ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

啄木、賢治、石ノ森 3者の若い時の思いにふれて…

2009-08-10 16:07:16 | ひと
東北に、妻と小旅行に出かけた。
盛岡周辺にいると、岩手山が圧倒的な迫力で迫って来る感じがする。
岩手公園で、啄木の句碑を見た。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心」
そして、街中をぶらぶらと歩いた。
街中に、「啄木・賢治青春館」を訪ねた。
元は、第九十銀行という銀行の建物だったという。
ここでは、宮沢賢治の「永訣の朝」という詩に引き付けられた。
今わの際を迎えた妹。その時の詩であった。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」この繰り返しが切ない。

啄木や賢治の若い時の文章などに触れていると、若い頃は、さまざまな感覚が鋭敏だった気がする。
今が決して鈍感だというわけではないが、50代ともなると、物事に対する感じ方が許容範囲が広がっているというか、物分かりがよくなってしまってこだわりがなくなってしまっているというか、そんな感じがした。
啄木は20代、賢治は30代で逝去している。
こうしてその倍近く生きていると、啄木や賢治らは、自分を表現する術をもち、ありったけ自分の思いを内なるエネルギーとして表出して生き急いだというか、人生を駆け抜けたように改めて思った。

岩手の帰りには、宮城県北部に立ち寄った。
石ノ森章太郎のふるさと記念館があるからである。
漫画家を目指す若者たちの集まったトキワ荘のことがよく語られる。
これもまた、当時はマンガという新しい表現方法で創作活動に努めた人たちだ。
その一人、石ノ森章太郎は、レオナルド・ダ・ビンチになりたかったのだと言う。
近くには生家もあり、訪ねてみた。
玄関が土間で、昔ながらの間取りの家。
自分の子ども時代によく見かけた家の造りだった。

もうこの世にはいない3人の、若い時の思い。
そんなものにふれて、改めて自分自身のことを思った。
創造的な生活から、遠く離れている。
詩や文章はうまくできないし、マンガは好きだが、絵は昔からヘタだった。
でも、何かもっと自分を表現してみたい。
昔、そんなことを自分が思っていたことを思い出し、久々にそんな気分になった。

自分の人生は、これからどれだけあるのかは知らないが、自分探し、少しは続けてみようと思っている。
コメント
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