昭和43(1968)年 昭和46(1971)年 平成26(2014)年
雑多な本が知らず知らずのうちに溜まってきた。決して読書家でもないのに冊数だけ増えていく。
読んだら処分すればいいものを、それぞれ作家の思いに惹かれたり、またいつか読み返すことがありそうな、などと欲の皮が突っ張ってなかなか思い切れずにずるずると溜まって行く。積読(つんどく)本も少なくない。
そんな本箱を少しだけ整理していたら、本箱の下にある戸棚から小さな茶封筒が出てきた。
ずっしり?手に思い。なんじゃこりゃ?開けてみると、中から大判小判ならぬ100円硬貨が、ザックザクならぬコロコロと転がり出てきた。
ラーメンが何倍か食べられる額ではある。
これは私の仕業ではない。このような器用なことは似合わないタイプだ。
多分、山の神が100円貯金でもするつもりで、こっそり貯めようとしていたのではなかろうか。いわば可愛いヘソクリか。
まあそんな出処進退は取り敢えず置いといて。
硬貨に刻印されている年号に目が行った。これが実に面白い。思い出も含めて、勝手な想像・空想を誘う。
最も古いのが昭和43年とある。年が明けた今、単純計算で行くと47年前この世にデビューしたことになる。
次いで昭和46年。これは吾輩が嫁をもらった年に当たる。「あれから40年・・・」ならぬ、あれから44年である。歴史を感じるな~。
手許にある最新の平成26年物と比較してみると、カメラのレンズを通して明らかな違いが読み取れる。
昭和43年物も46年物も、色はくすみ、それぞれの印字は角が取れて丸みを帯びている。
この世にデビューして以来多くの人の手を渡り歩き、どんな運命をたどったのか、どんな有為転変を体験してきたのか、硬貨に耳や口があれば尋ねてみたくなる。
初詣での神社で、お賽銭箱に投げ入れられたこともあったろう。遠く海外旅行先で、ドルやユーロへの両替で異国の金庫に収まる体験をしたかもしれない。自動販売機の釣銭出口から転がり出て隠れてしまい、後で腕白小僧に拾われ、スーパーのガチャガチャを通して世間復帰を果たした経験をしているかも。はたまた、大家のお嬢様がランチで支払うお代の一部として、白魚のような指先に包まれたことも・・・。
人から人へ、果てしない旅を経て我が家にやってきた。そして何の因果かそこで休養を与えられ、その後人の手を渡り歩くこともなくなった。あれはいつのことだったのだろうか。古い記憶をたどると「かれこれ10年くらい前のことではないか」と、のたまう。
たとえ100円硬貨といえども、生まれてきたからには人から人へ渡り歩いてこその値打ちである。
タンス預金が本来の役目ではないだろう。早速日の目を見させよう。
どうせなら、一桁も二桁も多いタンス預金がどこからかコロッと見つからないものか。やはり、原因を作らなければ、結果はないということか。