私の住んでいる岩国市南部の中心に、戦前の海軍病院から格上げされた近隣では特別な大病院として多くの患者を救った国立病院(通称、国病)があった。すぐ横には養老院と呼ばれた特別養護老人ホームも併設されていた。 市営バスの南部発着拠点として殷賑を極めた一時期もあった。
米軍岩国基地主要滑走路の沖合移設に伴う土砂を採取するため、市街地のほぼ中心に近い愛宕山一帯が新規開発された。その利便性の良い広大な新天地に国病が移転された。それから20数年、雑草に覆われ見る影もなくなった旧国病跡地に今、膨大な資材と建設機器が搬入され、大きなエンジン音を唸らせて槌音も高く、新たな生活拠点に生まれ変わろうとしている。
一つには福祉の拠点、科学の学習拠点、その他市民の憩いの場づくりなどの計画が発表されている。ようやく重い腰を上げてくれたか、と長い間放っておかれた恨み節も含めて、そのエンジン音を聞きながら、孫君の中学校校門の高台からはるか遠くを見下ろしている。
元々山林を切り開いた高低差の激しい地形に、継ぎ足し継ぎ足して作り上げた病舎だっただけに、国病になってからも迷路のような通路が続いた。そんな地形をどのように活用し、どんな近代的な空間を見せるのか、よみがえるふる里の風景を楽しみにしている。問題はこの施設完成まで、我が寿命が待ってくれるのだろうか。特に福祉の拠点と言われると、是非運用開始に立ち合いたいなどと欲張っているがさてどうだろう。
元々山林を切り開いた高低差の激しい地形に、継ぎ足し継ぎ足して作り上げた病舎だっただけに、国病になってからも迷路のような通路が続いた。そんな地形をどのように活用し、どんな近代的な空間を見せるのか、よみがえるふる里の風景を楽しみにしている。問題はこの施設完成まで、我が寿命が待ってくれるのだろうか。特に福祉の拠点と言われると、是非運用開始に立ち合いたいなどと欲張っているがさてどうだろう。
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