かつて近衛と木戸と、もう一人原田熊雄を加えて、京都大学の三バカ大将とでも言おうか。彼らは心を許しあえる朋友だったのではないか。
権力というものがその三人の関係に楔を打ち込むものなのか。原田は西園寺公の秘書であり、政治の世界から一歩身を引いていた。その原田が木戸を評してこう言う。
「木戸は御家柄で内大臣なんかすわっているが、あれが平民だったら、せいぜい局長どまりだヨ。僕とは親類筋にあたるが、官僚で大局が見えない。」
「木戸という男は妙に意地が強いし、云うことだって近衛の出たとこ勝負と異なって、すっかり前以て計画して、あの男にはあれだけしか話さぬと言う位用心深いところがある。」
両端の評価を同じ人間が言うのが面白い。
1941年10月の近衛の政権投げ出しから、近衛と木戸の関係、いや、天皇を挟んで地位が逆転してしまう。近衛は部下の富田健治に木戸をこう言う。
「東條の悪口を言おうものなら木戸がおこる始末だ。しかも陛下の信任が厚い。畏れ多いが陛下は木戸のロボットのようである。…」
ひょっとしたら、東條も木戸のロボットだったのかもしれない、と…。そんな考えが浮かんだ。
【引用文献:高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』光人社・工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』中公文庫・原田熊雄述『西園寺公と政局』岩波書店】
西園寺公望の死後、丁度一年後に太平洋戦争に突入した。
今、此の国の反民主の暗愚な男によって、コロナ禍にオリンピックが強行されようとしている。
この写真の空気感の先には全体主義の影が…。