鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

懐かしいゴミ箱

2010-12-16 | あちらこちら


横須賀を歩いていて、懐かしいゴミ箱に出会いました。
これは国道16号線沿いあったゴミ箱です。
側の木から伸びた小枝の葉っぱがふたの隙間からのぞいていました。


県道24号線沿いで見かけたゴミ箱です。
さりげなく置いてありましたが、最初のゴミ箱と同様に、
通りに対して裏側を向けているのは現役でない証拠です。
その昔、夏休みの宿題の絵のテーマに困り、
ゴミ箱を写生したことを思い出しました。

田浦の庚申塔

2010-12-15 | あちらこちら


横須賀水道みちの探索で、国道16号線の田浦地区を歩いている時、
道沿いに道祖神と庚申塔をまとめて祀ってある小屋がありました。
その中の2つの庚申塔が面白かったので、後で調べてみました。


右の一体は、キツネかイヌのような動物の帽子をかぶって祈っている人の形をしています。
左の一体は、これも小さなキツネのような帽子をかぶっていますが、頭は3つあります。
手が8つもある様子は、一般的な青面金剛像と同じですが、そんなに威厳はありません。
足下に「七左右門」と彫ってあります。
徳川家康の時代、三浦半島の代官に長谷川七左衛門という人がいたようですが、
関係があるのかどうかは不明です。


逗子・横須賀水道みち③

2010-12-14 | 横須賀水道みち


東逗子駅前を抜けて、水道みちを逗子駅に向って歩きました。
田越川を越える橋の左手に送水管が見えました。
青い送水管が普通でが、最近修復したのでしょうかステンレスのように見えました。


しばらく車の少ない水道みちらしい通りをのんびり歩きました。


右手の塀の下に、またまた波形の標石がありました。


塀のある家を眺めるとかなり年季の入った風情でした。
おかげで標石が残っているのでしょう。


少し進んだ、生垣の続く家の端にも、標石がありました。
これは波形の下に「海」も見える標石でした。


逗子駅に近づいたところで、また田越川を渡り、ここでも橋の左側に青い送水管が見えました。


逗子駅に着きました。
写真は県道24号線の終点近くから撮った1枚です。
水道みちは見えている駅舎のすぐ前を抜けて、池田通り交差点を横切って県道311号線に入りました。


日も傾きはじめ、歩き続けた疲れで多少カメラも重く感じるようになりました。
県道311号線を撮ったこの1枚はピンボケでした。


なんとか本日のゴール、逗子側の名越送水管路ずい道の入口に着きました。
遠くから金網に囲まれ、近くに接近できません。
金網近くの土手から無理な姿勢で撮った画像です。

これで、藤沢から東側の横須賀水道みちは探索を完了しました。
これからは、海老名から相模川を遡って半原水源地を目指すことになります。


逗子・横須賀水道みち②

2010-12-13 | 横須賀水道みち


盛福寺管路ずい道の逗子側から県道24号線まで戻る途中、
小さな橋の左手に青い送水管が見えました。
水路の系統名を読むと、これらは本命の半原系統とは違うようでした。


半原系統の送水管が特定出来ないので、送水管の上で輝くカラスウリを撮りました。


県道24号線を横切って、横須賀線の北側の道を東逗子駅の方向に進みました。
この道が横須賀水道みちと考えたからです。
しばらく道を進むと、右手の畑の中に波形の標石がありました。
大正解でした。


東逗子駅までの途中で横須賀水道は横須賀線の南側に移るのですが、
残念ながらそのポイントは特定出来ませんでした。
途中の踏切を渡って、南側の県道24号線に出ました。


東逗子駅に向って歩いていると、小さな喫茶店(?)の角に波形の標石を見つけました。


この店の人が、横須賀水道の標石と知りながら保全しているのでしょうか。


横須賀水道みちは東逗子駅の少し手前で、県道24号線から分かれて駅前を通る道に入ります。
ここが東逗子駅前です。
この駅前を通る水道みちは、県道24号線と平行しながら、逗子駅前まで続いています。









逗子・横須賀水道みち①

2010-12-12 | 横須賀水道みち


横須賀側の盛福寺管路ずい道入口から逗子へ向う県道24号線に出るのが大変でした。
すぐ近くに新しいトンネルがあったので、ここから行けそうだと考え、前に進みました。


トンネルの向こうは広々とした港が丘の新しい住宅地でした。
方向の分からない住宅地をぐるぐる歩き回ってたどり着いたのが船越神社の裏手でした。
神社の階段を下りたところが国道16号線で、すぐ先の船越町交差点を左折すると県道24号線でした。


しばらく県道24号線の坂道を上ると、逗子の標識が出てきて、すぐ先の沼間トンネルに入りました。


沼間トンネルを抜けて坂を下ると、横浜横須賀道路の下を通り、横須賀線を跨ぐ場所に出ました。
その手前を左に折れて、イチョウの黄葉のきれいな道を進みました。


左手に横須賀市水道局田浦配水場がありました。


配水場前を通り過ぎて更に山道を進むと、逗子側の盛福寺管路ずい道入口がありました。
トンネルの向こうへ行くためのこの大迂回はちょっと大変でした。







横須賀・横須賀水道みち②

2010-12-11 | 横須賀水道みち


逸見浄水場から国道16号に戻り、汀橋から田浦方面に向って歩きました。
そばを自動車が沢山走り抜け、しかも途中で5つのトンネルを抜けるという、
ウオーキングには最悪の道でした。


ようやく5つのトンネルを抜けると、横須賀線のガードが見えました。
ガードの先を左に向うのが、今日のルートです。


左折して、静かな街の道を進みました。
多少道が心配でしたが、右脇に波形の標石を発見、安心しました。


少し先で、もっとはっきりした標石も見つけました。


京浜急行のガードの下をくぐり、緑の濃い地域に入りました。


右手にメルクマークの盛福寺が見えました。


小さなトンネルを抜けると、目的地に着きました。
横須賀水道「盛福寺管路ずい道」です。
このトンネルの反対側は逗子です。

横須賀・横須賀水道みち①

2010-12-10 | 横須賀水道みち

しばらく中断していた横須賀水道みちの探索を再開しました。
今回は、横須賀の逸見浄水場から逗子トンネルの手前までの区間が対象です。
結果として、横須賀線の横須賀駅から鎌倉駅までを徒歩で歩くことになりました。


先ず国道16号線の汀橋交差点を南西に折れて逸見浄水場を目指しました。
横須賀水道みちの終着点です。


しばらく道なりに進むと、京浜急行のガードをくぐりました。


そのまま道は急坂になりました。
道路の右脇に「逸見浄水場」の文字が見えます。


左側の草地の斜面に、横須賀水道の標石がありました。お馴染みの標石です。


更に上ると、浄水場のゲートに着きました。
たまたま通過した自動車のおかげでゲートが開きましたが、
部外者立入禁止で入ることは出来ません。


これはゲート横の表札です。


直接目にできないので、グーグルを使って、鳥の目で浄水場の全体を眺めました。
右上に建物に向う道が見えますが、ゲートから入ると、この道をたどるようです。


ここが終点であることを確認して、今来た道を戻りました。



鳥の巣発見!

2010-12-09 | 小さな庭


冬の庭を明るくするために、植木の剪定作業中です。
マテバシイを丸坊主にしたところ、枝と一緒に鳥の巣が落ちてきました。
よく見ると、化学繊維と木の皮などを使って、外側をしっかり作ってあります。


内側は細い草の繊維でふわふわに作ってあります。
直径は6~7cmの小さな鳥の巣です。
カキノキのすぐ隣なので、カラスを怖れて、実際には使われなかったように見えます。

映画館がなくなった

2010-12-08 | 藤沢


遊行通りを歩いていて、映画館フジサワ中央の前を通りました。
よく見ると看板などが見当たりません。


立ち止って、よく見ると、今年の8月で閉館の挨拶が出ていました。
2007年3月に藤沢オデオンが閉館した時にも驚きましたが、
これで藤沢の映画館は全滅です。
昔の映画少年としては、感無量です。

感応院・三島神社

2010-12-07 | 藤沢


藤沢橋から遊行寺坂を少し進んで右に折れたところにある真言宗感応院です。
創立は建保6年(1218)で、源実朝の開基と伝わっています。


本堂の前には、弘法大師の石像があります。
相模国準四国八十八箇所の23番目の像です。
イチョウがきれいなので、横から撮りました。


何度目かの訪問ですが、今回は境内の右手奥にある三島神社が目的でした。


建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で狩りを催した時、
旅の厄除けに三島神社を勧請したようです。


三島神社のこの社殿は、自由に回転できる構造になった珍しいものです。
現在は立入禁止で、勝手に回転することは出来ません。



遊行寺・手洗い場の龍

2010-12-06 | 藤沢


遊行寺の境内にある手洗い場です。
紅葉したもみじの木蔭のなかにありました。


近づいて手洗い場の龍を眺めました。
いろいろ汚れもあったりして、ちょっと元気が感じられません。


実は2年前の夏、ここに来て撮った写真があります。
龍の口元から竹筒が伸びて、その先から落ちる水を手洗いに使う仕組みになっていました。
構造が不備な手洗いの龍だと思いました。
いつの間にか竹筒がなくなり、本来の姿に戻ったようですが、
使い勝手は悪そうです。龍が元気がない訳でしょう。

遊行寺・中雀門

2010-12-05 | 藤沢


大イチョウを眺めながら、境内をぐるぐる歩いていて、中雀門の前に立ちました。
いつも見過ごしていたのですが、少し丁寧に眺めました。


門の上の方で、菊の紋章が輝いてことも気づきました。
横には徳川の三つ葉葵もありましたが、うまく撮れませんでした。


ここにある掲示を読むと、遊行寺の中雀門は、安政年間(1854~60)の創建以来残る最も古い建物のようです。

遊行寺・大イチョウの黄葉

2010-12-04 | 藤沢

曇り日でしたが、遊行寺の大イチョウの黄葉が気になったので出掛けました。
今回は大イチョウを多角的に撮ることを目標にしました。


遊行寺坂の途中から左に折れて境内に入ると、黄葉した大イチョウが目に入りました。
この位置から見ると、横に広がったパノラマ風の樹形で最高です。


最近新しくできた遊行茶屋の近くから眺めた大イチョウです。
全体に四角く見えますが、高さも感じられます。


裏側の中雀門から見た大イチョウです。
やや左に傾いた姿が特徴です。


本堂の方から眺めると、2つの丸が寄り添った形です。


大イチョウに近づいて、木の下から見上げました。
途中まで太い幹が見えますが、その先地上6mのところが昭和58年の台風で折れたようです。


周囲を円形のベンチで囲まれた幹周り7.1mの大きな幹です。


大イチョウの説明掲示板です。

伊勢原・八幡台遺跡

2010-12-02 | あちらこちら


八幡神社のすぐ西側にある山王塚公園です。


ここは伊勢原台地の中で最も高い場所で、1933年にここで縄文時代の敷石住居跡が発見されました。


床に河原石を敷き詰めた縄文時代後期の住宅跡とされ、1934年国指定遺跡となっています。
説明によると、根府川の石が使われているようです。
跡地は覆土保全されているため見ることは出来ません。