この圀は議論ということをしない。
我々戦後派は公立中学のホーム・ルームの時間で議論することを習った。それが民主主義の始まり、基本だとも教えられた。公立高校も同じ路線だった。大学は在籍したが殆ど七〇年安保で行っていないので知らない。
社会に出る時に解った。体育会系の学生が就職に断然有利であると。
その理由は上の者に文句も言わず、黙って働く、しかも丈夫である。それが理由だった。その時から、戦後世代にも「議論」まして「批判」は死語になった。
今世の中を見るに、大人の議論というモノがない。
原発がどうしても要ると云うなら、その理由の説明すらない。軍備が要ると云うなら、その必要の根拠も云わない。言わないんだから議論のしようがない。
国会は、本来は議論の場だが、官僚の演出の糞つまらない討論劇でしかない。
東大用語でやり合い、何処が本質かおバカな我々にはまるで意味が解らない。
こんな政治じゃ国の活力がなくなるわけだ。当然この国は衰退する。その原因は議論をしない、できない自民党だろう。いや、その基礎票をかさ上げする公明党かもしれない。
一度、東京で公明党と自民党の実力とやらを見たいものである。