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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「アーカイブ随筆2」

2008年06月24日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
最近、手紙を書かなくなった。電話という文明の利器が、あまりにも幅を利かせる昨今。手っ取り早くしかも確実に、自分の意志を相手に伝え、直接返答を得られる電話に、ついついお世話になってしまう。

頭の中でモヤモヤしていること、自分の気持ちにあることを、文字で手紙として表すのはなかなか骨が折れる。しかも手紙は、相手に伝えたい表情やニュアンスなどが加味されない。そのものズバリ、そこに並べてある文字のみで一方的に理解してもらわなければならない。いわゆる融通性に欠け、ごまかしがきかないのも功罪取り混ぜた手紙というものの特色であろう。

誰しもが経験する、メンメンたる恋心を相手に伝える最初の手段は、なりふり構わず思いの丈を書きつづる「ラブレター」に勝るものはない。
友達のラブレターを一手に引き受け、半ば無責任に、半ば自分自身の練習のつもりで、精出して代筆した高校時代が懐かしい。

近頃の人達はラブレターさえもあまり書かない、イヤ書けないのかも知れない。
いきなり電話や直接対面で、恋心を打ち明ける。それだけ初恋もラフになり、恋することの妙味など感じない世の中になったのだろう。

「一筆啓上、火の用心、お仙病ますな馬肥やせ」戦国時代の武将が、戦場から国許の妻に宛てた、短い手紙の傑作として後世に残されたものである。

手紙にはエチケットもあれば、マナーも常識もある。しかし、必ずしも既成の枠にとらわれない、多少の型破りがあったとしても、その人の持ち味・個性として受け止められる現代の風潮を活用したい。そして自由に、思うがままを素直に文章にすれば事足りると思っている。

後世に残るような傑作は出来ないが、実りないラブレターをネジリハチマキで書いた昔を思い出し、旧知の友や遠い親戚に、一服の清涼剤となる手紙を書いてみよう。

1977年 7月号 工場機関誌掲載 やぶにらみ随筆。
30年余を経た今でも、結構通用する内容のようである。世の中の動きは速いが、人間の思いはさほど早く動いてはいないのかな。
コメント (10)
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