♪“いのちに終わりがある 恋にも終わりがくる 秋には枯れ葉が小枝と別れ~…”♪♪
いかにも物悲しい秋の風景、そして恋の終わり……。
あまり好きな光景ではないが、受け入れざるを得ない現実の風景である。
夜来の荒れた木枯らしで、足下に黄色のジュータンを敷いたような桜の葉っぱ。
それでも、必死に小枝にしがみついて、別れを認めようとしない葉っぱもある。
見事な散り際を見せるも良い。まだ残っている生命力の限りを尽くそうとするのもまた良い。
演歌大好き人間にとって、またまた大きな星がこの世から消えた。惜しい・実に惜しい。
作詞・作曲家、遠藤 実氏の逝去の報に接した。
愛唱歌というか、レパートリーの中に何曲も入っている、偉大な演歌の巨匠であり、演歌文化の旗手でもあった。
これでまた一段と、演歌が衰退して行くのかと思うと、淋しいなー。
どことなく哀調帯びたメロディー、人間の優しさの原点が窺える詩情……どれをとっても心に響く歌の数々を世に送り出した。
あの木枯らしにも負けず、しがみついて生き残る葉っぱのように、もっともっと元気に活躍して欲しかったお一人である。 自分自身の気持ちも晴れて精一杯歌うチャンスがあれば、北国の春・すきま風・星影のワルツ・夢追い酒など、遠藤演歌を思いっきりぶっ放してみたい。 ひんしゅくを買わないように。
それにしてもこの秋から冬にかけて、実に訃報の多い年である。礼服が押入に落ち着くいとまがない。
今夜もまた、会社関連のお通夜参列。
万病の元といわれる風邪には何は置いても注意しないと、桜の葉っぱのように、木枯らしに吹き飛ばされそうである。
( 写真: 木枯らしに見舞われ、残り少なくなった桜の葉っぱ )
いかにも物悲しい秋の風景、そして恋の終わり……。
あまり好きな光景ではないが、受け入れざるを得ない現実の風景である。
夜来の荒れた木枯らしで、足下に黄色のジュータンを敷いたような桜の葉っぱ。
それでも、必死に小枝にしがみついて、別れを認めようとしない葉っぱもある。
見事な散り際を見せるも良い。まだ残っている生命力の限りを尽くそうとするのもまた良い。
演歌大好き人間にとって、またまた大きな星がこの世から消えた。惜しい・実に惜しい。
作詞・作曲家、遠藤 実氏の逝去の報に接した。
愛唱歌というか、レパートリーの中に何曲も入っている、偉大な演歌の巨匠であり、演歌文化の旗手でもあった。
これでまた一段と、演歌が衰退して行くのかと思うと、淋しいなー。
どことなく哀調帯びたメロディー、人間の優しさの原点が窺える詩情……どれをとっても心に響く歌の数々を世に送り出した。
あの木枯らしにも負けず、しがみついて生き残る葉っぱのように、もっともっと元気に活躍して欲しかったお一人である。 自分自身の気持ちも晴れて精一杯歌うチャンスがあれば、北国の春・すきま風・星影のワルツ・夢追い酒など、遠藤演歌を思いっきりぶっ放してみたい。 ひんしゅくを買わないように。
それにしてもこの秋から冬にかけて、実に訃報の多い年である。礼服が押入に落ち着くいとまがない。
今夜もまた、会社関連のお通夜参列。
万病の元といわれる風邪には何は置いても注意しないと、桜の葉っぱのように、木枯らしに吹き飛ばされそうである。
( 写真: 木枯らしに見舞われ、残り少なくなった桜の葉っぱ )
楽しみにしています。
演歌文化という言葉を初めて目にしました。思えばそれを聞きながら歳を重ねてきました。
繰り返し口ずさめる演歌音楽家が数少なくなっているのでは、と思いますが。
「心に“発色”がなければ、いい曲は掛けないんだよ」
ですって!
な~んかすべてに通じていく言葉ですね…
です。念のため?
最高のコンディションで臨みたいですね。
素晴らしい作曲家がいなくなっていきますね。
責めて、船村 徹さんにがんばってもらわないと、演歌が死んでしまそうですね。
まさにその通り!心の中がモノトーンでは広がりは期待できませんね。
すべてに通じているように思います。熱いハートと気持ちに色模様、欠かせないですね。
生きているんですもの……。
たまには演歌に耳を傾けてくださいな。
今朝の「天声人語」には小学校を終えると働きに出たと書かれておりました。また「高校3年生」は自分は過ごすことのなかった「失われた青春への賛歌」であったとも。
「自らの来し方を語るような趣はそのメロディにあった」
そのような遠藤実さんを思いながら、じっくり聞いて
昭和の歌に耳を傾けてみよう。
人間の世界の”別れ”にもいろいろの理由があるのでしょうね。
歌の一つ一つにその優しさが染み込んでいるようで、大好きな曲が多いです。
相対的に、昭和の歌は郷愁を誘ういい歌が多かったように思います。