『東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』 古典の入り口1丁目1番地のような詩である。
そんな匂い起こした梅の一枝を手折って何と呼ぶか。「梅枝」と書かれる。うめのえだでは能がなさすぎる。
「ばいし」これは有りかも知れないなと思う反面、関西落語会一問の新弟子の名前を連想させて、ちょっと夢がしぼむ。
これを「うめがえ」と読むと一気に古典の匂いがしてくる。奥深い万葉の宮中人の感性が伺い知れて心地よくなる、などと言えばちょっと大げさな気もしないでもない。
思い起こせばこのうめがえと言う言葉は、私たちの身近なところで息づいている。
かつておふくろが元気だったころ、4歳下の妹と一緒にいると「岩国の金さん銀さん」と呼ばれたことがあった。この二人が好んで出かけたのが、岩国のもみじ谷公園にある梅枝薬師さん(うめがえやくし)と呼ばれた小さなお薬師さんだった。さらに山口県では最大級の天神社「防府天満宮」では、お抹茶で一服するときに食するあずき餡の平たい餅を梅枝餅(うめがえもち)と呼んだ。奥深い古典であると同時に身近な存在であった。だからどうなの??? ただ、梅の一枝をうめがえと呼び変えて風流を醸し出す感性がいいね。
こんなことでは、読書感想文コンクールで入選する小学生の感性にも遠く及ばないのかもね。それでも何とかこの年までは生きて来られた。その先は?今までのことさえしゃんとせんのに、先にことなどね~。
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