日を追って数が増える喪中はがき。その内容も複雑多岐にわたることはすでに述べた。
それにしても90歳を過ぎようとする母親が、60歳の長男を突然に失ってしまう悲しみは如何ばかりかと推察する。たとえその理由が予期せぬ病気に襲われたためとはいえ、悲しみの深さを想像するだけで胸ふさがる思いがする。
中国の旧いことわざに「親より先に死ぬ子は鬼っ子」というのがある。地方によってはろくな葬儀も出さず、川に流してしまうほどの「親不孝」とされたという。
今回めぐり合った話がそれと同じとは言わないが、やはり順番を違えて、高齢の親を残して先に逝った息子を恨みに思うな、という方が無理な話かもしれない。只々お気の毒である。
「私たちが先に行くべきなのに」と、目頭を押さえる残された母親に、掛ける言葉が見つからないほどの同情の念を抱く。だからといって、先立った長男への同情は、それ以上のものであることに気付かされる。
まだまだ現役働き盛り。老いた両親や愛する妻・家族を残して、あわてて逝きたくはなかったであろうに。
改めて、人間の運命というか、授けられた天寿の儚さを思い知らされる。
幸い現在のところ、私たちにとっての二人の子もその連れ合いも孫たちも、無事元気に生きていることに感謝すべきなのであろう。何事もなく過ごしている現実を、当たり前と思い過ぎるのは、実は幸せな人間の傲慢ではないのか、などと思ったりする。
こんな悲しみを胸に秘めて、自らに与えられた命を元気に全うされんことをお祈りしたい、師走を前にした喪中はがきの季節ではある。