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≪ 昨日の続きです ≫

こんな林道がまだ奥へ続く
林道沿いには自転車が転がっている、杉の木に引っかかって谷底までは落ちない

右側の谷はかなり深い、ずっと下まで植林が広がっている

7~8分歩いたら視界が開けて鐘楼が片隅に建っている
鐘楼の隣にはイチヨウの大木、紅葉の時期になれば見事な眺めだろう
こんな山奥にしてはかなり広い土地が・・・ 寺の建物跡らしく礎石らしき石がアチコチにある

鐘楼の横には墓石らしいのが2本と道全寺記念碑が建っている ( 南無阿弥陀仏 ) の石碑
墓石のひとつには 昭和14年1月とと彫られている、81年前のものだ
道全寺記念碑には次の文章が彫られている
ここ小代の地は、文明9年に本願寺派第八代門主蓮如上人が教化の旅の途中お立ち寄りになり、浄土真宗のみ教えを伝えて下さいました。
小代の祖先たちは その み教えに帰依し、喜びを子孫に伝えてゆくべく道全寺を建立しました。
以来517年間、当地は聞法の道場として大事に護持してきましたが、過疎化により平成6年4月1日をもって、道全寺は大塔村・光圓寺に合併しました。
ここに その旨を書き記します。
平成6年3月20日

鐘楼の横には手水用の石容器と小さな祠に入った石仏

寺院の建物があったであろう広場には、建物の残骸らしい木材などが積んである
雑草や苔等で土に埋まったような状態だ
隣にも、苔むした石垣を積んだ一段高い建物跡らしき土地があった、こんな山の中にしてはかなり広い、寺関係の跡地だろうか?

屋根の一部分だけが残っている

建物の木材やトタンには苔が生えている

五右衛門風呂の風呂桶も転がっている

鍋や小鉢も

陶器のすり鉢も
形あるものは、すべて壊れてなくなって行くのが自然の摂理とは言え、何とも かんとも 言い難い、色即是空 空即是色 ・・・・
さらに山奥への道らしきのがあったが、ここで止めておこう、 しばらく感傷に浸りながら休憩する

帰りの途中、杉林の下に廃屋の屋根が見える

斜面の上に墓らしいのがあったので、登ってみる
斜面は枯れ枝や落ち葉が山盛りで大変歩きづらい
立派な墓だ
墓石の後ろを見れば 昭和17年建立と彫られていた

周りの墓石は無くなっていたり倒れたりで、永年墓参りに来た様子は無い

廃屋裏にある墓には、まだ比較的新しいびしゃこの木?が供えられていた、誰かがお参りに帰ってくるのだろう

林道沿いの下には腐った廃屋の屋根


錆て朽ちてゆく自転車には 「 通学用自転車 塩谷中学 」 の文字
塩谷と言えば、集落から天の川沿いに下って、また少し上った場所だろう、下りは山道を何とかできても、帰りの山道は相当な体力が無かったら通学できないだろう!
大変な場所に住んでいたのだ!

天の川沿い、五條市大塔町坂本の集落、この左山奥が小代の集落

帰り道、五條市の国道168号線吉野川 ( 紀の川 ) に架かる大川橋のそばにはたくさんの鯉のぼりが元気よく泳いでいた
≪ 昨日の続きです ≫

こんな林道がまだ奥へ続く
林道沿いには自転車が転がっている、杉の木に引っかかって谷底までは落ちない

右側の谷はかなり深い、ずっと下まで植林が広がっている

7~8分歩いたら視界が開けて鐘楼が片隅に建っている
鐘楼の隣にはイチヨウの大木、紅葉の時期になれば見事な眺めだろう
こんな山奥にしてはかなり広い土地が・・・ 寺の建物跡らしく礎石らしき石がアチコチにある

鐘楼の横には墓石らしいのが2本と道全寺記念碑が建っている ( 南無阿弥陀仏 ) の石碑
墓石のひとつには 昭和14年1月とと彫られている、81年前のものだ
道全寺記念碑には次の文章が彫られている
ここ小代の地は、文明9年に本願寺派第八代門主蓮如上人が教化の旅の途中お立ち寄りになり、浄土真宗のみ教えを伝えて下さいました。
小代の祖先たちは その み教えに帰依し、喜びを子孫に伝えてゆくべく道全寺を建立しました。
以来517年間、当地は聞法の道場として大事に護持してきましたが、過疎化により平成6年4月1日をもって、道全寺は大塔村・光圓寺に合併しました。
ここに その旨を書き記します。
平成6年3月20日

鐘楼の横には手水用の石容器と小さな祠に入った石仏

寺院の建物があったであろう広場には、建物の残骸らしい木材などが積んである
雑草や苔等で土に埋まったような状態だ
隣にも、苔むした石垣を積んだ一段高い建物跡らしき土地があった、こんな山の中にしてはかなり広い、寺関係の跡地だろうか?

屋根の一部分だけが残っている

建物の木材やトタンには苔が生えている

五右衛門風呂の風呂桶も転がっている

鍋や小鉢も

陶器のすり鉢も
形あるものは、すべて壊れてなくなって行くのが自然の摂理とは言え、何とも かんとも 言い難い、色即是空 空即是色 ・・・・
さらに山奥への道らしきのがあったが、ここで止めておこう、 しばらく感傷に浸りながら休憩する

帰りの途中、杉林の下に廃屋の屋根が見える

斜面の上に墓らしいのがあったので、登ってみる
斜面は枯れ枝や落ち葉が山盛りで大変歩きづらい
立派な墓だ
墓石の後ろを見れば 昭和17年建立と彫られていた

周りの墓石は無くなっていたり倒れたりで、永年墓参りに来た様子は無い

廃屋裏にある墓には、まだ比較的新しいびしゃこの木?が供えられていた、誰かがお参りに帰ってくるのだろう

林道沿いの下には腐った廃屋の屋根


錆て朽ちてゆく自転車には 「 通学用自転車 塩谷中学 」 の文字
塩谷と言えば、集落から天の川沿いに下って、また少し上った場所だろう、下りは山道を何とかできても、帰りの山道は相当な体力が無かったら通学できないだろう!
大変な場所に住んでいたのだ!

天の川沿い、五條市大塔町坂本の集落、この左山奥が小代の集落

帰り道、五條市の国道168号線吉野川 ( 紀の川 ) に架かる大川橋のそばにはたくさんの鯉のぼりが元気よく泳いでいた