国民の「知る権利」に対して、恣意的に伝えない、或いは、捻じ曲げる、時に「伝えない自由だ」と開き直る。こんなマス・メディアに誰が金を払おうか、誰が視聴しようか。
かつてそういう時代があったが、それが最も顕著だったのが新聞の検閲や統制のあった戦前である。今は企業経営的な理由か、政治権力者や広告企業等の強い人々に対して頭を垂れ、または媚を売る卑屈なマス・メディアとは永別したいものだ。
ツイッターを見ると、先ごろの広島G7会議でかなりの反対デモがあったことを知った。ウィシュマンさんに関しての抗議デモもかなり行われていることが解った。
そうした政権に都合の悪いことを報道しない、報道しても目立たないように小さく報道する。
21世紀のメディアの方向性は自ら選んだ道なのか、それとも右傾自民党政権の何らかの圧力なのか。そのことの解説も批判もなく、コメンテーターの顔は古い漬物のような萎びた顔ばかりだ。ニュースと云えばWBCの余韻に浸っているだけ。
マス・メディアは国民より一足先に、しかも勝手に「新しい戦前(軍事化・軍國化)」に戻って行こうとしているような気がする。