今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。
今さら言うまでもなく、明治維新の先駆けともいえる、長州毛利藩、萩の吉田松陰の妹「杉 文」の生涯を描く物語。
封建国家の行く末を案じ、幕藩体制を早く民主国家に切り替えないと、外国の植民地とされる危険に立ち向かう、多くの血気逸る志士を輩出した、吉田寅次郎率いる松下村塾を舞台に、ドラマは展開されている。
私の頭の中にある松陰像とは異なって、「ちょっと食い足りない」という不満な部分も無きにしも非ずだが、これから先の長い物語に期待して、兎に角必死で見ていることに間違いない。
そんなわが故郷山口県のPRにはもってこいの全国ネットの大河ドラマ。経済効果も徐々に表れているという。
ヒロイン文の母親を演じているのが、少し頼りない感じでおっとりタイプの壇ふみさん。
あの激動時代の萩で、下級武士とはいえ「海防指南役」の吉田寅次郎の母親としては、大丈夫かいなと思わせるがどうだろう。
そんなおっとり母親の口癖みたいになっている言葉がある。一種のキャッチフレーズにもなっている感じのひとこと。
それが『せわーない』である。 何かことが起こりそうな不穏な空気の中で発せられる「せわーない」と一言、そしてニコッとする。
それまで緊迫していた空気が一気に和み、なんかしらいい方向に向かいそうな、確証はないがフッと息の抜ける安堵感がただよう。
言ってみれば、山口言葉の神髄ともいうべき、柔和で角の取れた優しい言い回しである。
この「せわーない」は、元は「世話はない」ということだったのであろうと思う。
何事があっても「世話はない」、つまり、さほど大袈裟に心配することではない。あまり心配しなさんな。なるようにしかならんよ。
などと意訳すれば、全ての場面で納得のいく、安堵のひとことではある。
それが今に伝わって、広く使われている。ただし、「せわーない」とはっきりは言わない。
「せやない」と少し略されたうえに、早口にしゃべられる。つまり「フ~~ン、そうかね、せやないせやない」と、どちらかというと相手の心配な部分を振り払って楽にして上げようという、楽観ムードを作り出すときに使うと効果抜群の一言でもある。
「書きたいことがあるのになかなか表現がうまくいかなくて・・・」「せやない、せやない、今夜一晩おいて明日の朝もう一回考えてみんさい」
こんな会話にごく自然に使われる。
・・・ ・・・などと解説めいたことを言ったが大丈夫じゃろうか。「せやない、分かる人には分かってもらえるいね。」
ということにしておこう。