「夫 〇〇儀 六十七歳で永眠いたしました」という訃報はがきが届いた。
夫君は、年の離れた会社の後輩で、若いわりに鼻っ柱が強く、時に理屈っぽく、忖度という言葉は彼の辞書にはなかったのではないか。ざっと振り返るとそんな男であった。どちらかというと少し融通が利かない部類で、誰もかれも簡単に寄り付くタイプではなかったような。それが彼の持ち味であり、その性格の全てが疎まれるわけではなかった。言うなれば数少ない熱血漢でもあったのだ、と今になって思う。
そんな彼が、我が意が通らず何かと弱気になったときなど、直接我が家にやってきたこともあった。一見反目し合う先輩と後輩のようであるが、部分的に何故かウマが合った気がする若い衆の一人である。
生涯を共にすると決めた女性に出会ったとき、いち早く我が家に伴って「結婚披露宴の司会を」と頼まれたのは、まだ記憶に新しいが、実際には40年も前の話になる。
そんな彼が、病魔に取りつかれていたのは風の便りに聞いてはいた。それにしても67歳とはあまりにも若い永眠。すぐに電話でお悔やみの気持ちを奥方に伝え、事情の詳細を訊いた。奥方も私のことは記憶にあったらしく、亡くなる前の3年くらいについて詳しく教えてもらった。
ただ、亡くなったのは昨年12月だとのことで、報せようかどうしようか、迷っているうちに時が過ぎてしまって……ということだった。
このご時世、葬儀も告別式も他人が参列できる状態にはないので、報せが早くても遅くても同じようなものではある。これもまた、コロナという諸悪の根源が、人間関係まで遠ざけてしまうのであろう。
兎に角、こういったごく普通の人と人とのつながりを正常に戻すためにも、一にも早くコロナを撲滅しなければならない。心優しき後輩の冥福を祈るばかりである。 合掌