安倍という政治家が逝って、俗に言われている「縁故資本主義」が少しでも変わるかと思いました。
英語ではCrony Capitalismとか、明確な経済用語なのか根拠は調べていませんが、ネットでこの言葉を知りました。Crony(=悪友)という意味が加計学園を連想させます。基本の意味として、政治家や官僚の私的や縁故の関係で恣意的に政治や経済が動くことと捉えています。
安倍政権以降、とくに森友・加計事件で「縁故」が取沙汰された。「桜を見る会」も山口県の選挙民が特別に大勢で招待されているならば、縁故で、かつ公費の悪用であった。
しかし、これらが明確な形で、つまり「遠山の金さん」的に庶民の鬱憤が晴らされただろうか。
籠池夫妻が日本会議の縁故関係から滑って、庶民として検察行政の末端で処遇されたに過ぎない。
亡くなられた赤木さんのご遺族の疑問は晴れたのだろうか?この事件の真実の公表すら公費1億を国民・国会の同意も得ずに財務省官僚どもは支出をし、逃亡した。
安倍さんが居なくなっても変わらない。ということは、「縁故資本主義」は官僚どもが専らに司っていたのではないだろうか。では、何の為に、…。