小泉の2005年の郵政選挙の時に作られた「B層」という概念が、いまや生活や雇用においても厳然とB層という下層になっているのか。
また生活以外にも、人としてB層なのかがいま問われている。
こんな時に、オリンピックを見たい、ボランティアをしたい、信じられない。でもそういう人がいるのも現実だと分かった。
しかし、それは個人の自由だが、また自民党の議員たちにはB層の烙印を受けることになる。それが癪である。
今回コロナ禍のオリンピックはA層とB層の分断試験でもある。
もっとも自分は経済的にはB層だけど、自らは一人の人間でありたい、つまり個人としての自覚はある。
この騒ぎが終わったら、無知暴走総理、大嘘元総理、無恥暴言財相、経済破綻相、無責任長官らは、それぞれの無駄な業績によって国民に与えた多大な損害・損失を償わせる為に、訴追の対象、または、合法的な報復(選挙で落選させる)の対象とするべきである。
B層でも「B」としての「A」にはない個性としての自負があることを示したいものだ。
線路脇にもこんな花が、・・・。