既得権が守られる社会は一見太平の世のように静かであるが、どこか見えない処で歪みができていて、ある時に突然に個人の憤怒となって噴出することがあります。去年の7月以降、その種の事件が多いように見受けられます。
昨今は、そうした事件を殊更に無視し、自己の既得権は守り、他者の自己責任論に帰着させる冷たい社会となった気がします。
既得権と云えば、老舗野党の共産党までも代表選出に党員以外の人間を一切関与させないという旧態構造を内在していることが解り、これも執行部役員という地位の既得権化と見られてもしょうがない、と思います。
今回の件で、日本共産党は世間には非民主的で独裁的党首のいる政党のイメージを一般市民に植え付けたのではないでしょうか。
政党は民衆の眼を見ずに進んで行けば、必ず崩壊するか、小党化するでしょう。
政治が社会の底辺を見ず、既得権層ばかりを擁護し、マスコミは経営保身から世相の歪みを伝えない。そうなれば、政治というモノの魅力が失せ、単に権力の奪い合いになってしまいます。今この国の政治はそう成りつつあるのかもしれません。