喜ぶという字を草書で書くと こういう字になる。この字が七十七と書かれているように見えることから、人間の77歳のお祝いを「喜寿」と呼ぶようになったというお話。今さら説明をするまでもないことではあろうが、老婆心ならぬ老爺心のついでに。
しかも本来の喜寿とは「数え年の77歳」というから、小生にとっては昨年の今日が、喜寿の祝いになるというお説もある。
どうもこの数え年云々が心もとないので、全て満年齢で行くことにしている。
従って、中学時代の喜寿同窓会も、全員が満年齢の77歳を迎える今年4月に計画している。その方が皆さんに徹底しやすいし、馴染み深いようでもある。
何はともあれ、継続的な医師の診療も必要なく、飲み続けなければならない薬もなく、ごく普通に元気にこの歳を迎えられたことを喜びたい。ささやかではあるが、お祝いの品も届いている。また一つ重ねる年に押しつぶされないよう、気合を入れて、お祝いしてくれた人たちに感謝の念を届けたい。そして今しばらく、元気で生きていくこの身を応援していただきたいと念じている。
「働くことは万病に効く薬」という素敵な言葉もある。
数字はあまり気にせず、と言って「年甲斐もなく・・・」などと周囲から笑われることのないよう気を付けながら、昨日までと大きく変わることなく、我が身の周りの状況に合わせて、ほどほどに・・・・・・と思ってはいるのだが。
まあどっちにしても無理は効かない年齢であることは心得ている。
お祝いのおいしい大吟醸もお腹が受け入れる程度に頂いた。実に美味かった。
嫁さんから届いた焙煎コーヒーをじっくり味わいながら、ちょっと苦みの効いた思考でも巡らせてみようか。