冬枯れた隣の空き地に今も青葉を保ち、みずみずしさを誇っている一角がある。遅くに育った大根である。
あの暑かった昨年の秋、一回目に撒いたタネは全部暑さ負けして一本も芽を出さなかった。二度目に植えたのは時期を外した冬前。それでも何とか芽を出し、遅まきながら大根はしっかり食べさせてもらった。そしていまは青い葉っぱをヒヨが朝に夕についばみやってくる。餌の少ないこの季節、キャベツや白菜なら勝手には食べさせないが、ま、大根の葉っぱでよけりゃどうぞお召し上がりを。
それにしても何もかもの値上がりで、年金生活の侘しさが身に染みる。などと嘆いてみたところで仕方がない。昭和40年代の所得倍増論・日本列島改造論に乗っかった右肩上がりのウハウハバブルを一度は体験して来たのだ。5月まで4万円だった給料が、6月になったら7万4千円に跳ね上がっていた。そんな夢のような話を現実に味わってきた。それこそ今は遠い遠い昔の話だが、この物価高の中で思い出すと、あんなこともあったね~などと、少しだけ気持ちが軽くなる気がする。
台所を預かる主婦にとっては、そんな甘い昔話など何の足しにもならん、そこんところも心得てはいるが、企業人を卒業してから、仕事をしない国家公務員が長く続いている。親方日の丸という今の立場で、親方が儲けてくれないことには下々までいい話は回ってこない。いつになるのか分からない高度成長の話。このまま、いい話ばどないまま朽ち果てそうだが、それもこれも自分の一生なのだから逃れようがない。そんなとき、同級生の言葉を噛みしめる「俺たちゃもう20数年、国から養ってもらっている。有難いと思わないとね」。耳に心地よい話ではある。ほどほどの欲で、健康だけは貪欲に。
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