MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

鎌倉散策~古刹を訪ねて

2011年06月30日 | まち歩き

午前中は、小学校の「鎌倉の歴史と文化に触れる」校外学習のお手伝いをしながら西鎌倉の静寂な森の中を散策したが、午後は一応お役を解かれたので、東鎌倉の古刹など名所・旧跡を訪ねて歩いてみました。

八幡宮で生徒達と分かれて先ずは「源頼朝の墓」へ立ち寄ると、ここにも中学生のグループが訪れており、頼朝が葬られたという法華堂跡の白旗神社で、涼をとりながら頼朝を取り巻く歴史上の経緯を熱心に論じ合っていたが、これぞ歴史散歩の校外学習の姿だと実感していた。

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次に、日本三大天神と言われる「荏柄天神社」に着くとここでも小学生グループが訪れており、学業成就の祈願をしていたが、受験時期には毎年大変な参拝客が訪れている。

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境内は広くは無いが、本殿は八幡宮から移設したそうで市の重文に指定されており、また樹齢900年の天然記念物である「大銀杏」も八幡宮の大銀杏が倒壊した今は、秋には黄葉が素晴らしい景観を見せてくれる。

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さらに「絵筆塚」は、絵筆の形のモニュメントで有名漫画家150名のかっぱの絵のレリーフが実に愉快である。

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次のスポットの「鎌倉宮」に着くが、こちらには殆ど訪問客はなく静かな境内でしたが、天皇系の護良親王を祀る神社で、社格は官幣中社になっているそうで、八幡宮から離れているが貫録を感じる雰囲気が漂う。本殿には獅子頭のお守りが鎮座していましたが、撮影禁止の為断念・・・・

本殿の右隣には、親王の身代わりととなったと言われる村上義光の欅像が「撫で身代わり」として鎮座しており、パワースポットとして人気を呼んでいるそうだ。

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パワーをしっかり頂いて、次のスポットの「杉本寺」へと向かう途中に二階堂川に架かる「歌の橋」がありますが、案内に寄ると伝説が語る「鎌倉十橋」のひとつで「かながわの橋100選」にも選ばれているそうです。

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「杉本寺」は、鎌倉で最も古いお寺として訪れる方も多く、金沢街道から階段を直登して受付の先には、仁王門があり朱塗りの仁王様が迎えてくれるが、その色形はやはり年月を思わせるものがありました。

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また、仁王門の正面の石段にも苔むしておりすり減って円くなっており、今は通行禁止となっており、年月が刻まれています。

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う回路の階段を経て本堂に着くが、本堂は茅葺の屋根で出来ており、堂内には十一面観音や毘沙門天、不動明王など多くの仏様が祀られており、しばし向き合ってお参りさせてもらったが、暑さを忘れた時を過ごしていた。

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杉本寺を後にして、次の報国寺に立ち寄り、そのあと滑川沿いの「田楽辻子のみち」を歩き「釈迦堂切通し」への古道を進み、最も期待していた切通し(洞門)に着いて見ると、何と落石のため切り通しは残念ながら通行禁止となっていた。

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遮蔽ゲートから遠目に切り通し洞門を覗くが、これだけの規模の切通し(洞門)は見事であるが、やぐらなども見えず後ろ髪を引かれる思いで引き返して、祇園山ハイクコースへと向かった。

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祇園山コースも冬に3年ほど前に歩いたが、高く生い茂る高木の中の道は、差ほど高くは無いが涼しさを覚えて気分よく歩を進めて、予定外コースでしたが約30分時弱で、八雲神社へと下山して駅へと向かった。

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校外学習のお手伝いから思わぬ歴史散歩でしたが、鎌倉の歴史と文化はまだまだ奥が深いようだ。

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鎌倉散策

2011年06月29日 | まち歩き

この日は、地域の小学校の春恒例の校外学習会で、6年生65人が鎌倉の名所・旧跡巡りをして自然に触れながら歴史や文化を学ぶ為に、学校からの依頼によりボランテイアとしてガイド兼見守り役で参加しました。

鎌倉には毎月散策やスケッチなどで出かけているので、地理や歴史については多少見聞きしているが、季節を問わず鎌倉を訪れる人は多く、特に今の時期は小中学生の訪問が多いと実感していた。

生徒達は春からコースや歴史を調査してきて自分たちで、グループ編成やスケジュール計画を作ってこの日を迎えたそうで、朝最寄りの駅に集まった時は、自信と不安が入り混じった顔をしていたが、出発した後は互いに相談しながら元気に現地へ向かっていた。

鎌倉市は、隣の市でもあり生徒達は訪れている機会は多いようであるが、自らの計画コースを予定通り訪問して訪問先で学んだことをレポートに纏めることは、大変な精神的負担になっていることは間違いない。

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我々見守りガイド隊は、駅から佐助隧道を経て担当エリアのチェックポイントに先着していたが、Bコースは 佐助稲荷神社~銭洗弁財天~源氏山公園~化粧坂切通し~寿福寺~鶴岡八幡宮~小町通り~長谷寺~高徳院を巡るコースで、銭洗弁財天にお参りして源氏山公園でスタンバイして到着を待っていた。

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源氏山公園「源頼朝像」前で、待つこと約30分で先着したグループは、猛暑日となっていたので、額に汗びっしょりで到着したが、生き生きとして通過してきた名所の感想を語っていた。

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ベンチに腰掛けて、しばしの休息を取らせながら、鎌倉歴史に関するクイズを与えてみたが、期待以上によく勉強しているようで、即座に回答を寄せておりその背景などを語りながら俄か勉強会で交流をを楽しんでいた。

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グループが通過後、次のチェックポイントである鎌倉五山の第3位「寿福寺」へ向かうと、こちらでも東京目黒から来た中学生や川崎、葛西からの小学生などで大変混雑しており、特に源氏山を背景にした源実朝や北条政子墓のあるやぐら前には、次々とグループが相次いで訪れていた。

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我がグループの生徒達も、相前後して到着したが、「疲れた~暑い~」を連発して、早々にお昼休みの「鶴岡八幡宮」へと向かったので、後を追って八幡宮へと向かい源氏池に着くと、全てのグループが到着していて、先生のチェックを受けて賑やかにお昼を摂っていた。

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八幡宮では、猛暑日とあってさすがにいつもより参拝客は少なく、七夕飾りも出来ており、風になびく飾りが涼しさを演出されていたが、追いつかない暑さだったようだ。

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東日本大震災の丁度1年前に倒壊した再生中の「大銀杏」は、根っこの部分も、移植された幹の部分も、日除けの幕に覆われており、新芽の吹き出しも少なくこの異常な天候で元気を無くしているように見えていた。

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お参り後には、生徒達も相前後して後半のコースへと出発していったが、見送ってから一端生徒達と分かれて、Aグループが歩いた源頼朝の墓~絵柄天神社~鎌倉宮~杉本寺~報国寺~釈迦堂切通し~祇園山へと一人散歩へと向かい、その後生徒達の帰路に間に合わせて最寄駅へと走った。

最寄駅辻堂駅で待つこと約10分程で、全員が元気よく到着してきたが、それぞれのチェックシートを提出して、「面白かったよ~」 と感想を述べていたが、レポート作成にどんなことが記されるのか期待しながら、お疲れさまでした~と解散した。

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福井大震災から63年

2011年06月28日 | うんちく・小ネタ

あれから63年・・・忘れもしないあのふるさとの福井大地震を屋外でキャッチボールをしていて経験して、何が何だかわからない恐怖に慄いて立ちつくしていた記憶が消え去ることはない。

今、東日本大地震を経験して復興に立ちあがったばかりであるが、子ども心にあの日の恐怖と苦悩の日々の想いは、一口では言い表せないものがある。

戦後間もない昭和23年6月28日午後5時13分だったが、戦後の復興も出来ていない時だった故に、今から見ればバラック建ての家屋は、震度7で見る影もなく全てがペシャンコになり、多くの人達が全壊の家の下敷きになっていた。

同時に火災が発生し、福井市内の中心部にはあっという間に真っ黒の竜巻風の煙の筒が舞い上がっていたのを見つめていたのである。

幸い家族は外にいたので無事であったが、忍び寄る火の魔から逃れるために、手足を切断して助かった人も多かったそうだ。

最も悲劇的だったのは、映画館や学校体育館におられた多くの方々が倒壊した建物の下敷きになったまま火災で焼死されたようで、震災による死者も4000人近かったと記憶している。

ふるさと福井は、空襲で市内の殆どが丸焼けとなり、地震でも市内は殆どが全壊、さらに追い打ちをかけて九頭竜川は底喰川の決壊による何度もの水害に遭い、子どもながら家の周りの泥水の中を泳いで逃げた記憶すら残っている。

Fukui

一時は、福井の復興は無理ではとすら思い福井を離れることも当時考慮されたと聞いていたが、今の福井は見事に復興を成し遂げて、市の中心通りには「フェニックス(不死鳥)通り」の名が付けられているのである。

その後の生活は、親戚に身を寄せたり、学校は米進駐軍のテント学校などで各地からの援助を受けながら必死になって自らを奮い立たせて市民がひとつになって復興に向けて頑張ってきたと見聞きしていた。

今回の東日本の甚大な地震の被害状況を見ていて、地震・津波の被害規模は比較にならないが、世界各国からの日本への支援の輪が出来ており、被災者も日本国民も心ひとつになって復興に向けて『がんばろう日本』の気持ちを持って望めば、必ずや遠くない先に復興が出来ると信じている。

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被災地の犠牲者の皆さまには、こころからお見舞いを申し上げるとともに、我々も一緒になって一日も早い復興に向けて力を合わせなければならない。

地震や津波の直接被害もさることながら、今取りざたされている原発事故に伴う風評被害については、政府や関係者も手をこまねいているようにさえ見えてくるが、メデイアの報道の仕方も悪戯に不信感を増長させるばかりで、タレントの素人コメントがさらに輪をかけていると感じている。

福井大震災の時は、テレビも無かった時代だったので、その悲惨な状況も伝える手段が限られていたが、今の風評を見ていると、正確な情報提供が必要であるのは論を待たないが、過剰な難しい情報も混乱を招いている原因ではなかろうか?

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ぶらり散策~横浜元町

2011年06月27日 | まち歩き

横浜山手でのスケッチの後には必ず立ち寄る元町ストリートをぶらりと散策してみた。

東京銀座や表参道を思わせるようなおしゃれなファッションストリートには、いつも訪れる人が多く、特に春と秋に行われる「チャーミングセール」には、大変な賑わいを見せる観光スポットとなっている。

元町通りは、横浜開港以来の街とは思えないほどモダンなストリートで、堀川を挟んで中華街の雰囲気とは別世界のように、ファッショナブルな街で横浜の流行の先端としてリードしておりカッコイイ街ですね。

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谷戸坂を降りて谷戸橋に立つと、あの日本橋のイメージと相通じるものがあり、高速道が上を覆っているので、気がつかずに見過ごすことが多いが、伝統ある景観を保っている。

元町通りの入口には、フェニックス(不死鳥)のモニュメントがあるが、梅雨の晴れ間の青空に向かって羽ばたく姿は、横浜を象徴するようだ。

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この日は、歩行者天国となっていて狭い通りには、観光客や散歩客で賑わっていたが、高価なファッションや横浜発の凝ったブランド品などを眺めながらのウインドウショッピングを楽しみながら歩いていた。

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山手辺りの住民の方だろうか?ハイーソサイエテーのワンちゃんを引き連れてのお散歩で闊歩されているグループも多く、ワンちゃん専用の水飲み場「ペットバー」がお店の前に設置されていたが、さすがに「ペットトイレ」は見られなかった。

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また、通りの中頃には、仲通りに「元町厳島神社」の赤い鳥居が目に入り、仲通りに向かうと鮮やかな案内プレートがあり、自然と足が向いていきます。Img_6228

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丁度週末の夏越し大祓の準備が整っており、早速茅の輪くぐりをして本宮にお参りさせてもらいました。

階段を昇ると、小さな社でしたが本宮があり、その左の空き地に入ると、皇大神宮と金毘羅宮が鎮座しており、元町のパワースポットとなっているそうで、8月の夏祭りには、2年に一度の「神輿渡御」の年に当たり、神輿が元町を練り歩いて大変な賑わいとなるようだ。

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元町で神輿渡御が行われるとは知らなかったが、横浜にも江戸を思わせるような伝統行事が生きているとは・・・・元町ストリートは、ウインドウショッピングだけでも楽しい街でした。

丁度週末の夏越し大祓の準備が整っており、早速茅の輪くぐりをして本宮にお参りさせてもらいました。

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スケッチ散歩~横浜山手通り

2011年06月26日 | 水彩画

梅雨の真っ只中で午後から雨の予報で重苦しい日であったが、何とか午前中は持ってくれるだろうと、仲間と共に横浜山手へスケッチに出かけてきた。

この真夏日の暑い中で雨も予想されていたので、無理して行かないよという仲間もいたが、決行して元町から外人墓地を経て山手通りへと向かったが、夏の陽射しが容赦なく照りだして日影のスケッチポイントを探してぶらり散策・・・・

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横浜山手は、閑静な住宅街に開港以来のモダンな西洋建築が立ち並び観光の名所ともなっており、季節を問わずいつも訪れる人も絶えないところである。

その中で山手の西洋館は、絶好のスケッチタウンで、いつもどこかで必ずスケッチブックを拡げている画家を見かけるが、さすがにこの暑さではどうだろうか?と思いながら歩いていると、エリスマン邸や山手234番館前では、10数名の若い画家の卵(某大学建築学部)が筆を走らせていた。

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ベーリックホール中庭に手頃な木陰を見つけて、何度目かの挑戦を決めて腰を据えたが、折から会館で結婚式が執り行われるようで、中庭には記念撮影の準備が行われていたが、時間を聞けば、それまでには描き上げられるだろうと、気分晴れ晴れでペンを走らせていた。

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ベーリックホールは、山手西洋館の中では、最も大きい外国人住宅だったが、その外観や内部構造などは、歴史的建造物として人気があり、途中、幾度も入れ替わり立ち替わり観光歩き隊が訪れており、ガイドさんの説明に聞き入っていたが、人気ぶりが現われていたようだ。

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丁度、描き終わったころに結婚式が終わったようで、列席者が庭に見えてきたので幸せいっぱいのカップルを拝見して美しいアジサイの花が咲き誇るホールを後にした。

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午後になって空模様がややあやしくなってきたので、描けるうちにもう一枚と、港の見える丘公園を経てイギリス館のバラ園などを散策して霧笛橋へと移動した。

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バラ園のバラもやや盛りを過ぎていたようだが、園内には多くの観光客が訪れており、ヒト株ごとに付けられた花の美しさと見比べてその名前に納得していた。

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霧笛橋は、神奈川の橋100選にも選ばれているメルヘンチックな名橋で、赤レンガとバックの文学館との調和が何とも描きたくなる不思議な魔力があるようだ。

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心配していた雨もどこかに消えていたので、気分よく描き上げてから、港の見える丘公園からベイブリッジや埠頭を眺めていたが、今も変わらずデイトスポットとして、多くのヤングに親しまれているようだ。

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猛暑の中で、雨を心配してお昼抜きのスケッチ散歩で描いていたが、元町に戻って仲間と乾杯して暑さを吹き飛ばしていた。

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ぶらり散策~横浜舞岡公園

2011年06月25日 | まち歩き

横浜日野墓地公園を訪れたあと、過って住んでいた港南区の懐かしいスポット巡りをしようと決めて全く場あたり的に記憶をたどりながら街歩きをしてみた。

日野から野庭地区を経て馬洗川沿いのせせらぎ緑道へと向かったが、過って少年野球や地区スポーツ大会で出かけていた面影は全くなく、道路も整備されて大団地が連なりあちこちで迷いながらようやく懐かしい馬洗川へ到着した。

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この川は、北条政子が馬を洗ったと伝説があり、豊富な湧水から美しいせせらぎの道が1KM以上に渡っての遊歩道が出来ていました。

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上永谷駅手前で引き返して丸山台公園へ到着したが、ここでも記憶にない巨大な石のモニュメントが設置されておりビックリだった。

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さらに目的地の舞岡公園に入ると、風景は一変して雑木林や田圃が続く自然公園で、緑濃い里山風景が拡がり、起伏に富んだ谷戸や保護林となっていた。

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この日も猛暑日となっていたが、園内の散策路は涼しさを感じる程で、足も軽くなっていた。まもなく「小谷戸の里」に入ると、耕作体験田圃が拡がっており、田植えが終わって緑の穂が美しかった。

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小谷戸の里では、明治時代の古民家が保存されており、ボランテイアの皆さんが七夕飾りや工芸品など造り訪れる人との交流の場が出来ています。

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一休みして階段を昇り降りして狐久保、瓜久保、河童池などを散策するが、殆ど行き交う人もなく、聞こえるのはウグイスやツグミだろうか、声はすれども姿は見えない鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてくる。

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続いて隣接する「舞岡ふるさと村」へ入り、散策路を歩んだが、こちらも昔ながらの谷戸風景が残り、農業体験や景観保存地域とされていて、憩いのスポットともなっているようだ。

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また、山を下りて田畑風景を見ながら東側に出ると、「舞岡町小川アメニテイ」のせせらぎが流れており、アジサイの花と共に美しいアメニテイゾーンとなっていて実に心地よい潤いを感じていた。

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その先には、舞岡八幡宮があり立ち寄って参拝してきたが、地元のパワースポットとして訪れる人も多いそうだ。

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日野墓地公園から昔懐かしい横浜港南から戸塚への約10KMのお散歩は、暑さを忘れる快適なアメニテイゾーンでゴールした。

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美空ひばり~23回忌に墓参

2011年06月24日 | まち歩き

今日 6月24日は、我らの美空ひばりさんが逝去されて満22年の命日の23回忌を迎えて、今年こそは墓参に行きたいと昨夜から緊張して今朝を迎えていた。

「昭和の歌姫」、「稀代の歌姫」、「天才歌手」、「歌謡界の女王」、「永遠の歌姫」など数え切れない称号を持つ昭和時代に我々国民に明るい希望を与え続けた歌手であろう・・・ 

我々同世代ファンには、『御嬢』の愛称で親しまれて、その数々の名曲を口ずさんできており、昭和の激動時代にはひばりの歌があり 幾多の苦難の時を乗り越えてきており忘れられない存在である。

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ひばりさんが眠る横浜日野公園墓地は、昔住んでいた横浜港南区にあり懐かしいふるさとでもあり、地域情報は知っていたが、お墓の場所を見つけるのは難業かな?と考えていたが、何とかなるだろうと甘く見て出かけてきた。

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墓地に到着して見当をつけていた順路を歩くと、徐々に人の数が増えていて近づいて見るとやはり300人近い人が集まっており、すぐに加藤家のお墓へ誘導されるような形で到着した。

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到着後、まもなくお坊さんや加藤家の皆さんが到着されて読経が始まると、参拝者がお墓を囲むように長い列が出来ていた。

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列についてお参りさせてもらったが、中には静岡から来られたという人もあり、自然と同世代のファンの気持が繋がり交流が行われていた。

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墓の近くの休憩所では、ファンクラブの方だろうか?ひばりの写真を数々飾って、びばりの名曲が流されており、自然と立ち止まって共に口ずさんでの交流も行われていたが、3人娘の懐かしい写真も飾られており、皆さんのカメラに捕まっていた。

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お参りして、墓地内を散策してみたが、深い緑に囲まれた高い山の中にあり、山肌や山頂近くにも素晴らしい墓があり、階段を昇り降りしてその豊かな自然に囲まれた広大な墓地は、見たことが無い程でした。

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この日も猛暑日となり横浜では32度を超えていたそうですが、桜などの大きな木々の木陰の道を歩いても、涼しさを覚える程でした。

帰路に墓地を出ると、バスで来られたツアー参拝客の姿をみて、昭和の歌姫の偉大さを改めて感じていた。

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我々ファンの心には、いつまでも生き続けているが、大好きなあの「港町13番地」や「人生一路」を思わず口ずんでいるが、今の災後の復興にかけて「明日にかけよう~ 人生一路」を唄いながら元気を取り戻していこう・・・

『歌の文句にあるじゃないか』・・・・・ 

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ぶらりジョギング~江ノ島海岸へ

2011年06月23日 | ジョギング

夏至を迎えたこの日は、関東各地では軒並み30℃を超える猛暑日の厳しい暑さとなっていたようで、湘南海岸も例外では無かった。

暑いの大好きな管理者にとって我がシーズンが来たりと、久しぶりの青空を眺めながら、熱中症を避けるための暑さ対策を充分考慮して、マイコースの引地川のプロムナードを走り鵠沼海岸へと向かった。

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引地川プロムナード(川べり遊歩道)は、サイクリングロードと並行して木陰の下を川辺の風を受けて格好のジョギングロードであり、「やすらぎとうるおいの歩道」として、1988年に建設省の「手づくり郷土賞」を受賞しているお気に入りのマイコースである。

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河口の134号線に出たところには、聶耳(ニエアル)記念広場があり久し振りに立ち寄ってみた。

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聶耳記念碑があり案内板の説明によると、現在の中華人民共和国の国歌の元になった「義勇軍進行曲」の作者である聶耳氏が、1935年の7月に亡命中にこの地で水死されたそうで、日中友好の礎として設置されたものである。

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氏が雲南省昆明の出身であることから、現在も昆明市と藤沢市は友好都市となっており、最近は多くの中国人が訪れており、記念碑の横には中国語の案内板も設置されており、毎年7月には、氏を偲んで式典が行われている。

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河口のビーチへ出ると、富士山が白い帽子を脱いで、残雪が残るサンバイザーに衣替えして湘南海岸を望んでいるようでしたが、この日も多勢のサーファーが繰り出して白波を追い続けていた。

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海水浴シーズンになると、サーフィングエリアとスイムエリアが規制されるが、その準備も完了しており、夏のビーチ風景が出来ていた。

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片瀬西浜海岸まで波打ち際を走ると、波で打ち上げられた色々な珍しいものを目にすることが多いが、この日は巨大なエイが打ち上げられてカラスが突き合って餌になっており、無残な姿を見せられていた。

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7月1日の海開きまで10日間となり、海の家の建設は殆ど完成して最後の仕上げ作業が行われており、砂浜にはボラテイアの皆さんのクリーンデイー作戦が行われ、東洋のマイアミの夏の風景はすぐそこまで来ているようでした。

Katase

片瀬漁港を過ぎて東浜海岸を経て腰越漁港から小動神社へと走り、境内を散策して江の島を望む小動岬で休息をとった。

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新田義貞が鎌倉攻めの際に戦勝を祈願したとされる小動神社の境内には、小さな境内であるが龍王海神や金毘羅宮、稲荷社などの末社が多くあり、日露戦勝記念碑など見どころも多く、その縁起にも興味を抱くものがあります。

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しばしの休息後、折り返して片瀬東浜海岸を経て砂浜を走るが、こちらも色とりどりのヨットが湘南の風を受けて走り、夏本番のような湘南の風景が拡がっていました。

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新江の島水族館前のクラゲ広場にも近くの小学校だろうか?暑さをものともせず夏のビーチを楽しんだ笑顔が集まっていたり、甲羅干しで陽光を独占する若者?など、夏本番の光景でした。

Enosui

さらに、サーフビレッジでは、海のスポーツ発祥の地として、シーズンを迎えるビーチバレーやビーチテニスを楽しむ人達で賑わいを見せており、それぞれの夏は始まっているようだ。

Kugenuma

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ぶらり散策~神代植物公園

2011年06月22日 | まち歩き

久しぶりに深大寺を散策後に、隣接する神代植物公園へと移動して緑茂る園内をジョギングしてみました。

四季折々の花々が咲き乱れていてのオアシス」と聞いていたので、ベストシーズンだと期待して園内へ・・・・

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深大寺門から入ると、ボランテイアの皆さんの歓迎を受けて、園内の説明を聞いてみると、今年は開園50周年を迎えるそうです。

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園内は、雑木林が拡がり手入れの行き届いた大樹が茂っており、ひんやりとした中でオゾンが溢れる緑のオアシスであったが、続くハナミズキや福寿草園、はなもも園などは、時期を過ぎており花は無し・・・

公園中央の芝生広場に来てみると、殆ど人影もなく閑散としており、しばし寝そべって広場を独占したいたが、何故か中央にはススキかと思いきや、樹齢40年を超すパンパスグラスという植物だそうです。秋には、見事な穂が垂れ下がるのだという・・・・

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公園ほぼ中央を流れる「せせらぎの小路」へ移動して散策したが、緑濃い森の中を深大寺の豊富な水が流れており、最も心安らぐスポットでした。

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小路から期待のバラ園に移動してみると、こちらも盛りが過ぎたのだろうか?咲いているバラの数も期待ほどのものは無く、見物客も日曜の割には寂しく閑散としていた。

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やはり春のバラは5月なのだろうか、少ないながら珍しい種類のバラを探しながら一回りして花も終わったツツジ園を通り正門へついて見ると、ハナショウブ展示会が行われており、即売もされていたが、今最も美しいのはハナショウブだったようだ。

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園内の散歩道をさらに1周してみたが、約1KM位だろうか?新宿御苑や代々木公園と比べ てやや広さも小さく感じるが、花や樹木のシーズンに合えば、香り漂う最高の憩いの場となっているようだ。

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正門のボランテイア活動隊のテントで一休みしながら、活動について聞いて見たが、園内のガイドや花々の管理、子ども達との交流などを通じて元気の源になっているそうだ。集められた木の実や珍しい種子などの説明を受けたが、趣味の世界を超えたプロの世界を垣間見た気がしていた。

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ぶらり散策~調布 深大寺へ

2011年06月21日 | まち歩き

調布味の素スタジアムでのファンラン「ともに、走ろう」チャレンジ10Kmを走った後、知人を訪ねて久しぶりに深大寺を訪れてきました。

味の素スタジアムから意外と近かったので、ジョギングで甲州街道から武蔵境通りを経て深大寺へと向かったが、約30分程で到着した。途中、野川の桜道を走ったが桜の緑豊かなロードは、心和むコースでした。

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深大寺手前に「水車館」があり立ち寄ってみましたが、豊富な湧き水を水源とする逆川の水を利用して明治時代に穀物をついていたそうで、復活させた文化財で、現在も地元の方が、原材料を持ちこんで玄米を精米したり、製粉しているそうです。

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資料館にも、当時の水車やひき臼が展示されており、現在も人と水と緑を結ぶ調布市のシンボルとなっており、その素晴らしい景観は、自然とふるさとに触れる水辺つくりの「手つくり郷土賞」を建設省から受けていました。

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水車館のすぐ近くには、「福徳尊(恵比寿尊+大黒天)」の石像と竜虎像が迎えてくれましたが、その石像の微笑みや屋根下の飾りの透かし彫りは、誰の作が不明でしたが、素晴らしいものでした。

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参道へ回ると、門前の名物そば店や「ゲゲゲの女房」のロケも行われたという「ゲゲゲ鬼太郎茶屋」などには、多くの参拝客で賑わっていたが、妖怪が怖くて(笑)入館しないで、山門へと向かった。

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山門は、江戸時代の建造物として有形文化財となっており、屋根は珍しい茅葺となっており、「浮岳山」の額やその屋根裏の造りは、見るものがありました。

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境内に入り翆子地蔵や本堂、元三大師堂にて厄除け祈願をして後、開山堂、弁財天池などを一回りしてみたが、家族連れやウオーキンググループなどの姿もあり、休日には季節を問わず混み合うようでした。

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門前の亀島弁財天池には、カモや亀がゆったりと池に浮かぶ光景が見られたが、池を眺めながら名物そばを食べている参拝客もおられ、静かな休日の光景でした。

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池回りを散策後、隣接する「神代植物園」へと移動した。

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町内対抗ソフトバレーボール大会を開催

2011年06月20日 | 地域活動

地区社会体育振興協議会の年間事業の一環である地元の町内対抗親善ソフトバレーボール大会を地区の小学校体育館にて開催し、今年も8チーム約60名の選手や家族などが集まり、熱戦が繰り広げられました。

毎年恒例となったこの大会は、軟らかいボールを使って誰でも楽しめる競技として、小学生から老いも若きも親しめるもので、人気スポーツの一つである。

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以前は、九人制バレーボールを実施してきたが、高度なテクニックを駆使するベテランと一般市民との差が大きく、中高年の参加者が減ったことから、ソフトバレーに変更して参加者が多くなっている。

この日は、ウオームアップを兼ねて地元指導者による神奈川県の「キラキラ体操」を行い、参加者は慣れない動きに戸惑いながら、必死に手足を動かしていたが、汗びっしょりとなって奮闘していた。

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この体操は、「かもめの水兵さん」「足柄山の金太郎」の神奈川県ゆかりの童謡リズムに乗ったバランス体操であるが、指導者の動きを真似ながら約30分の動きで、へとへとになって踊る参加者もあり笑いが絶えなかったが、子ども達のリズミカルな動きや表情はさすがに歳の差を感じていたようだ。

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準備体操をやり過ぎてスタミナ切れしていないだろうかと心配するほど体いっぱいに汗をかいてから、ソフトバレーボール競技に移り、8チームが2組に分かれてのリーグ戦で試合を開始したが、どの試合も白熱戦となっていた。

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3ゲームになるとさすがにどのチームにも疲労感が出ていたようですが、最後はスタミナ勝負になり、歳を感じない若さを発揮して笑顔が溢れていた。

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最後の優勝決定戦では、フルセットの大熱戦となっていたが、応援席で声援を送っていた子ども達から「お父さん~ がんばれ~」と声も飛んでいて、父の日だったこの日に、どんなプレゼントが贈られたのだろうか?

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一方、お父さんとお母さんがチームを分かれて出場した方も見られて、互いに絶対にあの人のチームには負けられないと、日頃の怨念?を爆発させていたが、勝負を離れて互いの健闘を褒め合っての微笑ましい光景が拡がっていた。

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今年の大会も無事に終わり、気軽に楽しめるソフトバレーボールを通じて、町内の健康づくりと交流を図るとともに、家族の絆を確かめ合う機会になったようで、主催者側として互いの苦労を称えあっていた。

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ONE TOKYO 「ともに走ろう」チャレンジ10KMに参加

2011年06月19日 | マラソン

東京マラソン公式クラブ「ONE TOKYO」のオフィシャルイベントである、「START TO 2012 『ともに、走ろう 』Challenge 10K」が、調布の味の素スタジアムで開催されて、クラブメンバーとして参加してきた。

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「味の素スタジアム(味スタ)」と言えば、J-リーグのFC東京や東京Vのホームグランドとして有名となっており テレビなどで見ているが、何年振りだろうか「東京スタジアム」時代に一度出かけたことがあるが、これ程素晴らしい競技場になっているとは知らず驚きでした。

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この日は、ONE TOKYO の「ともに、走ろうチャレンジ10K大会に開放されていたが、5万人収容のこの施設と周辺コースを独占して、約2000人が参加しての大会でした。

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来年開催される東京マラソン2012は、8月に参加申し込みが開始するが、先だってこの日の「ともに、走ろうチャレンジ10Kの参加者から抽選により、5名の出場権が得られるとあって、大変な人気にもなっているようだ。

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約2000人のランナーが、500人づつ4組のグループに分かれての競技場をスタートとなったが、同じグループには北海道から参加したというランナーもおられて、ビックリでした。

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参加者は、関東近辺の方だけだとばかり思っていたので、今さらながら東京マラソンの人気の高さを実感した。

コースは、競技場を出て調布飛行場に沿った平坦コースを2往復するコースであるが、引っ切りなしに離着陸する小型飛行機を眺めながら、FUN RUN気分を味わった。

折り返してくるランナーと互いに声掛け合いながら、あっという間の10K であったが、「気分に限界はない・・・」、「ガンバロウ・日本」 などの応援ノボリを見ながら、『ともに、走ろう・・・』とランナーの心は一つになって、ゴールして互いに抱き合っていた。

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レースを終えて競技場を出ると、すぐ前の甲州街道には、1964年に開催された東京オリンピックのマラソンコースの折り返し地点だったそうで、記念碑が残っており、道路には道標が記されています。

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また、2年後の国民体育大会「スポーツ祭東京2013」のメイン会場ともなることが決定しているそうだ。

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会場では、東日本大地震の被災地からの名産品のブースが出来ており、お土産にと買い求めるランナーが多く、すぐに品切れになっていたが、「ONE for ALL」と、ランナーとボランテイアと応援者がひとつになっていた。

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雨の鎌倉散策~紫陽花めぐり②

2011年06月18日 | まち歩き

【前日より続く】

鎌倉駅前のギャラリーで水彩画展示会で一休みしてから、久しぶりに「お金を洗って金持ちになる」という、鎌倉の名所『銭洗い弁天』へ向かうと、こちらにも千葉から来たという小学生グループが訪れていて境内へ通じる狭い隧道は、一方通行規制をかける程で賑わっていた。

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洞窟内では、湧き水で銭を洗うために狭い洞窟内は、参拝客で一杯となっていて、待ち時間約5分。境内には多くの摂社や末社がありましたが、全て梯子して御参りして災害復興を祈願させてもらった。

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かねのなる道」を経て、佐助稲荷神社へと先を急ぐと約10分で着いたが、高台の上の神社までは朱塗りのトンネルが延々と続いており、幾つあるのかと数えはじめたが、あまりに多く諦めた。

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参道や本殿周囲には、狐の置物が大小織り交ぜて飾られており、訪れた人が祈りを込めて置いているようですが、その表情が一つ一つ見ていると様々な表情で向かており実に面白かったが、これだけ狐さまが並ぶお稲荷様も珍しい。

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佐助隧道を経て鎌倉駅に戻り、長谷寺へと向かう途中に伝統の御成小学校に立ち寄ってみたが、さすがに元御用邸だけにそのレトロな建物は老朽化が進んでいましたが、趣のあるスケッチスポットです。

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裏道、小路を通り長谷寺に向かう筈でしたが、至る所で筋を間違えてその先は行き止まりとなっており、何度も折り返してようやく鎌倉文学館へ到着。しかし、雨やまず入館を諦めて引き返し、ようやく長谷寺へ・・・・

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午後3時過ぎていたが、入場者がいまだ門前に並んでおり、境内は大変な人で賑わっており、今や鎌倉のアジサイ寺と言えば、「長谷寺」と言われる程です。

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定番の洞窟内の王子像を巡ってみたが、暗闇の中でローソクの灯りに映る地蔵の笑顔は、何とも風情を感じていた。

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本堂に入り「木造十一面観音立像(本尊)」にお参りしたが、高さ9Mの巨像で、木造の仏像としては、日本では有数のものだそうだ。

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お参り後、アジサイ道へと取りつくと、待ち時間こそなかったが、多くの種類のアジサイが斜面一面に咲き誇り、写真撮影のため細い小路はのろのろと全く前に進まずの状況でした。

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約20分もかかっただろうかようやくアジサイ道を過ぎて展望台へ着くと、材木座海岸や逗子方面が雨に霞んで梅雨の光景が展望されていた。

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続いてのアジサイ寺である成就院へ着くと、こちらでも極楽寺駅からの参拝客が続いていて、由比ヶ浜を望む絶景ポイントのアジサイ道は、シャッターチャンスを待つも、人が切れずにアジサイ花ではなく、傘の花ばかりでした。

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降り止まない雨の鎌倉でしたが、アジサイ三昧と歴史を学んだ一日散歩でした。

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雨の鎌倉散歩~紫陽花めぐり

2011年06月17日 | まち歩き

朝から梅雨空のしょぼふる雨が降り続いていたが、この日は、過って師事を受けた水彩画教室の先生の個展が鎌倉駅で開催されていると聞き、鎌倉の紫陽花が見頃になっているようだったので、雨の紫陽花の風情を見てみようと、朝から出かけてみた。

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北鎌倉駅に降り立つと、電車から吐き出された客を待つ人も多く、殆どが円覚寺を素通りして、一路明月院へと交通整理員が出ての大渋滞が起きており、この時期特有の光景が見られていた。

10時前に「アジサイ寺」明月院に着いて見ると、幸い拝観口の前に長い列は無く、スムースに入場できたが、苑内は、紫陽花を見るより色とりどりの傘を見るような状態でした。

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本堂の円窓から望む花菖蒲苑の光景は絶景ですが、雨のせいか円窓の前には代わる代わる人が立ち、残念ながら本堂前からの撮影は無理でした(-。-)y-゜゜゜

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菖蒲苑に入ると、雨足が強くなり満開の菖蒲も花弁が重く垂れこめていたが、約3000株と言われる菖蒲は、芝生の緑に映えて実に美しかった。

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赤地蔵さまや青地蔵さまがにこやかにお迎えしている姿も、実に可愛らしく幸せを振りまいているようだった。

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明月院の紫陽花は、他の紫陽花スポットと異なり、殆どが姫アジサイで埋め尽くせれており、雨の緑の中でブルーの色合いが映えて独特の味がする。

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また、明月院には、鎌倉特有の「やぐら(羅漢洞)」が多く残っているが、上杉憲方の墓とされるこのやぐらは、奥行6M、高さ3Mと鎌倉最大のものだそうである。

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雨に濡れながら明月院を後にして、次に北鎌倉「古民家ミュージアム(旧古陶器美術館)」に寄ってみた。このミュージアムは、最近名称を改めたそうですが、聞けばこれまで古い陶器専門の美術館でしたが、幅広く絵画や陶芸、工芸など幅広く展示することにしたためだそうだ。

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別名「アジサイ小径」と言われる程、鎌倉の隠れた紫陽花スポットであり、館長が全国から集められた珍しい紫陽花を手塩にかけて花咲かせておられると聞く。

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また、この美術館は、我がふるさとの越前町や鯖江市の古民家を移設したそうで、毎年訪れているが、ふるさとのにおいを感じるようで懐かしい。

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数は少ないが、珍しい紫陽花の小径を一回りしてみたが、名も知らない紫陽花のその見事な開花ぶりに感嘆して美術館を後にして、久しぶりに亀ヶ谷切通しや化粧坂切通しを経て源氏山公園を経て鎌倉駅へと向かった。

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切通しでは、千葉県や埼玉県、川崎などから来たという小学生が、グループに分かれて地図を片手に巡っており、雨にも負けずに元気に駆け巡っており、所々で呉越同舟で説明役をかって一緒に巡って元気をもらっていた。

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お昼近くに、駅前のギャラリーに着いて見ると、かって一緒に描いていたスケッチ友にもお会いできて、スケッチ談義に耽っていた。

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この続きは、明日に綴ります

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ぶらりジョギング~引地川クロカン

2011年06月16日 | ジョギング

朝からどんよりとした梅雨空となっていたが、雨が降りだす前にひとっ走りしようと、飛び出して何処へ行こうかと迷いながらうろちょろしていたが、気の向くまま足の行くままに任せていたが、ホームコースの引地川親水公園へと向かっていた。

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引地川に着くと、小出川との合流地点で若者が川に入って網で魚でも獲っているいる姿が見られたが、この辺は川の中での遊びは必ずしも安全ではなく、危険だから上がるように注意して、 「ふるさとの森」へと入り、クロスカントリーに挑戦・・・

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ふるさとの森は、藤沢市民の手で管理されている緑豊かな自然公園で、大庭神社へ連なる山道は適度なUP&downがあり、クロカンの練習コースとしてお気に入りでもある。

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森に入ると自然の雑木林の中を走るが、夏に入って鬱蒼とした小路には草が伸び放題となっていて路を見失うようなところもあり、森の頂の広場もやや荒れ放題の景観だった。

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大庭神社の境内には、散歩中の親子などの姿もあり、神仏習合の名残だろうか?社殿の前に大きな釣鐘があるが、必ず訪れた参拝者は、その音の響きを楽しんでいるようで、この日もお母さんと突いていた幼児は、何度も挑戦していた。

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急階段を駆け下りて親水公園に戻ると、芝生広場周辺に連なる約500Mのあじさい路は、見ごろとなっており、紫・ピンク・青・白などの姫アジサイの饗宴は、緑に映えて素晴らしい光景となっていた。

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川辺の親水公園プロムナードでは、今日も犬散歩族が多く見られたが、いつもの見かける常連さんが多かったようだ。

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親水公園の先にある「聖ヶ谷(ヒジリガヤ)」の取りつきに着き、今は保護林となっている昼なお暗き森の小道に入ると、僅か300M位の小路であるが、昔の街道跡で、「引地道」と藤沢本町へ通じる「藤沢道」の分岐点だった史跡だそうだ。

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保護林の中には、苔むす小路を上ると、いつの時代からなのでしょうか、古い小さな大庭稲荷大社の祠があったり、

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旧家の大きな墓所もあり、思わず足を止めてお参りさせてもらったが、意外と知られざる自然と歴史の散歩道である。

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小路の先の善行坂から折り返して引地川に戻ると、田植えの終わった田園風景が拡がっているが、藤沢でも少ない黒米を植えてある田圃には、引地川から飛んできたのだろうか?3羽のカモがじゃれ合っている奇妙な光景が見られた。

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引地川親水公園に戻り、サクラ道を経て遊水池の湿性園を散策してみると、自然保護ゾーンとなって久しいが、多くの亀や蛙などの動物や植物が夏を感じて生い茂っていた。

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約2時間弱だったが、夏の自然と歴史を学んでのジョグ&クロカンを楽しんでいた。

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