
思いもしなかった、素晴らしい宝物を頂いた。
娘が仕事を通じて知り合った、鍛冶職が鍛えた「蕎麦切り包丁」です。
その鍛冶職は「遅くなったけれども昨年の水害見舞い」と言って、
我が家に届けることを娘に託したのだった。

包丁の刃以外の部分には、細かな文様が入っている。

握りまで、手を抜かぬ丁寧な仕上げ。

全体から見た中では目立たない小さな刻印が作者を示す。

なんと、この宝刀を打った佐々木氏は寛政時代の刀鍛冶を先祖に持つ十八代目と言う。
二百有余年の技と誇りと技術が詰まった、匂い立つような見事な「蕎麦切り包丁」なのです。

この素晴らしい伝統と技を併せ持つ佐々木哲夫氏は号を「哲心」と称しておられます。
「刃物贈呈の舌代」として、一枚の刃物贈呈に関わる故事来歴も記された印刷物も桐製の箱に同封されていました。
「水」と言う文字の赤い刻印が押されています。
「刃物で切る事が出来ないのは『水』のみ」の顕然たる事実から刃物を贈る時に掲げるのだとか。
何の芸も無く、不器用に畑を耕すのみの百姓スベルべは、先日、包丁のお礼として、
ジャガイモと枝豆を詰めた荷物を送らせて頂きました。
「中越地震、新潟福島豪雨と言う災害に遭ってしまったが、『厄災』を断つ守り刀として大切にします」
と、言うお礼の言葉を記し、同封しての発送でした。
蕎麦打ちは、以前は自分で種蒔きから始めての手打ち蕎麦として楽しんでいました。
今は『イチカラ畑』の若者たちが蕎麦栽培のプロとして自立し、何時でも供給を受けられることと、
蕎麦そのものの栽培スペースの関係から、何年も栽培から離れ、同時に手打ち蕎麦からも離れています。
しかも、メンバーの中に日本で、もっとも有名な蕎麦打ちの「高橋名人」から直接手ほどきを受けた若者もいます。
若者にこの宝刀を使って手打ち蕎麦を切ってもらうか、それとも自分で打ち、自分で切るか思案中です。