西村大臣が飲食店の酒に関して変な脅しをしたとき、あまりの時代錯誤に一瞬これが何なのか判らなかった。ただ西村一人でできるものではない、これはスガイズムである。
昔のMOF担やノーパン・しゃぶしゃぶを持ち出して大蔵省の銀行への指導行政だという学者もいた。経産省官僚が金融をやりたがったというアホな分析する記者もいた。そんな軽いモノじゃない。マスコミの矮小化という情報操作だ。
法が無くても他人を従わせる。それは生の暴力だ。暴力を公然と振るえるのは警察と軍隊である。
菅は安倍の陰に隠れてやってきた政府内の恫喝を、公然と全国民に対して実行しただけだ。ファショナリズムというような歴史的な思想や主義ではなく、こうやれば人は従うようになるという経験的な手順を踏んでいるだけである。
たぶん彼にはこの方法に関して、別段の、絶対の、成功体験があるのだろう。
名付けるならば、この政府は、憲兵国家・警察国家をめざしているのだ。あまりにも時代錯誤だが、彼はそういう種類の人間なのだろう。
巷間つくられた令和の叔父さんでもなく、パンケーキおじさんでもなく、その笑顔の下は甘粕大尉だったのかもしれない。作家辺見庸の見抜いた「特高の眼」が当たっていたようだ。