二十九日火曜日は珍しく晴れが続いた二日目でした。
雪国の晩秋は仕事に追われて息つく間もないありさま。
この日もスベルべママと手伝いのオジサンは二人で先行して山の畑に。
午前のパートを終えた私は、帰宅した十時過ぎに、久しぶりに山道を歩いて畑へと急ぐ。
標高が高くなるにつれ、下の村の風景が木の間越しに広がってくる。
この山道は春から夏にかけ、スベルべママが一人で運動のためとよく歩いた道。
夏草が茂ったので、優しいスベルべトーちゃんは一度だったけれども、
一人で草刈り機を担ぎ、雑草と繁って頭上に張り出した雑木などを刈り払った。
この九十九折りの続く山道の有る斜面は実はJRの管理地。
不思議と思われるかもしれないけれども、山裾を走るJR上越線を守るための、「鉄道防雪林」なのです。
しかし、例の合理化とやらの進展で、鉄道林を保守する部門も消滅したらしい。
手入れ不足で原生林化し、私の好きな風景を作りだし、私の山菜の畑ともなっている。
道端にひときわ鮮やかな色の「ムラサキシキブ」を見つける。
三十年前に亡くなった母が大好きな秋の彩りだった。
最愛の妻を亡くした亡父は、母の面影をしのぶためか、家の裏に一本の「ムラサキシキブ」を植えた。
父が母の後を追って旅立ってからすでに十年。今でもその「ムラサキシキブ」は父の意志を継ぎ育てている。
広く広がった、沢の最上部を望む角にたどり着く。ここまで来たら山頂、山の畑はもう一息。
ここの場所には不思議な話が有る。夏から秋にかけての早朝に「御来迎」を見ることが有ったとか。
「御来迎」はブロッケン現象のことで「御来光」とは違うもの。
沢筋から立ち上る深い霧に、朝日による自らの影が投影され、その周りに光輪が出来、神々しく見えたのだと言う。
私も見ようと何回も早朝の霧の中を登ったころが有ったが実現せずに終わってしまった。
このことは村の古老の話を書き残した文章にも残っているが、知る人は少ないだろう。
さて、本当にもう一歩で畑に着きます。
ナラの枯れ葉を主として、枯れ葉が山道を埋め尽くしている。
一昨日の夕方、忙しい間を縫って妻とこの枯れ葉をかき集め軽トラで下へと運んだ。
何のため?実は来春の「芋床」さつま芋用の温床の材料に使うためです。
古畳で囲いを作り、中に切り藁、米糠と一緒にこの枯れ葉を詰めるのです。
枯れ葉はほかの材料と共に発酵し、その変化に伴う発酵熱がさつま芋のベッドを温める。
この枯れ葉は、温厚でゆっくりとした発酵を進めてくれる大切な材料なのです。
冬の雪を迎えるための仕事に追われたり、来春の雪消え後の作業に備えたり、
雪国の晩秋、初冬は慌ただしく過ぎて行きます。