「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「目の高さ」

2019年06月05日 | 晴耕雨読

            

新聞・テレビでは、季節の風物詩として、梅もぎを楽しむ幼児や児童の笑顔が映し出されている。
いずれも、木に生った梅の実を仰ぎ見たり、手に取って、自分の目の高さと同じ位置から眺めたりして喜んでいる。
我が家の梅林は、道路から3m下に位置するため、ついつい上から目線で見下ろすかっこうになる。

匂い立つ梅の花の観賞は、少し小高い位置からやや見下ろし加減がよしとされている。
だから花を愛でるには好都合の我が家の梅林だが、梅の実の生り具合を覗き見るのは、上から見下ろすのはNGである。
上から見るとこの季節、生い茂った今年の新たな枝葉で覆い尽くされ、梅の実はほとんど見えない。「今年は凶作か?」と思わず叫びたくなるほど、実の姿が見られない。

でも、トントンと坂を下って畑に降り、梅の木を見上げる位置に立つと、あるわあるわ、いっぱい生っている。今年も豊作みたい。
そこで思うのは目の位置の重要性である。もちろん、見る角度によっても色々異なって見えることもある。
子どもを叱る場合の目の高さはいつも問題とされる。強い者が弱い者を叱るのに、見下ろして、一方的な押し付けで説教しても多くの効果は得られない。相手は委縮して、聞く脳みそも耳も普段より縮めて風通しを悪くしているのだ。早い話が聞いてはいないということ。
自分が叱られた子どもの頃を思い出しても、まさにその通りであったような。

膝を折って目の高さを同じにすれば、言葉遣いもそれ相応に優しくなる。そうして叱られたら、萎縮が解けて、聞く脳みそも柔らかくなり、聞く耳の穴も大きくなる、という塩梅だ。それは、母の優しさ、愛ある叱咤激励を思い起こさせるゆえではなかろうか。

目の高さ、目線、見る位置や角度で見方が変わるという点においては、プロ野球が昨年から導入した「リクエスト制度」が、それを如実に物語っている。一瞬の判断を求められる審判のアウト・セーフは、その立ち位置、角度、目線などで自らの思いをジャッジする。
しかしそれに疑義を唱えれば、ビデオカメラという精密機械が複数の角度から映し出した状況をゆっくり見詰めて、改めて判定を下す。
要するに、角度や高さ、位置を変えて複数の目で見ることで、景色は変化するということ。

そこまで飛躍した話にしなくてもいいかもしれないが、梅の生り具合は、梅の木の下から見上げるのがよろしいようで。

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「収穫の6月」

2019年06月02日 | 晴耕雨読

  
         珍しく、上出来のタマネギ           抜いたタマネギを手に、ポーーズをとる姉妹!

6月といえば本来なら、稲の田植えや、ハスのタネ植えなど、秋の収穫を夢見て植え付けの季節と呼ぶべきである。
しかしそれは、作付面積の広大な専業農家のお話しであろう。
ところが小生のような、猫の額ほどの借り上げ菜園では、6月といえば収穫の季節である。

10月終わりに植え付けたタマネギが、今年ばかりはちょっとだけ自慢できるほどの大玉がいっぱい採れた。
よそさまでは、今年はタマネギの作柄が良くないという嘆き節も耳にして来ただけに、まぐれ当たりだったのかもしれない、と勝手に喜んでいる。ところが、肝心な調理人のカミサンは「あまりデカイと使い勝手が悪いんよ。もうちょっと小振りがいい」などとのたまう。

基肥を入れて土壌を作り、腰を曲げて植え付け、寒肥をやり草取りに手を焼き、ヨトウムシと闘いながら育て上げて出来たのがたまたまの大玉。鼻高々と思いきや、実際の使い勝手は必ずしも大を良しとしないとは。トホホホ。
でも、初めてのタマネギ抜きに挑んだ奈那さんは大喜び。カメラを向けると、可愛いポーズのお決まりで、右手の人差し指をほっぺに当てたいのに、持ったタマネギが重くて、指がほっぺまで上げられないが、ニッコリ笑顔でハイポーズ!!
お姉ちゃんは何回か経験してはいるものの、大玉の出来栄えには歓声を上げて、じいちゃんの労をねぎらってくれる。
そんな孫姉妹は6月生まれで、こちらも6月の収穫と言っても間違いではない。

抜いたタマネギ畑の横では、春ジャガが大きく育ち、こちらもすぐにでも収穫できそう。でも葉っぱの色が青いのでもう少し様子を見ることに。キューリもツルを伸ばし、初生り3本試食した。トマトも間もなく色づきそう。スイカもしっかり地を這って、黄色い花を幾つか咲かせている。それぞれに間もなく収穫を予感させる。

2歳の誕生日を迎えた妹。あと10日で6歳の誕生日を迎えるお姉ちゃん。この子らの笑顔にまた、腰の痛さも忘れるのである。

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「誕生祝いの6月」

2019年06月01日 | 家族・孫話

              
          お姉ちゃんから贈られる、誕生祝いの御菓子            ハッピーバースデー 奈那さん

時代は平成から令和へとうつり1ヶ月が過ぎた。令和元年6月1日。一番小さい孫奈那さんが満2歳の誕生日を迎えた。
母さんからいっときも離れられなかった1年半前がウソのように、今では母親がいなくてもばあちゃんさえいればことは足りる。時にじいちゃんを探して
二階に上がってくることさえある。この半年で見事な成長と変貌を遂げた。言葉も増え、行動も無謀になってきて目が離せない。その分可愛さも増してきた。

今は5歳のお姉ちゃんからお祝いをプレゼントされご機嫌そのもの。時に小競り合いはあるものの、二人はとても仲良しで、やはり同姓であったことが幸いしている、と母親が喜んでいる。
そのお姉ちゃんは「あと10こ寝たら私の誕生日よね」と楽しみにしている通り、6月11日には満6歳の誕生日を迎える。
さてお祝いは何にしようか。すでに「パソコンがほしい」などとのたまうそうな。6歳の誕生祝いにパソコンと言われてもね~。

そこは、スマホを縦横無尽に使いこなす母親が、じいちゃんたちの手に負えるような代わりの品物を素早く見つけてくれた。
今日は里帰りができて、誕生祝いも我が家で賑やかにできたが、10日先の姉ちゃんの誕生祝いは電話でしゃべるだけで、一緒にハッピーバースデーツーユーを
一緒に歌ってやれないのが心残りではある。

こんな幼い孫たちが、小学校や幼稚園の行き帰りに、無謀運転事故に巻き込まれたり、理不尽極まりない殺傷事件に巻き込まれる恐れのある世の中。
改めてなんとかならないものかな~と思う。本当に子どもたちを守る、という確かな手立てが見えない。
ただただ、何事も起こらないことを神や仏に祈りを捧げ、通学路沿線の人々にお願いするしか、目下のところ、方法がないのが辛い。 

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