ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

佳き人の訃報に人生を思う

2013-12-25 18:05:48 | 生き方
今月、様々な方から年賀欠礼のハガキをいただいた。
私の人生に深くかかわって下さった方が亡くなった報せも、その中には、ある。
中でも2名の方の訃報は、私にとって残念至極であった。

一人の方は、自分が大学を出たばかりの頃、我が家の近くにあった住宅にお住まいだった当時校長先生だったY先生だ。
私は、通信教育で小学校教員の免許状を取得したが、教育実習で大変お世話になった。
その年、私はすでに県の教員採用試験には合格しており、あとは教員免許の取得だけが課題であった。
残るは、教育実習やいくつかのレポートと試験をクリアする必要があった。
何をおいても、まずは教育実習の単位を取得する必要があった。
Y先生は、自ら私の実習日誌にたくさん書き込んでくださり、少々長期間の出張があっても、手を抜かずに内容の濃い助言をまとめて書いてくださったりした。
その無理をしていただいたおかげで、私は、教育実習の単位を取ることができた。
やがて私は、残る科目のレポートと試験の壁を乗り越えて、晴れて翌年の4月から教員になることができたのであった。
Y先生が、私のために無理に無理を重ねて下さったことは、私しか知らないことである。
人を大切にするその行いは、まさしく教育者と言えた。
そんなY先生と、いつか同じ仕事をした者としてお会いする日を楽しみにしていたのだが、残念だ。

もうお一人の方は、大学時代所属していたサークルの2年後輩のお姉さんに当たる女性である。
その後輩は、実直な奴だったが、ユーモアもあるとてもいい奴だった。
彼は、大学卒業後ジャーナリストとして活躍していたが、脳腫瘍になり、十数年の闘病の後亡くなった。
その彼を献身的に支えていたのが、そのお姉さんであった。
ご自身は結婚されることもなく、弟のために尽くして尽くして尽くしぬいていったのだった。
その弟が亡くなった後、私の母がガンだと聞くと、遠くから励ましのお便りを何度も下さった。
自分のことだけでなく他者のことも考えて行動できる、本当に素晴らしい人だなあと思っていた。
しかし、その彼女も、ガンになってしまったと知らせる手紙が届いたときには、世の無常を思った。
私は、返す言葉が見つからず、返事も書けないままであった。
そして先日届いた、訃報。
彼女にとって、人生とはどういうものだったのだろう…と思う。

佳き人だからと言って、よい人生が送れるとは限らない。
生きているうちに、様々なことを経験する。
限られた人生の中で、皆、自分の選んだ道を行く。
だが、それが、よい人生だったかどうかなんて、他者が決めることではない。
本人にしかわからないことがある。
本人が納得して生ききることが大切なのだと思う。
最後には、自分で決めた、納得のいく人生を送りたい。
改めて、そう思ったのだ。

父の享年に達した今年の私。
その年に生じた、突然の娘の困難。
私の人生の大きなあやとなることは間違いない。
でも、これも自分の人生。
納得して生き続けていくしか道はない。
今年も残すところ、あと1週間を切ろうとしている…。

コメント
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