「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「さくらはサクラ」

2020年03月29日 | 季節の移ろい・出来事

        
    3.29(日)桜も今一歩。人もまばら。        お天気には恵まれて、川面から見上げる桜

暑さ寒さも彼岸まで、と言われてきた日本の四季。ここ数年、そのような昔からの経験則による言い伝えが、段々通用しにくくなっている。
現に今年は、彼岸の中日から10日にもなろうかというのに、関東地方に5㎝だ8㎝だという積雪をもたらした。
ここ岩国でも、天気晴朗なれど風寒し。抜けるような青空ではあったが、風は冷たくて、満開に近い桜が一瞬身を閉ざすような冷え込み。
それでも、なんとも素晴らしい青空に誘われて、「花見は自粛を」と思いつつ、ちょっとだけよと、花の錦帯橋を散策してきた。

川筋はまだまだつぼみが多く、五分咲きとみた。このお天気にもかかわらず人はまばら。と言っても、集まるところには「濃厚接触」の言葉通りひしめいて座っていたり、アイスクリームを求めて長蛇の列を作ったり。
少なからずコロナの影響を受けて自粛が見られる反面、「自粛何処吹く風」といった能天気も大いに見て取れる。
岩国市には、具体的なコロナ感染の情報が無いだけに、呑気な光景が広がっている。有り難いのやら、怖いのやら。

    
                     定番の錦帯橋と桜をあしらって

花見客が多かろうと少なかろうと、桜は時季を得て間違いなく咲く。毎年見る光景であっても、やはり絶好の季節を感じさせる魅力を持っている。人がいて、桜があって桜も人がいるから、桜であるという、そんな感じがする、と誰かが言っていたね~。
花の命は短い桜。三日も放っておいたら散ってしまう。ならばやはり一番いいときに見てあげたい。そんな単純な思いさえ憚られるコロナめ。

    
     大木の幹から出た小枝に咲く二輪の花びら            古刹、永興寺に咲く 枝垂れ桜    

枝先に周囲を明るくさせるほどの花をつけ、人目を引きつけている傍らで、胴体とも言える大木の幹に付けた小さな枝に二輪の花を咲かせる。
これもさくら、あれもさくら。作り物のような派手派手衣装をまとった古刹の枝垂れ桜。これも桜、あれも桜。

ちなみに、桜の花言葉をひもとくと「精神美」「優美な女性」「純潔」とある。
「精神美」は、桜が日本の国花という位置づけから、日本国、そして日本人の品格を表すシンボルとして、美しさを託した言葉という意味合いがあるようだ。 また、「優美な女性」「純潔」の花言葉は、桜の花の美しさからイメージされたものだと言われている。

これほど日本人の心に深く食い込むトップはやはり桜花である。たとえ酒がなくとも、ダンゴがなくとも愛でてみたくなる。
だからといって、「桜を見る会」の会員選択方法が不透明とか、買収に当たるのではないか、などという話は、桜にとってとっても迷惑な話ではある。
花曇り・花の雨・花時・花嵐・花の風・花の雪、などなど色々呼ばれる花の意味を噛みしめて、今一度満開の桜を愛でに出かけてみたい。   

コメント
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