガラス越しに素晴らしい展望が望めていた。

003 開港から150年の歴史を刻んで、今やこの美しい景観と大規模の港町に変貌しているのだ。

屋上デッキでは、飛鳥Ⅱやエクスプローラなどのマンモス客船をカメラに収めようと、多くのカメラの放列があり、客船の客と手を振りながらの交換風景があった。

ホールに下りてみれば、3隻の客船の下船客でごった返しで、タクシーを待つ長い列が出来ており、中には超有名人の姿も見られたが、この世界一周クルーズは、幾らするのだろうか?

今日12日の出航と聞いているが、出航風景は最大のポイントである。

037 開港資料館を経由して、横浜公園に来ればここでは初夏を思わせる陽気にイベントの開場を待ちきれずに、壮大なチュウリップ花壇の花が満開となって、行き交う人々の足を止めていた。

「開国博Y150」まで、あと2週間余となりどんなイベントが行われるのか、春の陽気と共に待ちきれずにワクワクしてくる。

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湘南のさくら名所巡り

2009年04月11日 | まち歩き

さくら前線が停滞していたが、今週になって一気に列島を駆け抜けて湘南の桜も、満開となった。

春が来た どこに来た 湘南に来た・・」と思いつつ、遅れて来た春も、今週は春本番となり開花を待ちわびていた桜は、弾けるようにその姿を競って咲き誇っていました。

083ふるさと福井のさくらを満喫して戻ると、湘南にも負けじと どこの桜もそれぞれの特質を活かして地元のまつり気分は最高であった。

藤沢の桜名所と言えば、誰しも「大庭城址公園」の桜で、市民の憩いの場として定着している。

思えばこの大庭城址公園は、20数年前までは荒れた小山であったが、今や湘南の有数の桜名所となった。

091 かって大庭景親が築城した史跡が残る芝生公園には、親子連れや遠来のウオーキング族が思い思いに花見を楽しんでいた。

近くの引地川沿いには、ここも親水公園としてこの数年前から桜道が出来て、富士山も遠望できる散歩道として賑わっている。

109 さらに、引地川上流の大和市の『大和の千本桜』に移動すると、こちらも満開で花吹雪が舞っており、川面には花いかだが観られて独特の雰囲気が漂っている。

引地川を挟んで両側の道路には、約1.5Kmの桜トンネルとなっており、平日でもあったので川沿いの散歩道にも宴会組は少なく、大木桜の満開は圧巻であった。

この沿道には、おしゃれな住宅も多く、スケッチポイントしては最高である。

また、出直してここのさくら住宅街の趣を描いてみたい誘惑にかられた。

2 さらに、隣の町 綾瀬・海老名市につながる「綾西緑地のさくら」道も、満開となっていて春の花々も色とりどりに咲き誇っていて、近年 枝おろしがされていて残念であるが、桜トンネルも風情がある。

「かながわ まちなみ100選」に選ばれていて、残しておきたい街並みである。

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恩師・旧友との再会

2009年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

ふるさとを久し振りに訪れたが、友人が小学校時代の恩師を囲んでの旧友との再会の場を作ってくれて思い出多い一日を過ごした。

再会の場所も、友人が機転を利かして福井から車で約1時間程の雄島の素晴らしい展望の民宿レストランであった。

道中も、三国港、三国海岸、東尋坊を経由しながら懐かしい風景を楽しみながらのドライブだった。

あのロシア船が難破してオイル汚染した海岸も、今はその面影もなく美しい海岸線が広がっており、中学時代だったろうか?雄島まで遠泳を経験したのを思い出していた。

074雄島は、神の島と言われているが、朱塗りの橋や原生林、岩肌は遠望からであるが、昔のままの姿で迎えてくれた。

数々の伝説が言い伝えられている島であるが、冬は日本海の荒波に洗われても なお強くその姿を留めているようだ。

レストランも聞けば、地元の人が利用する隠れ里のようなシャレた店で、新鮮な海の幸をふんだんに使った創作料理は、大変満足の至福のときであった。

恩師は傘寿を迎えられ なお元気はつらつされていて、旧友と間違える程である。

聞けば今も茶道の師範として多くのお弟子さんを指導されているそうで、お茶を通じて『日本の心』を教えておられるそうだ。

恩師には、今春マイスケッチ画で創ったカレンダーを贈ったが、大変なお褒めをいただいていたので、

0012 先月の水彩作品展に展示した拙作を持参し、観てもらったところ身に余る好評をいただき、額装のまま貰っていただいた。

懇親会では、出席者の近況や半世紀前の思い出を語り合い、相互に元気を与えあいながら、時間を忘れていた。

お互いセカンドライフの生き方やふるさと情報を交換して、交流の大切さを感じ再会を約した。

今回の出会いを通じて、管理者が大好きなサムエル・ウルマンの『青春の詩』の一部を実感した。

「年を重ねただけでは、人は老いない。情熱を失う時に精神は萎む」

「大地より、神より、人より、美を喜び・・・・勇気を受ける限り、人は若さを失わない」

福井に戻ると、旧友達がコーヒータイムを創ってくれており、ここでも互いに元気を与えあい、

卒業以来半世紀以上の時間があったのが、信じ難い熱い気持ちが通じ合った時が流れていた。

Photo ふるさとの味と温もりを体一杯に吸収してのふるさとの旅を終えた。

このブログを書いている時にも、偶然にNHKにて 日本さくら100選の「足羽川のさくら」が満開になった旨、放映されたが、ビックリだった。

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ふるさとの桜まつり

2009年04月09日 | 旅行記

ふるさと福井は、足羽川・足羽山を始め多くの桜名所があり、今春初めて故郷の桜名所巡りに出かけ楽しんできた。

023 足羽山は、足羽川と共に『日本さくら100選』に選ばれており、広い公園内には、約4,000本の桜があるそうで、

訪問した5日には、継体天皇像の三段広場で公園開園100年記念の式典が行われていた。

065山全体がピンク色に染まって燃えるような雰囲気になっていた。

思えば、足羽山は昔から市民の憩いの場として、四季を通していつも多くの市民が集まり賑わっていたが、この日も花見客や散歩を楽しむ方で大変な人出でした。

市内では一番早く咲くと云われている「さくら通り」から「福井城址のお堀端」へ回り、5分咲き程度であったが、何れも樹齢数十年の古木のさくらの味わいを楽しんだ。

Photoまた、前日には福井市郊外にある国の特別史跡である一乗谷『朝倉義景遺跡』を訪ね、生憎そぼ降る雨だったが、

義景館跡のシンボルである『唐門』は、樹齢数百年の『薄墨桜』とともに、幻想的な素晴らしい景観であった。

また、唐門には豊臣家の「五三の桐」や朝倉家の「みつもっこ」の家紋が残されており、戦国時代の栄華を覗きみる感じがした。

さらに、足を伸ばして越前市の里山の『味真野小学校のさくら』に回ったが、驚いたのは校庭のど真ん中に大きなソメイヨシノが神座ましているのだ。

014あまり広くない田舎の小学校であったが、桜周りは垣で囲まれており、正に学校のシンボルである。

学校内は、自由に開放されており、ライトアップされて夜には多くの見物客が来られるそうである。

何か温かく子供達を見守るようにそびえていたが、校庭の運動などではどうするのだろうかと余計な事を考えていた。

Photo_2 翌日には、丸岡城霞ヶ丘公園の桜を観に行ったが、ここも「日本のさくら100選」に選ばれていて、日本最古の天守閣から眺める桜並木は、満開に近く狭い公園内は、平日にも多勢の見物客が訪れていた。

3日間であったが、念願のふるさと福井のさくら三昧を楽しんだ。

ふるさとの良さを、改めてさくらを通じて感じていた。

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ふるさと春まつり

2009年04月08日 | 旅行記

久し振りにふるさと福井のさくらまつりに出かけてきた。

足羽川や足羽山の桜は、『日本さくら100選』に選ばれており、桜の名所が多い。

025 特に「足羽川のさくら」は、約600本の古木が約2.3Kmにおよび堤防道にピンクのトンネルを形成している。

これまでも一度観たいと願っていたが、現役時には4月初めの時期には、多忙で機会が無ったが、

今回は、 『春の福井駅前マラソン』の出場も兼ねての、福井訪問となった。

059 足羽川には、聞きしに勝るさくら道が展開されており、満開には少し早かったが、朝からバスツアーで来られる遠来の客もいて、賑わっていた。

思えばここの桜は、戦災と福井大震災の後に、復興を願って市民の浄財を募って昭和27年に植栽された筈で、福井に住んでいた幼少の頃である。

約60年弱経過しており、さすがに大木の貫禄もあるが、痛みも激しく一部は、伐採されていて

022 何か我が身を写しているようで、淋しい思いがする。

道端には、俵万智のあすわの桜を詠った記念の石碑が出来ていた。

懐かしく昔を思いつつ堤防を往復して、愛宕坂から足羽山へと向かった。

027 愛宕坂も、昔の面影もなく夜にはライトアップされて『灯りの回廊』がセットされていて、京都の「花灯路」を連想するような雰囲気をかもし出している。

階段を登ると中腹の左手には、百段坂の急登の階段があるが、新しく眺望スポットの展望台が出来ていた。

市内を一望できる眺めは、朝方であったがすっかり変貌したすばらしい眺めが拡がっていた。

034 その先には、目指す足羽神社の社があり、見事な枝垂桜が待っていてくれた。

これも『足羽さんのしだれ桜』と地元の皆さんは呼ぶそうで、約360年の樹齢だそうで、空襲からも難を逃れて、そのバランスの良い姿には、しばしその場を離れられないものがあった。

更に、足羽山へと足を運び継体天皇像の立つ、三段広場から市内を眺望したが、昔から語り継がれている、

福井の礎を築いた天皇の遺功を改めて実感し、現在の政治屋の情けない実態と比較していた。

040 継体天皇の話は、昔からよく聞いてきたが、一昨年即位1500年の記念事業が行われたそうで、改めて福井市に1500本の桜が植樹されたそうである。

次世代へ栄える福井の姿を桜の花とともに、伝えて欲しいと願う。

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プロ野球公式戦が開幕

2009年04月04日 | プロ野球

待ちに待ったプロ野球のセ・パ両リーグの公式戦が開幕した。

今年は、すっかりWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に熱狂して、公式戦には関心が届かなかったが、いよいよ公式戦が開幕である。

2 例年は開幕戦だけは会社を早く切り上げて、テレビに式典から噛り付いて見ていたいたほどで、その開幕戦が今年はセ・パ同時開幕となった。

開幕戦は、新戦力や新監督の活躍、日ハム ダルビッシュと楽天 岩隈のWBCの『侍対決』など話題は豊富である。

マスコミの順位予想も出揃って、管理者の見る順位予想と大きな差異はないようであるが、熱い夜が続くのだろうか?

Photo G党にとっては、昨年のレジェントの完結で、創立75周年の記念すべきシーズンを飾らなければいけない。

チーム創設75周年記念の年に、スローガンは『維新』である。

ひいき目かも知れぬが、GIANTSの戦力はずば抜けていると思う。

監督・コーチ・選手が心ひとつになって、新しい気持ちになって日本一奪回の悲願を達成してほしい。

心配は上原抜けたあとの先発投手陣であるが、必ずや若手が穴を埋めてくれると信じている。

一番の憂いは、G党のリーダーである由伸である。腰痛から開幕1軍を外れたが、由伸のいないチームは考えられないし、勝っても喜びは半減する。

今年も開幕敗戦でスタートしたが、シーズンは長い。

西に東に熱戦が続いたが、シーズンオフには、どこのチームに女神が微笑むのか楽しみであり、眠れない夜が続くのだろうか?

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多摩よこやまの道を散策

2009年04月03日 | まち歩き

春の息吹を感じて『多摩よこやまの道』を散策してきました。

この日は、北風が強く春本番とは言えない気温でしたが、雲ひとつ無い快晴の日和で多摩の自然と歴史にふれあいながら、快適な春散歩を満喫しました。

002 『多摩よこやまの道』は、いろいろな歴史や文化の道として多くの資料も公開されていますが、

これまでも3度ジョギングを楽しんでいたので、旧友を案内しながら多摩の春を体一杯に感じた一日であった。

以前に読売新聞の「平成万葉の旅」でも紹介されていたが、万葉集で『赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ』と詠まれて、「よこやまの道」の名前の由来にもなっているそうだ。

007 多摩ニュータウンの南側に位置して東西に連なる多摩丘陵は、古代から武蔵野と相模野を双方を見渡せる高台として知られていた。

古代から鎌倉古道、奥州古道、奥州廃道などが交わる交通の要衡として、痕跡や伝説などが残っているようだ。

この日は、はるひ野駅から「よこやまの道」に取り付き、多摩市の桜名所の公園を経由して多摩センター駅までの約12Kmコースを選んだ。

はるひ野駅から、よこやまの道までは、静観な住宅地を通り抜けてまもなく、里山風景が広がっていて、畑作業をされているのんびりした雰囲気が漂っていた。

003 約15分で、よこやまの道の黒川往還の尾根に到着し、しばらくでこの道の展望台とも言える「防人見返りの垰」につき、丹沢山系や秩父山系とこの日は真っ白の富士山も勇姿が望め、眼下には、イタリアを連想するようなオレンジ色に統一された屋根の多摩ニュータウンが拡がっていた。

続いて国士舘大学のグランドなどを左に見やりながら、適度なアップダウンの緑道を進み、約1時間で鎌倉街道と交差する尾根幹線道路に到着。

さらに進むと、恵泉女子大の横を通り、一本杉公園に到着して、古民家や天然記念物のスタジアの大樹なども見所であった。

ここから、一旦一般道へ出るが、南野公園を左側に道をとり、中坂公園から再度よこやまの道へ戻った。

この辺は、道を間違いやすいので要注意である。

014 ここから道脇に咲く桜や野草の花を愛でながら、約30分で国際ゴルフ場に到着し、ここからY字橋を経て、奈良原公園に到着。

桜の公園として満開の桜道を期待したが、残念ながら開花状況は3~5分咲きであった。

花見客も多く、夫々に待ち焦がれていたように花を楽しんでおられた。

015 我々もお昼を取りながら、休息していると、直ぐ近くで10人近いパーテイーがスイスを思わせるような服装でフォークダンスを楽しまれていた。

満開になると、この富士見通りは、桜トンネルが実現して多勢の花見客で賑わう名所である。

020 さらに鶴牧東公園、西公園を経由して、今日の最大の見どころの『川井家のしだれざくら』に到達した。

ここでは、すでに満開に近い開花で、多くの観客が見えており、思い思いにカメラや画に描いてその姿を観賞して楽しんだ。

多摩市の天然記念物に指定されていて、その枝ぶりはさすがであった。

週初めに訪問したときより、さらに色付きも良くなっていて、素晴らしい景観である。

027 しばし、その美を堪能して多摩中央公園から乞田川の桜道に向かったが、このソメイヨシノは、まだ5分咲き位で、見頃までは今少し時間がかかるようだ。

午後には、強風も収まり、約5時間強の散策も心地よい疲労感を感じた一日であった。

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