少し前ですが、存在が薄い岸田首相は冷めたピザの小渕元首相に似てるから、1999年の「堤防が決壊した年」の国旗国歌法、国民総背番号法、周辺事態法などの一括強行採決が又あるのではないか、と書いたことがあります。
小渕と同様に党内基盤が弱い岸田も右傾化の改憲をやりかねないという危惧でした。
また別な見方では、小渕は少年期に刷り込まれた軍國少年であった、という説もあります。
入江曜子は小渕の強行採決に対して、「国民学校」という物差しを使いました。1941年4月~1945年まで国民学校で学んだ世代として、1937年生まれの小渕恵三、森喜朗がいるそうです。
昨日書いた筒井清忠の件ですが、彼は満州事変の「軍部」暴走はエリート幕僚の「結社」(「一夕会」)によって起こされたと主張したのですが、実体は、結社より広い範囲での「幕僚集団」の暴走であり、その原因は参謀将校の出世しか許さなかった山縣有朋が造った陸軍体質に軍部暴走の原因があると考えられます。
現在では、参謀将校にあたるのは官邸官僚ではないでしょうか。参謀になる為の学校が陸軍大学校なら、官邸官僚になるには東大法学部でしょう。
アベ・スガ以降、忖度ばかりで「国葬を閣議決定で良し」とした法律屋の官邸官僚の存在が疎ましいモノです。今はこの劣化した忖度官僚たちがこの國を危うくするのではないでしょうか。ただ官邸の長である岸田が東大を落ちたことが少し気がかりです。
【出典:入江曜子『日本が「神の国」だった時代』岩波新書】