世の中には色んなお菓子があり色んな菓子折りがあるものだ。
極ふつーの和菓子を並べた折の底から、眩しく輝く小判や金塊が出てくるのは、江戸時代の悪代官と豪商の取引に出てくる菓子折とばかり思っていた。
それがなんと、技術の最先端を行くはずの原子力発電の世界で、金塊を潜めた二重底菓子折がまかり通っていたと聞かされれば、ただ唖然とするほかない。
出しも出したり取るも取ったり。同じ穴のムジナのような気がしないでもない。
ここに出てくる菓子折のお話は、ちょっとレベルも次元も異なるお話である。といっても、某大手新聞の受け売りであることを断っておきたい。
現在の東京都港区新橋にある和菓子の「新正堂」というお店の「切腹最中」という菓子折が人気なのだそうな。(せっぷくさいちゅうと読まないでね)
12月ともなると、毎年ながら大きな話題となる「忠臣蔵」「赤穂浪士」「四十七士の討ち入り」などでおなじみの「忠臣仇討ち噺」である。
物語の片方の主人公「浅野内匠頭」の終焉の地、すなわち切腹して果てたのが、東京港区新橋にあった大名屋敷である。
その屋敷内に店を開いていた菓子屋の前身が「新正堂」の先祖ということになる。
この「切腹最中」は、敵役の吉良上野介を意識したものでも、天下の御政道の過ちを攻撃する意味合いのものでもないのが面白い。
つまり、切腹に至った自らの誤りに気付き、それを勘弁してもらうために用いる『ごめんなさい菓子折』といわれている。
自分の非を認めない。責任転嫁は上手。素直に謝る反省に欠ける。そんな風潮がはびこる今の世の中で、自分のミスによって迷惑を掛けた取引先に謝りに行くときの手土産としてサラリーマンに重宝されているという。切腹するほどの気持ちを伝えるためなのだそうだが・・・・・・。
そこ(底)には「切腹してお詫びを申し上げたい」という謝りの気持ちと「ユーモアを分かち合う」気持ちが隠されている。小判や金塊とは大違い。
かつては東京本社で品質保証部サービスエンジニアとして顧客巡りの経験を持つ身。切腹最中を手土産にするほどの重大事に至らなかったのは幸いである。
ただ、今の世の中には切腹最中などでは収まらない、実際に切腹に値する先生と呼ばれる人が多いのも確かだ。
こんな菓子折で許してもらえる付き合いは、やはり信頼関係という裏打ちがあるから成り立っている。今一度信頼を取り戻すお働きを願いたいものである。