人は小さな成功体験を積み重ねて成長していく。国家も同じで、この圀はつい最近に高度成長期の象徴というべき東京オリンピックの再現を、柳の下の泥鰌のように安易に夢見た。結果はコロナ・パンデミックで散々なもので終わったというか、競技以外には何をやったのかも定かではない。
競技以外に、あるいは場外競技のように、汚職、談合といった汚辱にまみれた欲望の祭典であったことが一年後に判明した。
もう一つの象徴的な出来事は、この圀の首長が天皇の宸襟を無視したことであった。
自民党という既得権保守党の欲望を優先させたのか、オリンピック関係者の裏の実行契約に迫られたのか、どちらか判らない。これを問題としなかった世上云われる岩盤右翼の存在が怪しまれるが、メディアも問題化を無視、回避をした。
どうであれ、傍目からは、考えるに値しない程の人間の欲の臭さだった。
新たな成功を求めず、過去の成功にしがみ付いて、自由主義圏GDP第二位の過去の幻影を追い求めるこの圀のあり様は、次の大阪万博でどんな審判が下されるのだろうか。