「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「走行新記録」

2016年10月09日 | 旅行・レジャー

                   
                 高知県江南市野市町の「竜馬歴史館」館内には、竜馬活躍の場面が、精巧な蝋人形で再現されていた

「『剣豪 竜馬のなぎなた免状』北辰一刀流から授与」の大見出しで新聞に掲載されたのが2015年11月8日であった。
なんとしてもこの目で見たい、確かめたいと思い立ってから11カ月が過ぎた。
ようやく重い腰を上げて、昨日10月8日、自分の運転では走行距離新記録を樹立しながら、無事目的を果たしてきた。

朝5時起床、準備に50分かけて夜明け前の我が家を出発。高速に乗ったのが6時10分。
ティータイム休憩、トイレ休憩を何度も取りながら一路倉敷を目指す。マスカット球場を左に見てしばらく。
ハンドル握る腕とアクセルに乗せる足に神経を注ぎながら、ようやく瀬戸大橋の絶景をチラリチラリ。観光バスとはひと味違う眺め。

坂出、川之江をすっ飛ばし南国ICで一旦高速を降りる。
香南市野市町目指して、ナビにおんぶにだっこで、なんとか目的地に10時40分無事到着。我が家を出てからおよそ5時間。
目指す「創造広場アクトランド」に到着、何はおいても「竜馬歴史館」へ。入館料1500円。
ちょっと高いな、やや不満顔で入館。とたんに目の前に圧倒されそうな蝋人形劇場が表れた。これがまた実に精巧で素晴らしい。
江戸期の土佐藩の成り立ちから、竜馬誕生、姉の乙女に調教される竜馬、江戸の剣術修行、勝海舟との出会い、西郷隆盛と
桂小五郎による薩長同盟。新選組はもちろん、最後に中岡慎太郎と共に、京都河原町の近江屋で襲撃されるまでとその後。

それぞれの場面が間仕切りをした広いスペースに、何体もの蝋人形を配置して臨場感を演出。堪能させられた。
二階に上がるといよいよお目当ての「なぎなた免状」長さ270cmに及ぶ巻物仕立て。
北辰一刀流の千葉一門の名前がずらり。千葉周作・千葉定吉・千葉重太郎、竜馬のいいなずけと言われる千葉佐那などなど。
最後に坂本龍馬殿と書かれている。ここにお見せ出来ないのが残念であるが、ぞくぞくする思いでしっかりこの目に納め、カメラに収めて来た。

歴史館を出てもしばらくは興奮冷めやらない。「入館料が高い」などと思ったこの身の浅はかさを笑う。
それもこれも、館内にはアタシたち以外は初老のアベックが一組だけしかいない。あっちこっちゆっくりじっくり鑑賞できたのがさらに興奮を掻き立てたようである。それにしても、11カ月待って、高速だけでも往復640kmをすっ飛ばした苦労は報われた。

ついでに桂浜まで足を延ばして竜馬像を眺めて来たら、総延長720km走破していた。
われながら無謀にも似た長距離走破ではあった。一泊してゆっくりという手もあったが、自分の可能性に挑戦という意味合いもあった。
ご同輩にお勧めは出来ないが、日帰りの限界に挑む長距離ドライブ。自由気ままないい旅であった。 

但し、竜馬ファン、幕末の歴史の一端に興味を持たれるご同輩には、是非お勧めである。
桂浜の竜馬資料館とはひと味ことなる、竜馬の歴史を味わえる気がする。

 
   瀬戸大橋の景観                定番の桂浜景観

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「隠岐の島こぼれ話」

2016年07月09日 | 旅行・レジャー

 

島根半島の北方、40〜80キロの日本海に浮かぶ隠岐は、住民の住む隠岐の島町・西ノ島町・海土町(あまちょう)・知夫村の4つの大きな島と、他の約180の小島からなる諸島である。円形で最も大きな島を島後(どうご)と呼び、西ノ島、海土町の中ノ島、知夫里島の3島を島前(どうぜん)と呼ぶ。総面積は350平方キロで、人口は約2万3千人と言われている。

隠岐は、国賀海岸や白島などに代表される雄大で美しい自然景観を誇っている。また暖流と寒流が交差するため、オキシャクナゲやナゴランなど特有の花や希少植物が豊富で、学術的にも貴重な地域で、マリンスポーツや魚釣りなどの観光客が多く訪れる島である。こういったことから民謡でも「隠岐は絵の島、花の島」と唄われているようだ。
隠岐は古くから「隠岐の国」と呼ばれているが、今に伝わる数々の史跡や伝統行事は、訪れる人を悠久の世界へと誘う。(ネットより)

人が住んでいる4つの島も、さぞかし荒波が押し寄せているのであろう、と想像していたがそれは大いなる誤解であることに気付かされた。
もっとも、外洋に面する部分は、岩肌や岸壁が紛れもなく大きな荒波に揉まれ、年がら年中穏やかなる日はない、ということだった。
ところが、ホテルが立ち並ぶ観光地や、民家が軒を並べる集落は、島の入り江や湾の奥まった位置にある。

つまり外洋の荒波から隔離され、島陰に守られて、極めて穏やかな、鏡のような海面が日常であり、のんびりゆったりの人情が育まれるようだ。この地を求めて、マリンスポーツや釣り客は年間を通して多く訪れるという。
特に4・5月と9・10月に殺到する。これからのシーズンは海水浴客で全島的に賑わうという。

1泊目のホテルの1階レストランは、海面から1mくらいの高さに建てられている。
「潮が満ちたらどうなるんじゃろう?」「床下浸水などないのか?」気をもみながらおそるおそる訊いてみた。
「いまは満潮なのですか?」「・・・ ・・・?」返事が要領得ない。
早い話が、日本海のど真ん中は、潮の干満がほとんどなくて、潮位が上がったり下がったりしないということ。
海面が一定だから、海のすぐそばまで庭先が伸びていても、潮に漬かることはないのだそうな。
満潮と干潮とでは2~3m潮位が変わるこのあたりとは、まるで感覚が異なることに驚かされた。

そしてもう一つ。ホテルまえの係留場に長さ7m幅2.5mくらいのヨットがつながれていた。
で中からオジサンがゴミ袋を抱えて出てきた。「ヨットの生活ですか?」すかさず訪ねた。にっこり笑って「海上ホームレスですよ」
「定年退職といっても、早期退職で、退職金の上積み分を当ててヨットの中古を買った」「1年のうち半年は日本中の海をまたにかけ洋上生活。あとの半年は資金を稼ぎに丘に上がってますよ」「船籍は千葉県、登録寄港地は大分県。関西以東は漁師さんの気が荒くて、一時停泊も喜ばれない。その点関西以西は、どこに寄っても優しく歓迎してくれる。日本人の心意気もずいぶん違いますよ・・・」と。

ホームレスという言葉にちょっと引っ掛かりはあるものの、ヨットで洋上一人旅。これなら人もうらやむ優雅なホームレスではある。
やってみたいが、先ずは航海技術と免許が要る。次に資金と度胸と勇気が要る。考えてみればどれ一つ今の自分は持ち合わせない。

ある種贅沢な洋上浮浪生活にあこがれを抱いてはみるが、人並みに穏やかで、孫に囲まれる今の丘の生活も決して悪くはないよね~。
と、まあこんなおもろい話にも出会えた隠岐の島の旅であった。 - 完 -

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「隠岐の島観光、その3」

2016年07月07日 | 旅行・レジャー

 
    隠岐の島観光の名物『牛突き」        その年の横綱に送られる化粧まわし

いよいよ3日目。隠岐の島群島の中で最も大きな島「島後」と呼ばれる隠岐の島町を散策。
あいにく朝からの雨。3日間のうち初めて出会う雨をものともせず、傘をさしてホンの少し愚痴をこぼしながら。
目指すは「モーモードーム」の観光牛突き。闘牛ではない。飽くまでも牛と牛との力比べであり、牛同士のファイティングである。

完璧にしつらえられたドームの中には、お相撲で言う「土俵」に似た砂場がスリバチ状にこしらえてある。
花道から本日の横綱が土俵入り。といっても鼻輪をさばく人ともに走り出てくる。そのあとを化粧まわしを持った人が追いかける構図。
ひとしきり紹介があって、本日の挑戦者が入場。するとお互い相手を確認するかしないかのうちに、猛然と角突き合いが始まる。
ここが人間の相撲と異なるところ。見合いもなければ仕切り直しもない。いきなり力勝負が始まる。すごい迫力。

本来は完全に勝敗が決まるまで延々と続けるのだそうだが、観光用は「勝敗抜き」双方のモーモー力士に傷が付かない程度で引き分けに。
それでもゴツンごつんと15分は闘いが続く。
動物愛護団体から「虐待ではないか」と物言いがついた過去もあったらしいが、「牛を殺して牛肉を頬張る人間から、観光牛突きにそんな言いがかりをつけられた」と係りの人が皮肉たっぷりに説明してくれた。

その後はお決まりの隠岐神社参拝や、玉若酢神社の樹齢2000年ともいわれる八百杉の見学等々、史跡めぐり。
        
根っこより3mくらい上の方が胴回りが大きいと言われる八百杉。最大部分は、大人20人が両手を広げるほどだという。
何回も落雷の憂き目に遭いながらも、脈々とした生命は守り続けている。
とは言え、現在は直径40cっもあるヒノキの大木6本で支えられて、ようやく立っているのだそうな。
老いるということは、手厚い支えが要るということを改めて実感。

嶋での最後の昼食、「貝尽くしご膳」を頂いていよいよ帰途へ。
往きはよいよい帰りはこわい・・・・・・の真逆で、往きはこわい怖い、帰りはよいよいの「高速船レインボー号」。
波が低い上に、両翼で船体を浮かせて海面を滑るように走る高速船。往きの苦しみが吹っ飛んでしまう快適さ。

名残の景色を求めて甲板に出る。そこには遠ざかる隠岐の島全体が手を振っているように見える。
船室でからは見られない景色がそこここに。最後の奇岩「三郎岩」に別れを告げ、いよいよ2泊3日の隠岐の島を後にする。
         
                              隠岐の島を訪れなければ目にできない「三郎岩」

高速船の後方100mあたりを、イルカの群れが気持ちよさそうにジャンプして見送ってくれる。
まるで観光客の我々に感謝の愛想を振りまいてくれているような、写真ではない生の姿、貴重でで珍しい光景も。
そういえば、奇岩遊覧の時には、トビウオが30m、40mを飛び回って歓迎してくれていたのを思い出した。
その名の通り、船のすぐそばから飛び立ち、海面から50cm位を保ちながら見事に飛翔する。

 

境港港に着くと、最初に訪れた「水木しげる、妖怪ロード」を再びめぐり、妖怪列車に乗って米子駅へ。
特急やくもで岡山駅へ。それから新幹線で無事帰還。と、まあこんな行程でひとまず隠岐の島めぐりを チョン!!

最後に、旅先で拾った意外に興味深い「こぼれ話」は、いずれまた。 おあとがよろしいようで・・・。

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「隠岐の島観光、その2」

2016年07月06日 | 旅行・レジャー

このたびの、隠岐の島観光を思い立ったのは、歴史の足跡をこの目で確かめ、そこに立ってみる、という大きな目的もあった。
その一つが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に追われ、流罪として隠岐の島に渡らされ、この地で終焉を迎えた史実を確かめておきたかったこと。
不遇な日々の中で、和歌を詠むことで自らを慰めたといわれる数多くの御詠が、至るところに残されていた。

 

        ❝ 我こそは 新島守よおきの海の あらきなみ風 心して吹け ”

この奥には、後鳥羽天皇を荼毘に付した「火葬塚」が残されており、祭神として祀った隠岐神社も建てられている。
ちなみに、後鳥羽天皇は、源平の戦いに敗れた平氏一門が下関壇ノ浦で建礼門院と共に入水して果てた安徳天皇の弟君である。
ついでに言うなら、後鳥羽天皇の弟君が後醍醐天皇である。そんな歴史を知ることもできた。


               西の島町の國賀海岸遊覧では、目を見張る奇岩や、日本海荒波の織り成す自然芸術作品を間近に堪能。

  
        どうすればこのような芸術が生まれるのか、不思議な感覚さえする。 まさに衣を着流したような、弁天岩の奇岩

14年前に訪れた佐渡島の尖閣湾遊覧の、度肝を抜かれた断崖絶壁の荘厳さを彷彿させる見ごたえのある奇岩遊覧。
海が少し荒れていて、今にも降り出しそうな危険な状態での遊覧だっただけに、その迫力は身に迫るものがあった。
こういった景色に出会うとまた一つ、日本は広いなと思うし、平和の有り難さを改めてかみしめる思いがする。

行ってよかった、掛け値なしに良かった。
ホテルの新鮮海産物に囲まれる夕食もまた一興。さて最後の一日はどんな歓迎話が待っているのだろうか。

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行ってきました、隠岐の島」

2016年07月05日 | 旅行・レジャー

 
  2343トン、全長100m幅20m大型フェリー        知夫里島観光、方角銘板

7月2・3・4日の3日間、島根県沖50kmの日本海に浮かぶ「隠岐の島群島」の制覇を目指して…… などというと笑われるかも。
何はともあれ、行ってきました「隠岐の島」。格別な目新しい観光地が発掘されたとか、あらたな史跡が見つかったなどという目玉が
あるわけではないが、兎に角行ってみたい場所だった。
目玉と言えば、隠岐フェリー「しらしま」に乗船する前に散策した「水木しげる、妖怪ロード」に目玉オヤジが至るところにあったな~。

あふれんばかりの海の幸、交通手段は渡し船、潮の香りと波の音、などという情緒にあこがれたのかな。
「後鳥羽上皇火葬の地」という歴史遺産があることは知っていた。日本海の荒波にもまれた奇岩景勝も魅力であった。
そんな漠然とした憧れで、潮風に吹かれながらゆったりのんびりの船旅をする。そんな目論見であったのだ。
船は、大型トラック20台を乗せられる全長100mもある大型フェリー、さぞかし快適な旅に・・・。

境港を出港するまでは間違いなくそんな雰囲気であったし、そう信じていた。
ところがどうだ!港を離れてものの15分。まさにスコール。屋根付きの甲板ではあったが、そんな屋根など物の数ではないほどの大雨。
慌てて船室に。それから30分。外洋に出たころには、あの大きなフェリーが波のうねりに合わせて揺れ始めた。

隠岐の島「子ども相撲大会の監督」として子供を引率する人の話では、「何度か出かけたが、今日の波は初めて体験する」という。
「今日の波はどのくらい?」おそるおそる聞いてみると「3mか3.5mはある。珍しいシケだね~」というではないか。
それを聞いたとたんになにやら胸騒ぎ、おなか騒ぎが始まった。あとは推して知るべし。顔面蒼白、生きた心地のしない2時間を。
耐えに耐えて? 胃も腸もひっくり返ったような半病人状態で、島前(どうぜん)西ノ島町別府港にようやく到着。  

一口のアルコールも口にできず、ただ海の幸を少し遠慮気味に頬張るだけの夕食。さて翌日は。
       
             知夫里島の数少ない観光地、赤壁(波に洗われた絶壁が赤く輝いて見える)

2日目からが本格的な観光となる。一番に臨んだのが「360度展望の赤はげ山」。あまり名前はよくないがほれぼれする絶景とか。
地元のおっちゃんが運転するバスで頂上へ。「あいにく昨日来の雨で霧に覆われて惜しいですね」でパノラマ展望を断念。
次なる「絶景、赤壁」へ。これはは見事!!まさに絵の具を刷いたような赤く光る絶壁。

というようなことで、苦しみの後の楽しみを求めて、隠岐の島群島の旅は続く。また日を改めよう。

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「文月ついたち」

2016年07月01日 | 旅行・レジャー

                                           


6月の別称は「水無月」となっている。
その名に反して今年の6月は、集中豪雨も各地で発生、大きな災害をもたらす大雨に泣かされた。
特に、熊本地震で復興に立ち上がっている九州地方に、再三にわたる大雨被害は、なんともお気の毒である。

沖縄の基地問題と混同するのは当たっていないかもしれないが、一極集中でなく、日本全国平均的にばらまけばいいのに。
お天道様もそこらあたりを考えて、雨の欲しい地方にも分けてあげるくらいの思い遣りは持てないのだろうか。
雨も少しは降り方を考えて、日本列島まんべんなく降らせれば、大いに感謝されるだろうに。
沖縄基地問題は、大きな基地を抱える我が町であるだけに、声を大にして叫びたい部分ではある。

月が替わって7月。別称は「文月」と言われる。文月の語源や由来は取り敢えず置いといて・・・。
暑い季節がやってくるな~というのが第一印象。暑さの中でこの先、広島カープの戦いはどうなるんじゃろう。気がかりな部分でもある。
それに、7月1日の今日は、富士山山開きの日でもある。多くの登山者がご来光を楽しんだことだろう。
一度は挑戦したいと思い続けて来た富士登山。もうあきらめの方が先に立つお年頃になったような。

だから、というわけでもない。孫兄ちゃんが島根県の高校に入学したから、というわけでもない。
なのに、何故かしら島根県という土地柄に気持ちが向くようになった。
そこで、富士山の山開きに対抗するわけでもないが、この季節はやはり、山より海でしょう…という気分に。
そこで、島根県の北50kmの日本海に浮かぶ「隠岐の島群島」が頭をかすめる。

隠岐諸島は、島根県の北方約50kmにある諸島。隠岐群島、隠岐の島(おきのしま)とも呼ばれる。
現在は島根県隠岐郡に所属。かつては、隠岐諸島を中心とする令制国である隠岐の国が存在した。
山陰地方では今でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。
当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている。  などとNET紹介されている。

行ってみたくなった。行ってみるか。行ってみよう・・・。海の幸を求めて・・・。

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「ちょっと足を延ばして」

2016年04月14日 | 旅行・レジャー

             
                        桜の、国宝松江城 (2016.4.9 撮影)

高校に進学した孫兄ちゃんの入学式に参列した折、予定した行事は午前中で全て終了した。
お天気は最高、桜もまだ見頃。そのまま真っ直ぐ帰るには少しもったいない気持ちになった。
朝早く起きて、153kmという長距離を運転してきたのだ。飽くまでも本命は入学式参列である。その要件をクリアーした後は自由時間にさせてもらってもお咎めはないだろう、と勝手に決め込んで・・・。

兄ちゃんの学校から日本海側を目指して、国道54号の一般道路をひた走る。約70kmばかり走って宍道湖畔に出る。
そこからさらに松江市を目指して数キロ。目標の国宝に指定された松江城に到着。カーナビが迷うことなく道案内してくれた。
花見客で狭くなったお城前広場を、桜を眺めながらそぞろ歩き。見上げる天守閣は、黒を基調にした重厚感あふれる見事さ。

どうしても一緒に行きたいというカー君の希望に合わせてゆっくり城内見学。
コンクリート造りの岩国城では味わえない、古きよき木造建築の粋を見せつけられる。柱の1本1本にも深い趣を感じながら。
国宝に指定される決め手となった、2枚の「祈祷札」が打ちつけられていた箇所や、兵糧攻めに対応する城内の井戸など、しかとこの目で。

『弁当忘れても傘忘れるな』と言われるほどに、曇り空、雨や雪の多い山陰地方。
それでも、宍道湖や日本海に近づくと、雪の量も多少は減るのだろうか、道路わきの雪の深さを示すポールが見当たらなくなる。
兄ちゃんの学校に行くまでには、間違いなく道路両サイドに紅白のポールが立っていて、積雪量がひと目でわかるようになっている。
学校から数十メートルの位置に、スキー場がいくつもある雪深いところ。

縁あって島根県を身近に感じるようになった。その代表が松江城、というわけでもないが、「一度はご覧なさい」と言っておこう。
一日の走行距離としては過去最高の460km。いささかお疲れ。翌日はお尻の周りが重かったような。
でもそんなことを言ってはいられない。いつ応援に駆け付けることになるのやら。
兄ちゃんのいない寂しさを一番感じているのは、ほかでもない「おとうさん」と、娘が笑う。

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「雨の花見、決行」

2016年04月01日 | 旅行・レジャー

           

いよいよ4月。新しい年度の始まり。
多くの人がそれぞれに、新たなスタートを迎える節目の月でもある。桜も本格的な見ごろを迎え始めた。
我が家の、というかジジが勝手に思う「我が家の星☆☆」二人も、高校・小学校へ入学し、新たな体験が始まる。

4月1日。今年最初の花見を計画した日である。なのに朝から止む気配のない雨がしっかり降っている。
出来るのかな~。冷たいビールが美味しく呑めるんじゃろうか。
兎に角幹事殿にお伺いを立ててみた。「やりましょう、えらく消極的じゃないですか」と、挑発的なお言葉を。
ヨシッ決めた、行くぞ~。““ 一度決めた~ら~~♪♪ ””
冷たい缶ビールと買い求めた花見弁当におつまみを、クーラーバッグに押し込んで、バスに揺られて目的地へ。

「やっぱり、桜は錦帯橋が一番よー」と意気込んで錦帯橋河原に降り立ったものの、雨は弱まる様子も見せない。
本来なら12・3人は集まるはずが、たったの5人。それでもやると決めたお花見は絶対にやるのだ。
但し、いくら頑張っても青天にシートを敷くような空模様ではない。桜の木の下での宴はあきらめざるを得ない。
それでも「やっぱり辞めましょうか」という声は出てこない。
幸い河原には、テントを張って花見座敷もしつらえてある売店が数軒、軒を連ねている。

交渉の結果、人数分の貸し切り座席で席料実費でOKということで、ついに始まった。
幹事殿肝煎りのワインでカンパ~イ。これがなかなかイケる。淡いピンクの桜に真っ赤なワインが似合っているのだろうか。
やおら持参の缶ビールもプシュッ!これはこれでやっぱりうまい。
雨であろうが外で出来なかろうが、花見は花見。人数に関係なく盛り上がって、当初の目的を達成した。

今年初めての本格的花見。何がよかったのかと聞かれれば、“天候に惑わされることなく、お酒がおいしく飲めるのは元気な証拠”
という確信を得たことである。新しい年度を迎えて、また向こう1年、この元気さで乗り越えたいものである。

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「中くらいの挑戦」

2016年01月14日 | 旅行・レジャー

                       
                               いつも見上げている岩国城。この日ばかりはちょっと見下ろして

「700年前の平家の落人にゆかりのある虚空蔵菩薩が、山道を少し登ったところに祀られている」と教えられたのは今年の初め。
ウオーキングを兼ねて時々登っているという友に、「1月13日は縁日としてお祭りがあるようだ、登るのならその時がいい」と。
約束通り時間を違えないよう心して出かけたが、途中ラッシュもあって、約束の刻限ギリギリに到着。

冬備えの少しふくらんだリュックに、食糧・飲料・チョコレートなどを入れて、いざ出発!!
初めて登る小生のために、およそ250歩を一区切りとして、1合目、2合目・・・と10合目までの数字が、道端の大木や竹、果てはガードレールや路面にまで記されている。友のこんな細やかな気配りに、感謝の気持ちを笑い話に替えながら楽しく登って行く。

上り詰めたところが、岩国市からお隣の和木町に抜ける峠で『桜ケ峠』と名付けられている。そこに虚空蔵菩薩が鎮座まします。
ゆかりのお寺から出張してこられた住職による読経に合わせて、およそ20人の参拝者一同焼香。
お接待の冷酒を少々、おむすび代わりのパンを一個頂いた。思わぬ旧友に出会えたり、ドラム缶のたき火以上のぬくもりを懐に詰めて。
さあ本番の岩国山頂上を目指して新たな出発。

    『 周防なる 盤国(いわくに)山を越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道 』

と、万葉集第4巻に詠まれている通り、その昔は荒々しい山道であったであろう、岩国山のけもの道を歩くこと1時間弱。
標高277.8mと標識のある岩国山頂上を極めた。これまで、見上げるばかりであったお城をわずかに見下ろす位置に立って。
冬の北風が吹きぬけるが、頂上から望む見晴らしのよい景色に、身も心も温められる。おむすびが美味い。お茶が喉を鳴らす。

気掛かりな左足親指の付け根。痛みが出ないか、途中棄権にならないか、多少の心配はあった。
が、どうしてもだめなら途中で引き返してもいいや、と友の優しさを頼りに挑戦した今回。履いて行く靴も最適のものを選んだ。
山登りは経験が浅いだけに自信がない。そういう意味では自分にとって今回は “中くらいの挑戦” であった。

楽しかった。心配した足の痛みもほとんど感じなかった。真冬の山歩き、汗をこそかかなかったが、身体も気持ちもホッコリ。
遅ればせながら芽生えた、近隣の小高い山歩き。今年もまた、健康優先、元気に身体を動かしたい。
そして、色んな場所を案内してもらえる友の存在、時に着いて来てくれる仲間の存在。感謝は尽きない。

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「みちのく紅葉・名湯めぐり」その4

2015年10月17日 | 旅行・レジャー

4泊5日の東北も、4日目を迎えるころにはツアー仲間との会話も少し弾んでくる。
今回のツアーで最も多かったのが、「ばってん長崎恋の街」の長崎の人。独特のイントネーションと、人懐っこい物腰で何となく親しみが湧く。
世間話の中に、互いの方言を出しながら言葉を交わす時間も残り少なくなる。

4日目は、今回ツアー第2の目標であった、奥入瀬渓流の散策。そして十和田湖へ。
8時過ぎにホテルを出て、ほどなく十和田湖を望む県道にでた。あいにく冷たい秋の雨がしょぼしょぼ。
しばらく走ったところから、狭い山道に入って行くと間もなく「この水の流れが奥入瀬渓流です」とガイドさんの声。
「少しの間車窓からお楽しみください」と。ものの10分も入った大型バス駐車場で降りて、渓流沿いを歩く。

  
     十和田湖の水を太平洋に流す渓流と渓谷美が見どころ                  上から下に向かって遊歩道が連なる。

完全な山歩き装備がなければ、遊歩道を完歩するには危険が伴うということで、私たちバスツアー客はバス駐車場付近を15分ばかり散策。
「奥入瀬渓流」という名前に、期待が少し膨れ上がって、音を立てる渓流と渓谷美を勝手に想像していた分、少しはぐらかされた感はあった。
なんせ前日、秋田県五所川原近くの荒れ狂う日本海を目にした翌日という順番の悪さもあったのかな。
それでもなんでも、とにかく一度は行ってみたかった奥入瀬渓流。感動に変わりがあろうはずがない。

ついで十和田湖へ。台風23号の後遺症で、風が強く、湖面は波打っている。本来なら湖面を周遊しているはずの遊覧船が桟橋に繋がれている。
ちょっと嫌な予感。添乗員さんが必死に交渉を試みてくれたが、残念!自然のいたずらには勝てない。
この旅行初めてのハズレに遭遇。湖面を遊覧しながらの紅葉見物はご破算に。ところが、その分の見返りがあった。
あの知恵子抄の高村光太郎の手による、愛する知恵子をモデルにした彫刻「乙女の像」を、湖畔の遊歩道を歩いて、間近に見ることが出来た。
 
   遊覧船欠航、桟橋に繋がれた遊覧船と十和田湖             「乙女の像」。光太郎の愛の深さを感じて

十和田湖を後にして、頂上に雲がかかったり時に晴れたりする岩手山を遠くに眺めながら、いよいよ宮城県へ。
作ったような渓谷美「厳美渓」を散策。鳴子湯の里温泉郷へ。最後の宿泊。

    
         まさに自然の力の偉大さを見せる厳美渓               鳴子(なるご)温泉、こけし工房

いよいよ最終日。朝一番にこけし工房を訪れ、職人技のこけしづくりを目の前で見学。
せっせせっせと北上してきた東北自動車道を、今度はひたすら南下する。
途中、福島県郡山で最後の集団昼食。5段重ねの蒸籠(せいろう)蒸しのご馳走に舌つづみ。

これでいわゆる東北6県、青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島、各県に一応足跡を残してこの旅も終わることになった。
岩手・宮城・福島といえば、忘れもしない東北大震災の被災地であることは百も承知ながら、今回の旅行では太平洋側に行くことはなかった。
ただ、東北自動車道はトンネルが数えるほどしかない。山陽道や中国道と比べると、トンネルは無いに等しい。
そんな道路から見渡す平野は、右も左も黄金色の稲穂が無限大に広がっていた。
この黄色い絨毯が、被災され難儀に苦しむ人たちの、せめてもの生きる価値になっているであろうことを願わずにはいられなかった。

大過なく無事に戻れた。楽しい思い出多き東北の旅。またチャンスがあればいつか。 他人の楽しみに長々とお付き合い頂いて感謝!

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