少し時間が経ち過ぎちゃいました。
先々週だったかな、日曜日に行われた、こんな報告会に行きました。
低山に囲まれた盆地状の地形が多い魚沼市は遺跡の宝庫です。
特に我が家の山の畑など、旧堀之内町の河岸段丘上には多くの遺跡が見られます。
でも、古い遺跡の宝庫とは言え、それ単独での発掘調査はない。
新しい道路の開削や、送電線の鉄塔基礎の工事の際には法律で調査が義務付けられているようです。
今回の調査も基盤整備事業、簡単に言うと水田の大規模化工事に伴う調査。
現在の水田の下が遺跡って、状況には驚きましたが、特に目新しいものでは無いようでした。
県立長岡歴史博物館の学芸員による記念公演がありました。
こちらは遺跡とはいっても、比較的近代の「八十里越」街道を中心としたお話。
国が定める「日本街道百選」とやらがあるそうですが、この「八十里越」もその一つに指定。
歴史的に言うと戊辰戦争で長岡藩の名家老「河合継之助」が敗走、会津に落ちのびる際に使われた。
「八十里越」は三条市から魚沼市を経て合図に続く旧街道。
他に「六十里越」街道があり、こちらは魚沼市の大白川を経て会津に至る街道。
そして、越後は新潟から関東を結ぶ「三国街道」が我が家の近くに。
一つの市に旧街道が3ルートもあるのは、おそらく魚沼市だけではないかとも言う面白い講演でした。
調査の記録写真も見せていただきましたが、先年の水害でかなり荒れ果てていました。
あらためて8年前の大水害「新潟福島豪雨」のすさまじさも感じさせられました。