畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

皆が笑顔の「さつま芋掘り大作戦」(その1)

2018-10-24 05:41:48 | 暮らし

 さぁさぁー、いらっしゃい、約束の時刻に我が家の傍の駅にさつま芋掘り参加者が集合。

「農天市場」からの流れで、知り合った子育てママさんのグループが夏のジャガイモ掘りに次いで経験したいと言う事でした。

 えーと、若いお母さんが5人でしたね。それにそれぞれのお子さんで総勢は10数人だったかな。

もう、我が家の山の畑には慣れた様子で、さっさと裸足になるお子さんも居ますよ。

 

  あれっ?裸足に手袋無しも良いけれど、何だかちょっとフォーマルな装いじゃないですか。

後で聞くと、この後誕生日記念の写真撮影に写真スタジオに行く予定だったとか。うーん、大丈夫だった?

 

  お、決まっていますね。この子もまだ歩けないうちから「農天市場」にお越しでした。

1年近く見ない間にグーンと成長。母親たちが口々に発する「スベルべさーん」をすぐに覚える。

 そして、「スベルべさーん」なんて連呼しながら、他の子供もたちとスベルべに着いてくるのだから嬉しいです。

採決の流れの速さを感じ、思わずわが身の老いの速さにも気持ちがぐらーり(笑)。

 

  満面の笑顔!

大きな赤い手袋と、赤い芋は「鳴門金時」です。

 

  お母さんの背中に負んぶして参加のお子さんも。

まだおぼつかい足取りの子供さんも、周りの様子を見て掘り始めるのですから微笑ましい。

            (続く)

 

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あの「中越地震」から14年経ちました。

2018-10-24 04:31:50 | 暮らし

  あの中越地震から丸14年目となった。

地震から1時間ほど、2時間ほどの光景か。写真中のお二人はすでにあの世へと旅立たれました。

 

  我が家の室内です。

家中がゴミ箱をひっくり返したかのような惨状でした。

 

  そして、我が家の少し下手の上越線。

急峻な斜面が強烈な揺れによって崩れ落ちた。先日の北海道地震を思い起こさせます。

 

  震源地、赤い示しが震源地。

ほぼ、我が家と同じと言っても良い近さです。我が家は公称震度6となっていましたが7に近い震度だったと思う。

 

  地震ってこんな風になります。

次々と余震が起き、いつ果てるのかと不安になった事を思い出します。

 

   「あの日の事」

  あの中越地震から一年以上の日々が過ぎ去ったというのに、その直前の事をいまだに思い出す。

 地震の前日と、前々日の木・金曜日は長岡でオールJRバドミントン大会が開催された。

私は昔の競技仲間の手伝いをしようと名乗りを上げた。盛大な大会になり、気掛かりな事が一つ終わった。


 そして、残っていたもう一つの気掛かりな事も、翌日の土曜の午前中の仕事となった。

妻の友人のお悔やみである。妻とその友人は、クラスは違ったが同じ高校の同じ学年だった。

夫婦であるスーパーに行き、レジで彼女に出会った。

妻と彼女は二人で同時に「あらっ」と驚きと不思議さの混じった声を上げた。


 学生時代は特に会話を交わすような間柄でもなかったと言う。

しかし、お客の誰にも明るく元気に大きな声をかける姿は私たちにも好感を持たせた。

 別の日のレジが空いている時間に、何度か会話が弾んだ。店に並んでいる野菜の話から、

私の作る野菜の話へと進み、休みが合う日に遊びに来る約束になった。

丁度、新ジャガイモの時期であり、山の畑にジャガイモ掘りをお誘いした。


 いつもの明るさに、初めてだというジャガイモ掘りの面白さが加わり、童女のような喜び方だった。

犬のマックスの芋掘りを見て、喜ぶ様子も微笑ましかった。

お茶の時間に彼女は自分が「癌」であり、何回か入退院を繰り返していることを話した。


 いつもそんな事は全く態度に見せない強く明るい人だったのだ。

抗癌剤の影響で頭髪の少なくなった時でさえ、きれいにバンダナで縛った頭で、

いつもと変わらぬ明るい声を出していた。そんな彼女に私たちも元気を貰っていたのである。


 しばらく顔が見えないと思ったら、別の店員が入院中で、今回は少し悪いそうですと教えてくれた。 

見舞いを逡巡していた妻も重い腰を上げた。出来る限りの手作りの食べ物を持って行った。

我が家の家族を気遣ったりしながら、喜んでくれたという。


 訃報が届いたのはそれから何日もしないうちだった。

まだ学生の長男と、その下の娘さんを残して旅立つのはさぞかし悔しく、辛かった事であろう。

もちろん愛するご主人を一人にする事も。


 私達も帰宅しても、気持ちは晴れなかった。そんな日の夕方の地震だったのである。

妻との再会。そしてそれに続いた私達との短い付き合いは終わった。

あの地震は彼女が辛い思い出と私たちを別れさせるためだったのかなどと思ってしまう。

         (地震1年後に書いた文章で、それからも13年が過ぎました。)

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