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“ 願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ ”
この歌で有名な西行法師が眠る地・大阪府南河内郡河南町の弘川寺へ行ってきました。
西行法師の俗名は 佐藤義清、鳥羽院の北面の武士を務めていたが、23歳の若さで出家した。 出家した理由は失恋で、相手は鳥羽院の中宮・待賢門印璋子だったらしい。
北面の武士とは、現在の皇宮警察のようなものだろう、同僚に平清盛もいたらしい。
桜を愛した西行法師だが、紅葉の方がピッタリと来る感じもする。
▽ 庭園の落ち紅葉は少し早かったか? まだ緑の葉も残っている
本堂横の石段を上って行く
西行法師の墓
墓の前には、 “ 願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ ” の大きな石碑がある
「 桜の周遊路 」 入口の大きなモミジはまだ青々としている
この寺の境内・周辺からは、桜の周遊路、 里山の道、弘川城址への道、杉・ひのきの道 などがあり葛城山へとつながっている。
更に上へ向かう
葉を落とした木の後、杉の緑の前に真っ赤なモミジ
つつじの花が並んでる
すぐ横は谷、紅葉の谷だ
ほとんど埋もれた階段を上って行く
道標が現れる、すぎ・ひのきの道へ
こんな階段を上り
すぎ・ひのき林の中に鮮やかな黄色
落ち葉も鮮やか
この道は葛城山頂まで続くようだ、とてもそこまでは行けない ・・・ 引き返そう
途中で木々の隙間から富田林市のPLの塔が見えた
桜山周遊路に入って坂道を下る
緑と赤の葉っぱをつけたモミジが陽射しを受けて輝く
谷の下を見たら黄葉
上を見たら紅葉だ
本堂の横まで降りてきた、まだ緑の葉も残ってる
落ち紅葉にはちょっと早かったようなので3年前の写真を載せておきます。
木々の足元にはカラフルな落葉の絨毯が広がっていた。
絶好の時期に訪れるのは至難のワザ であるが、今日の状況ならばまあまあ “ 良し ” としよう。
境内散策から葛城山へ向かう 「 すぎ・ひのきの道 」 へ歩いて、約3時間、 良い景色を見せてもらって、良い運動になりました。
“ 願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ ”
この歌で有名な西行法師が眠る地・大阪府南河内郡河南町の弘川寺へ行ってきました。
西行法師の俗名は 佐藤義清、鳥羽院の北面の武士を務めていたが、23歳の若さで出家した。 出家した理由は失恋で、相手は鳥羽院の中宮・待賢門印璋子だったらしい。
北面の武士とは、現在の皇宮警察のようなものだろう、同僚に平清盛もいたらしい。
桜を愛した西行法師だが、紅葉の方がピッタリと来る感じもする。
▽ 庭園の落ち紅葉は少し早かったか? まだ緑の葉も残っている
本堂横の石段を上って行く
西行法師の墓
墓の前には、 “ 願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ ” の大きな石碑がある
「 桜の周遊路 」 入口の大きなモミジはまだ青々としている
この寺の境内・周辺からは、桜の周遊路、 里山の道、弘川城址への道、杉・ひのきの道 などがあり葛城山へとつながっている。
更に上へ向かう
葉を落とした木の後、杉の緑の前に真っ赤なモミジ
つつじの花が並んでる
すぐ横は谷、紅葉の谷だ
ほとんど埋もれた階段を上って行く
道標が現れる、すぎ・ひのきの道へ
こんな階段を上り
すぎ・ひのき林の中に鮮やかな黄色
落ち葉も鮮やか
この道は葛城山頂まで続くようだ、とてもそこまでは行けない ・・・ 引き返そう
途中で木々の隙間から富田林市のPLの塔が見えた
桜山周遊路に入って坂道を下る
緑と赤の葉っぱをつけたモミジが陽射しを受けて輝く
谷の下を見たら黄葉
上を見たら紅葉だ
本堂の横まで降りてきた、まだ緑の葉も残ってる
落ち紅葉にはちょっと早かったようなので3年前の写真を載せておきます。
木々の足元にはカラフルな落葉の絨毯が広がっていた。
絶好の時期に訪れるのは至難のワザ であるが、今日の状況ならばまあまあ “ 良し ” としよう。
境内散策から葛城山へ向かう 「 すぎ・ひのきの道 」 へ歩いて、約3時間、 良い景色を見せてもらって、良い運動になりました。
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