先月の安全講習会の際に雇用契約書を提出し、いよいよ転職も確定。
今冬から、この駅のホームを除雪して、電車を利用される乗客の安全な乗降を守ります。
大昔、そう今から四十五年のことですが、高校を卒業した私はここで仕事を得たのでした。
今は建物の面影さえ見当たらないけれど、右手、上り線のホームの雪が始まるあたりに、
線路を守る保線マンの職場「線路班」が有り、その向こうには「常駐小屋」と呼ばれる作業場が有った。
紅顔の美少年(だったはず)の私はここで「軌道掛」と言う職名を得、初任給15,600円也の初任給を頂いた。
ここからその後39年あまりに及ぶ仕事がスタートしたのでした。
当時はもちろんこんな跨線橋も無く、駅長を初めに駅の職員も何人も働いていた。
まだこの線路も単線で、翌昭和42年に当時4210(よんにーとー)と呼ばれた、
複線化、近代化がスタートし、「線路班」と呼ばれた、昔のスタイルの職場も消滅したのでした。
この時から六日町へ転勤となり職名も「技術係」となって技術系事務の仕事に変わりました。
この職名はその後、多少は変わったけれども以来三十年近くも同様の仕事を続けました。
いや、職名は同じでも務めた職場によって仕事の内容は変わり、土木の担当も二年足らずだが経験。
この地域一帯の線路を雪から守り、列車の運行を確保するために除雪車にも長年に渡って乗務。
ラッセル車、ロータリー除雪車で除雪作業ばかりの仕事を担当した冬も5シーズンも有ります。
日本に3台しか無かった三千馬力のモンスター除雪車「DD53」の3号機も操縦しました。
まだ20歳代の若造だった私が責任者となり、先輩を叱咤激励しながら除雪に励んだのでした。
二十日の正規の就労日を前に、17日の朝は、今までに何年もここで働いている先輩から電話を頂き、
二人で、20センチ近く積ったホームの雪を人力で除雪し、初仕事となった。
その後、19日に管理駅の担当から電話が入り、彼が駅に到着した午後から、
この除雪機を使ったホームの除雪を行いました。(写真は機械の保守担当がオーガの交換をしている際のもの)
触ったことも無い除雪機で、しかも上下線のホームに配置された除雪機は会社も年代も異なる物。
でも、今までの経験が生きて、自分でも驚くほどにスムーズに除雪が行えました。
就職した年も雪が多かったなー。いや、毎年今よりも降っていたような気がする。
あんなに昔でも形は違うけれども、ホームを除雪する除雪機が有ったから驚きです。
耕運機の親分のような機械を使って除雪をした当時を懐かしく思い出します。
保線マンから、お年寄りの送迎車の運転手、そして除雪のパート作業員。
2回目の転職で3回目の仕事になりますね。
乗客の皆様の安全な乗降、そして自身の安全も合わせて守りながら今冬は頑張ります。