「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「101歳を生きて」

2013年01月22日 | つれづれ噺

          

92歳で新聞の投稿欄に詩を送り始めたという柴田トヨさん。
101歳を一期に黄泉の国へ旅立たれた。
手作りのそれと分かる、毛糸の帽子に毛糸のマフラーをした穏やかな笑顔は、同じ101歳でこの世を去った母の横顔に重なる。

5年の投稿活動を経て、97歳で飾り気のない平易な言葉で日常をつづった詩集「くじけないで」を自費出版。翌年に本格的な出版となり、前向きな作風が中高年女性らの共感を呼び、詩集では異例の150万部突破のベストセラーとなった。さらに、100歳を迎えたときには「百歳」を出版。両作品で200万部を超えた、と報道されている。

また、あの2011年3月の東日本大震災で被災して絶望感に苦しむ人々を癒やし、元気づける存在となり「あと10年は生きられる自信がわいてきました」「心の教科書にしたい」など、読者の感謝の手紙は6カ月間で1万件に達した、とも報じられている。

詩集「くじけないで」の冒頭に掲載された一編を敢えてなぞってみたい。
 
  母     亡くなった母とおなじ 九十二歳をむかえた今 
                      母のことを思う
       老人ホームに 母をたずねるたび その帰りは辛かった
               私をいつまでも見送る 母
          どんよりとした空 風にゆれるコスモス
                       今もはっきりと覚えている

もしもこの先20年あまりを生きていたとして、92歳になった私にこれほどの感性が残されているのだろうか想像してみる。恐らく無理だろう。
どうすれば、年齢に比例しない意欲や心の感度を維持できるのだろうか。
神のみぞ知る我が寿命ではあるが、命果てるまで背負い続ける課題なのだろう。

今こうして、たとえ自分流の拙い文章ではあっても、何かを書き残すという行為をしている以上、文学的値打ちなどないとしても、単なる作文や思い付きだけに終わることのないよう心したいと改めて思わされる。もう一つ言えば、書き残したものへの責任はあるのだから、正確を期すことも忘れてはならない要件であろう。

ちなみに柴田トヨさんの葬儀喪主は長男「健一(けんいち)」さんだそうな。
なにかと親しみをおぼえる詩集「くじけないで」を今改めてひもといている。

コメント (4)
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